「教員だけどPTA反対」その気持ち、よくわかる、、、はずがない

教員こそ最大の受益者。学校行事が「PTAありき」で設計されているという不都 合な真実

世間では相変わらず「PTA不要論」や「PTA強制廃止」といった過激な言葉が飛び交っ ています。

特に最近では、教員の働き方改革や負担軽減という文脈に乗せて、教員側 からも「PTAなんていらないのではないか」という声が聞かれるようになりました。

確かに、保護者が「平日の集まりが大変」「強制入会に納得がいかない」と不満 を漏らす言い分はよく分かります。

しかし、教員の立場でありながら「PTAに反対す る」というのは、お世辞にも賢明な判断とは言えません。

はっきり言わせてもらえば、学校組織の中でPTAの恩恵 を最も大きく受けているのは、他でもない教員自身なのです。

そんな自覚す らないなら、、、ちょっとバカすぎるんじゃない?。

実態:学校行事は「PTAの無償の労力」で回っている

PTA マニアが熱いアスファルトの上で膝をつき、山のように積まれた赤いパン  フレットに絶望し、涙を流しながら叫んでいる様子の劇的な写真です。

運動会、入学式、卒業式。学校の一大イベントの裏側を思い浮かべてみてくださ い。門の前に立って不審者の侵入を防ぐ周辺警備、次から次へとやってくる来賓や保 護者の受付、誘導。これらは本来、誰がやるべき業務でしょうか。

学校の敷地内で行 われる公式行事である以上、すべて学校側、つまり教員が賄うべき労力です。

私が会長を務める学校では、学校見学会の受付をPTAが担当しています。学校に来る機会はほとんどないので、校内 の見取り図すら頭に入っていないような保護者たちが、学校のために必死にパンフレ ットを配り、笑顔で受験希望者の対応をしているのです。

これほどのマンパワーと時間を、PTAは当たり前のように「無償」で学校に提供し ています。教員の代わりに汗を流し、本来なら発生するはずの業務をそっくりそのま ま肩代わりしている。これが現場のリアルな実態です。

構造の罠:イベント自体が「PTAありき」で設計されている

PTA メンバの激しい驚きと絶望の表情で、山積みの書類やイベント準備が混乱  を招いている現場を指し示している様子。このセクションでは、PTA が存在しない場  合の学校の行事運営の混乱について語られています。

「面倒な関わりがなくなるなら、手伝いなんてなくてもいい」

そう考える教員がいるのだとしたら、あまりにも見通しが甘いと言わざるを得ま せん。

なぜなら、現在の学校の年間行事やイベントのオペレーション自体が、最初か ら「PTAが手伝ってくれること」を大前提として設計され ているからです。

人員配置のパズルは、PTAという大きなピースがあって初めて完成します。もし PTAが解散し、そのピースが突然消えてしまったらどうなるでしょうか。

イベントの規模をぐっと縮小してしまうのか、さもなければ、これまで保護者が 無償で行っていた受付・警備・誘導といったすべての業務が、ブーメランのようにそ のまま教員の肩に重くのしかかることになります。授業準備や日々の生徒指導でただ でさえ限界を迎えている教員たちに、その膨大な未処理タスクを処理する余裕など残 されているはずがありません。

10歩譲ってPTA加入反対を訴えるなら、その前に、 PTA無しでイベントが回るように校長なりなんなりを説得するのが先でしょ。

結論:未来の自分の首を絞めるだけ

教員が驚きと喜びに満ちた表情で、デジタルツールによる PTA 会計改革の成果  を保護者に熱く説明し、未来の自分たちを解放する瞬間を表現しています。

目先の会議や事務が面倒だからという理由でPTAを否定することは、回り回って「 未来の自分の首を絞める」ことに直結します。

PTAの手を突っぱねた結果、困り果て るのは教員自身なのです。

対立を煽り、形骸化を言い訳にPTA組織を壊すのは簡単です。しかし本当に必要な のは、最大の受益者である教員と、学校を支える保護者が、互いの労力をリスペクト し合える現実的な共存の道を模索することなのです。