
消防団操法訓練で見えた、PTAの可能性
効率化消防団操法訓練の実態にみるPTA改革の可能性 消防団操法訓練における安全靴着用と怪我の必然 今回は一見、PTAと離れた所から話が始めよう。 同じボランティアなら手当が支給されるほ うがいいじゃないかってことで地元消防団に加入したのが1年ほど前のこと。 春の消 防団には大イベントがある。今回は消防団の代名詞ともいえる「操法訓練」の実態に ついての話だ。 消防庁が持っているデータによれば、消防団の活動で最も怪我が頻発するのは、 実際の火災現場ではなく、この操法訓練の練習中だという。 大半が下肢、特に足首や ヒザのケガ。しかも、その原因まで特定されている。「安全靴を履いていること」 だ。まあ、ここまでは傍目で見ているだけで簡単に想像がつく。 安全靴で走らせるなんて、、、どうかしてるよ 本来、安全靴は重量物の落下や熱、危険物から足を守るためのものであり、その 設計思想は「運動機能を制限してでも安全確保に特化すること」にある。 関節を固定 して保護する靴は、当然ながら激しい運動や機敏な動きには向いていない。おおよそ歩けないスキー靴 よりは歩きやすいというレベルの靴だ。 そんな靴を履いて全力で走り、急に振り向 く、あるいは急停止するといった動作を繰り返せば、逃げ場を失った衝撃が足首や膝 に集中する。 足首を痛める可能性が極めて高いのは、構造上、必然なのだ。 役所マインドと前例踏襲が招く組織の硬直化 消防団員のケガ第一位の原因は分かっており、データも揃い、物理的な無理も明白。 それなのに、操法訓練を中止しようとか、スピード優先の評価ルールを変え ようという動きにはならない。 これこそ、このブログでも再三繰り返していることだ が、日本の組織に深く根を張る「前例踏襲」の正体である。 「過去の否定」を恐れるメンツ優先の思考回路 なぜ変えられないのか。 その最大の障壁は、合理的な判断基準ではない。 「やり 方を変えることは、これまでの自分たちのやり方が間違っていたと認めることになる 」という、いかにも役所的な発想だ。 特に役所という組織において、前例を覆すこと は「過去の担当者や責任者を否定・非難することになる」と捉えられかねない。 多くの団員 が怪我をしているという「事実」よりも、組織の「メンツ」が優先される。 この硬直 した思考回路が、不合理な訓練を延命させている。 昔と変わらず続く同調圧力と訓練のための訓練 この「分かっていても言えない、変えられない」空気は、今に始まったことでは ない。 かつての戦争中、特攻隊のような無謀な作戦に対して「馬鹿げている」と感じ た人は多くいたはずだ。 しかし、それを口に出せば「非国民」と非難され、和を乱す 存在として排除された。 結果として、無駄死にした命が6000人以上に上ったのだ。 特攻隊からコロナ禍、消防団現場まで繰り返される「和を乱すな」の檻 この構造は、数年前のコロナ禍でも繰り返された。連日テレビが「昨日は1000人 以上です」と大騒ぎする中、私は「騒ぎすぎだ。 インフルエンザと同じじゃないか。 数年もすれば『何であんなに大騒ぎしていたのか』と振り返ることになるよ」と言い続 けた。 しかし、周囲からは猛烈な非難を浴びた。今、操法訓練の現場で起きているこ とも、その縮図に過ぎない。 感情論が支配する「真面目な過去への配慮」と目的のずれた操法 不条理を指摘しようとすると、決まって「これまで真面目に訓練に取り組んでき た人たちに対して失礼だ」という感情論が湧き上がる。 実は非難する側も、心のどこ かでは「おかしい」と薄々気づいているのかもしれない。 しかし、それを表立って明 言されると、自分の拠り所が揺らぐため、かえって激しく反論したくなるのだ。 そも そも操法訓練は、本番の消火活動でそのまま使うものではない。 消火の現場で「気を付け!」の姿勢がキレイだの、敬礼の腕の角度が90度かどうかだの、列がほんのちょっとズレていただの、靴に泥がついていただの、、、そんなことはどうでもよく、現場で再現されることはおおよそ想定されていない訳だから、いわば「訓練のための訓練」自体が目的化している。 安全靴の特性を無視 し、怪我のリスクを承知でスピードを競う。 そんな消防組織が安全講習で「ケガを防ぐために、ケガの要因を排除しましょう」なんて講義をしてるんだから 二流のブラックジョークである。 私自身、訓練自体は否定しないが、とりあえず言いたいの は、安全靴を使うならスピード競争にするべきではないという、ごく当然のことだ。 だからPTA改革には光がある さて、こうした消防団の絶望的な状況を整理したところで、改めてPTAの改革につ いて考えたい。 私は、PTAにはまだ大きな希望があると考えている。なぜなら、PTAが 前例を踏襲し続けている最大の理由は、消防団のような「おかしいという自覚はある けど、メンツがあるから(忖度しなきゃいけないから)止められない」ではなく、単 に「不合理なことをやっているという自覚がない」だけだからだ。 消防団との決定的な違い:自覚的拒絶か無自覚か 「分かっていないから変えない」のと「分かっているのに変えない」のでは、その差は天と地 ほどもある。 PTAの場合、多くの参加者は1-2年で入れ替わり、それが不合理だと気づ いた時には任期が終わっている。つまり、問題があるという自覚が無いから変わらないのである。 私の ように、カイゼン・改革が大好きでかなりのスキルをもつ激レアなタイプでも、1度イベントを体験してはじめて不合理に気付き、翌年カイゼン、でそのまた翌年、更にカイゼン、でやっとなかなかの結論にたどり着くことが少なくない。 大半のPTA役員はとりあえず目の前の イベントをそつなくこなすことで精一杯、カイゼンする気もないまま引退する。 だか ら、多くのPTAが変わらない・変えられないのは以前に述べた通りだ。 IT活用と可視化で動く組織変革の最初の一歩 しかし裏を返せば、ITの活用や効率的な仕組みを提示し、その「不合理」を可視 化して気づきさえ与えられれば、変わる余地は多分に残されている。 無論「去年通り を真面目にやればOK」「新しいやり方を考えるなんて面倒と思われる」という同調圧 力は強い。 「現状、不合理なのかもしれないけど新しい改善策を考えるほうがもっと 面倒くさいのでこのままでいい」という人も多い。 だから、「来年以降、ラクになる ように仕組みを作ろう」そんな気概をもったリーダーがいれば変われる余地は多分に あり、そんなPTAを応援したいのだ。 続きを読む

