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子供の頃、運動会で一番盛り上がった競技、覚えてますか

提言

運動会PTA競技、めちゃ楽しかったなあ 運動会からPTAリレーが消えた訳 ガチンコ教員・PTA選抜リレーがもたらした運動会のハイライトと熱気 子供の頃、運動会で一番盛り上がる時間が何だったか、覚えているだろうか。 それは児童の競技でも、閉会式の成績発表でもない。プログラムの終盤に組まれ ていた「児童選抜・教員選抜・PTA選抜」による、ガチンコのリレー対決だ。 あの時間の校庭は、独特の熱気に包まれていた。スターターピストルの音が響い た瞬間、大人たちが文字通り「本気」で激突する。「あ、◯◯君のママだ!」「嘘、め ちゃくちゃ速い!」「あの先生、小学生の時、陸上で全国大会に出たんだって!」そ んな噂が応援席を駆け巡り、大人たちの意外な一面が次々と露わになる。普段は物静 かな近所のお父さんが、現役の陸上選手顔負けの猛烈なダッシュを見せる。 そして何より忘れられないのが、普段は保健室でおっとりしているはずの保健の 先生が、異次元レベルの爆速でトラックを駆け抜け、次々と前の走者をゴボウ抜きに し、大差をつけていった瞬間だ。「えっ、あの先生、あんなに早かったの!?」地響 きのような大歓声の中、バトンを繋いで一躍ヒーローになった先生の姿は、子供心に 強烈なスパークとなって脳裏に焼き付いた。大人が本気で走り、本気で笑い、本気で 悔しがる。あのドラマチックな空間こそが、運動会のハイライトだった。 安全第一によるリレー廃止と保護者役割の裏方労働力化の問題点 しかし、いつしかそんな光景は学校から消え去ってしまった。おそらく、普段運 動しない大人たちがアキレス腱を断裂するなど、けが人が出ることが多くて廃止され たのだろう。安全第一の観点から見れば、廃止の判断は仕方のないことだったのかも しれない。 だが、それと引き換えに、現代のPTA活動は決定的な何かを失ってしまったのでは ないだろうか。 今のPTA活動を見渡してみると、我ながら、どうにも面白くない。なぜなら、保護者が「ただ の裏方の手伝い」に終始してしまっているからだ。コーンを並べたり、受付をした り、撮影エリアのロープ際で見張りをしたり、学校外の見回りをするとか。義務感と雑務ばかりが先行し、行事を 「一緒に楽しむ仕掛け人」ではなく、単なる「無料の労働力」のようになっている現 状がある。まあ、子供の行事なんだから保護者が影子に徹するのは当然という考えもあろうが、これではPTA活動が敬遠されるのも無理はない。 リスク排除型PTA競技の提案|安全な玉入れで大人の楽しみを復活させる 事故ゼロを実現する現代版引き算競技の導入 だったら、PTA競技を復活させたらどうだろうか。 「いやいや、また怪我人が出たらどうするんだ」という慎重論が聞こえてきそ うだが、何も昔のように全力疾走するガチのリレーをやれと言っているわけで はない。怪我のリスクが全くない競技だって、探せばいくらでもある。 例えば、ただの「玉入れ」だ。 玉入れなら、運動神経の良し悪しは関係ない。足をもつれさせて転倒するリスク もゼロだ。それでいて、制限時間内にどれだけ入れられるか、大人が本気になってカ ゴに玉を投げ込む姿は、見ている子供たちにとっても間違いなく大盛り上がりするコ ンテンツになる。運動経験は不問、ルールも単純で誰もがヒーローになれるチャン スがある。チェッコリ玉入れ、保護者の部はダンスも加点要素、そんな運動会もあるらしい。とてもいい案と思いませんか。お父さんお母さんがお尻フリフリで弾ける競技、ただ1つあるだけでみんなの満足感は数倍になるだろう。リスクを完全に排除した、現代版の「引き算の競技」だ。 事前準備不要、当日参加型競技だってできるハズ 名簿作成・出欠確認・チーム分けを廃止した業務スリム化の手法 さらに言えば、「PTA競技を新設するなんて、事前の準備や調整が大変だ」「前例 がない」と学校や周囲から反対されるかもしれない。 これも、解決策は至極シンプルだ。事前の名簿作成も、出欠確認も、チーム分け もすべてやめてしまえばいい。 運動会の当日、プログラムの合間にマイクを持ってこうアナウンスするだけでい い。「今からPTAの玉入れを始めます!参加したい人は、どうぞグラウンドに集まっ てください!」 これだけだ。何も難しいことはない。事前の登録なんて考えるから仕事が重くな り、前例踏襲の壁にぶつかるのだ。 「やりたい人集まれ」一声で始まる地域共生型学校行事の未来 その場でやりたい大人がノリで集まり、ただ楽しく玉を投げて、終わったら解 散。この「徹底的な事前準備の排除」こそが、業務のスリム化を求められる現代の PTA改革において、最も必要なマインドではないだろうか。 学校行事は、子供たちだけのものではない。大人だって、地域や学校とつながっ て、本気で笑って楽しめる場であっていいはずだ。ただのつまらない裏方で終わる運 動会だからPTAが嫌われるのだ。 まずは次の運動会、PTA競技を提案することから始めてみませんか。 続きを読む

部活の地域移行はなぜ失敗するのか?PTAが犠牲になる黒い真実

雑学

部活地域移行の「ドス黒い真実」——公教育を破壊する令和の棄民政策にモノ申す 部活地域移行政策の構造的問題とPTAへの影響 はじめに:PTAと部活、何の関係があるの? 今回は、すべての保護者、そしてPTA運営に関わる私たちにとって、決して他人事 ではない大きな社会変化についてお話しします。 それが、文部科学省やスポーツ庁が 進めている「中学校の運動部活動の地域移行」です。 私が関わる都立高校でもその動きが出始め ており、今後、公教育の現場ではこれが一般的になっていきます。 「え?部活の話でしょ?PTAと何の関係があるの?」と思ったあなたにこそ、ぜひ読んでいただきたい内容です。 なぜなら、この部活改革の構造は、私たちが直面して いる「昭和から抜け出せないPTAの課題」と、驚くほどそっくりだからです。 具体的に言いましょう。PTAの最大の病根とは何か。 「やってくれる人」が見つか れば何とかなる、という属人的なボランティア依存であり、タダ働きが「子供のため 」という美名のもとに当たり前として制度に組み込まれている構造です。 断れない善意の人にだけシワ寄せが集まり、疲弊した人が抜けても、他の正義感の強い誰かが犠牲になる ——この悪循環こそが、PTAが何十年も変われない根本原因です。 部活の地域移行は、まったく同じ失敗を、より大きなスケールで繰り返そうとし ています。そして何より、この改革の行き着く先には、PTAがその「都合の良い受け皿」として真っ先に利用されるという最悪のシナリオが待ち受けているのです。 そもそも「部活動の地域移行」とは何か 国が提示している資料によると、これまで学校が主体となって担ってきた部活動 を、今後は地域が主体となる「地域クラブ活動」などへ段階的に移行していこう、という大きなパラダイムシフトが進んでいます。 まずは「公立中学校」の「休日」の「運動部」から優先的に進める方針が示され ていますが、その背景には主に2つの深刻な理由があります。 少子化による部活の維持困難:生徒数が減り、単独の学校で はチームを組めない、やりたい競技の部活が存在しないという機会の不均衡が起きています。 教員の長時間労働・過酷な負担の軽減:人手不足のため、土 日を返上することもありますし、そもそも経験のない競技の顧問を担当せざるを得な いこともあり、教員の労働環境が限界を迎えています。 建前はこうです。 「子供たちのスポーツの機会を守りつつ、先生方の働き方改革 を同時に進める。」しかし、この美しいビジョンの裏に、国も自治体も絶対に口にしない「ドス黒い真実」が隠されています。 自治体・教育委員会の保身主義と現場無視の制度設計 「自治体・教育委員会」の本音は「部活に関わりたくない」 そもそも、なぜ急に国を挙げて「部活を学校から切り離そう!」と言い出したの でしょうか。教員の働き方改革?子供たちのための多様な選択肢? 半分は本当でしょうが、現場の動きを見ていると、もう一つのドス黒い動機が見え隠れします。 それは自治体や教育委員会の「これ以上、部活のトラブルに関わりた くない(批判されたくない)」という、あからさまな保身です。 近年、部活動におけるイジメはもとより、指導者の暴言・体罰、過酷な練習によるケガ、保護者間の 人間関係トラブル、移動中の事故など、何かあるたびに教育委員会や自治体がはげしく批判されてき ました。 部活動は公立学校において、オマケの位置づけでしかないはずなのに、ちょくちょく事件を招くわけです。かと言って部活動をなくす、というのは体裁が悪いから言えるわけがない。 「素人教員に無理やり顧問をさせるな」という世論からの突き上げも限界に 達しています。 だったらどうするか。 「部活を学校の外の組織(地元の地域クラブ、社会人チー ム、有志など)に丸投げしてしまえば、部活関連で何かあっても自分たちの責任にはならない」——そう、これは「子供たちにより良い部活動の機会を提供する」などという大義名分を借りた、壮大な「責任逃れ」の仕組みづくりに 他なりません。 彼らが制度設計において何よりも最優先にしていること。 それは子供たちのス ポーツ環境の充実でも、教員の負担軽減でもありません。 「自分が、そして自分の 組織が、絶対に非難されないこと」、それが最優先事項なのです。 彼らの本音では、部活動な んてスポーツごっこ、事件が起きれば面倒に巻き込まれる、そんな扱いです。 トラブルの責任を学校から切り離し、自分たちの任期中に問題が起きなければそれでいいという、究極の保身ファーストが生んだのがこの制度です。 「地域一丸で子供に運動環境をあたえよう。」 美しく聞こえる 「地域へのバトンタッチ」の正体は、単なる行政の「保身の仕組み化」に過ぎませ ん。 部活の意義も知らない似非エリートが作った机上の空論 この地域移行という制度をドヤ顔で考えている官僚や有識者会議の連中は、学生 時代に部活に全力で打ち込んだ経験が一度でもあるのでしょうか? そもそも教育行政を動かしているのは、東大・京大といった本当のトップ層では なく、「それなりの大学を出た二流官僚」が大半です。エリートのふりはしています が、勉強も運動も中途半端。そのくせ、数字と建前だけで現実を動かせる特権階級だと本気で思い込んでいるのです。 仲間と泥まみれになって汗を流し、限られた設備の中で工夫し、顧問の先生とぶつかり合いながら成長していく——そんな現場の熱量や、部活が持つ「教育的価値」を、彼らはこれっぽっちも理解していません。 彼らにとって部活とは、データ上の「教員の労働時間」であり、削減すべき「コスト」でしかないのです。しかも、トラブルメーカーだってことですから縁を切りたいと考えるのは無理からぬことです。 だからこそ、冷房の効いた部屋で数字と理屈だけをこねくり回した末に、「部活は地域のボランティアに任せれば解決」などという、現場の人間からすれば失笑モノの絵空事を平然と資料に書けるわけです。 現場を知らない、半端なプライドだけは一人前の二流官僚が、数字の辻褄合わせだけで作った制度が、まともに機能するはずがありません。 「地元の経験者やPTAに任せればいい」という絶望的な勘違い 学校から切り離すとなれば、代わりに指導する人が必要になります。 そこで自治体や偉い人たちが平然と口にするのが、次のようなお気楽なセリフです。 「地元企業のスポーツクラブや社会人チームに委託すればいい」「PTAの中にもスポーツ経験者がいるはずだから、協力してもえばいいじゃないか」 ……正気ですか?と声を大にして言いたいです。 資料の上では「有料化も視野に」なんて書かれていますが、実態として提示される予算は「基本ボランティア」に毛が生えた程度の謝礼だろうことは容易に想像がつきます。良くて交通費程度、下手をすれば完全無償のボランティア活動を想定(正しくは「期待」)しています。 ここで一度、冷静に考えてみてください。今の時代、平日は仕事でヘトヘトにな り、貴重な土日を潰してまで、他人の子供のために「ボランティアで熱心に部活を教えてくれる、指導力のある大人」が、そこら中に転がっているでしょうか? そもそも、運動経験があることと、思春期の中学生を安全に正しく指導できることは全くの別物です。 そんな都合の良い神様のような人材が、ボランティアベースで自発的に、毎年継続的に集まるわけがありません。 結局は、また一部の「断れない善意の保護者(PTA)」や「地域の熱血おじさん」 にシワ寄せがいき、属人的な自己犠牲に依存するだけの、旧態依然としたPTAと同じ失敗を繰り返すのがオチです。 歪んだ予算配分が招く公立教育の衰退と教育格差の拡大 「私立無償化」の前にやることがあるだろ——歪んだ予算配分の謎 百歩譲って、本当に教員の働き方改革を進め、持続可能な部活を目指すというの であれば、国や自治体が出すべきものは一つしかありません。 そう、「予算(お金 )」です。 民間委託するにしても、プロの指導員を雇うにしても、正当な対価を支払うだけ の予算が担保されていれば、問題は大きく変わります。 しかし、現場に降りてくるの は「基本的にボランティアを前提に進める」という、相変わらずの現場任せです。 ここで大きな矛盾に気づきませんか? 世間では「私立高校の実質無償化」が華々しくアピールされ、政治家・議員の人気取りのために莫大な予算がジャブジャブつぎ込まれています。 しかしその結果、私立学校にお金が回る一方で、公立学校の設備は老朽化したまま放置され、部活の指導員を雇うお金など当然のようにケチられてきたのが現状です。 本来、優先してお金を使うべき場所はここ、すなわち公教育の現場改善ではないでしょうか。 雨漏りする体育館や、ボロボロの部室といった「公教育施設の設備充実」 ボランティア頼みではない、プロ(じゃなくても相応の)の指導者を適正な対価 で雇うための「部活指導員の予算確保」 地域のインフラである「公立学校」の足元を固めることこそが、本来のスジのはずです。にもかかわらず、基礎となる公教育の予算をケチり、現場をボランティアという名の奴隷労働で 回そうとしながら、見栄えの良い授業料無償化だけに大金を投じる。 この歪んだ 予算配分のせいで、地方や公立の教育環境はどんどん干からびています。 義務教育の土台である公立中学校をスカスカにしておいて、一体何のための無償化なのか。順番が完全に狂っています。 待ち受ける未来:「公立の衰退」と「私立の超隆盛 」という冷酷な現実 この無責任な丸投げ改革が突き進んだ先には、一体何が起きるでしょうか。 予測される未来はあまりにも残酷です。 公立中学・高校の運動部(そのうち文化部も)の壊滅的な衰退。 指導者が集まらず、活動日は激減。大会に出るための調整や引率も誰もやらないため、部活としての体をなさなくなります。「名もない公立高校が強豪私立か ら逆転の大金星!」そんな光景は、もはや万が一にも起こらなくなるでしょう。甲子園の予選では公立高校が50対0、そんな無残なコールド負けをくり返すことになります。となれば、もはや部活動は教育意義など失い、単なるスポーツごっこ、自己肯定感を下げるだけの無用の長物です。 一方、お金のある家庭の子供は、最新の設備とプロの指導者 が揃った私立中学校・高校や、月謝が数万円する民間の本格的なクラブチームへ流れます。 そしてお金のない家庭の子供は、スポーツをやりたくても「 受け皿がない」「民間の月謝が払えない」という理由で諦めざるを得なくなります。 結果として生まれるのは、経済力によって規定される強烈な教育格差です。 「私立に行ける裕福な家庭の子だけが、まともなスポーツや文化活動を楽しめばいい」 ——今回の改革を進める連中の本音は、結局そういう冷酷なビジョンに行き着くので す。これはまさに「令和の棄民政策」と呼ぶほかありません。 まとめ:PTAは行政の「予算ケチり」の生贄になってはいけない 教員の負担を減らすこと自体には、私も賛成です。 スポーツ素人の教員たちを縛り付けるのは今すぐやめるべきです。 しかし、自治体や教育委員会が自分たちの責任を回避するために、十分な予算も 受け皿の担保もないまま「あとは地域でよろしく!PTAも利用できると思うよ!」と 放り出すのは、あまりにも無責任です。職務放棄と言っても過言ではありません。 私たちPTAは、学校をサポートする組織ではありますが、行政の失策や予算ケチりの穴埋めをする便利屋ではありません。 このままでは「伝統のチームだから」「子供のためだから」とPTAメンバーが監督やコーチに駆り出されることも視野に入れる必要があります。 この同調圧力に負けて、部活指導のボランティア化の波に巻き込まれないよう、私たち保護者は冷徹に、批判的な目を持ってこの動きを監視し続ける必要があります。おかしなことには「おかしい」と声を大にして、NOを突きつけていきまし ょう。 ポンコツ役人の言う「新しい当たり前」に、これ以上騙されてはいけません。 https://youtu.be/13eZphC8rXA 続きを読む

消防団操法訓練で見えた、PTAの可能性

効率化

消防団操法訓練の実態にみるPTA改革の可能性 消防団操法訓練における安全靴着用と怪我の必然 今回は一見、PTAと離れた所から話が始めよう。 同じボランティアなら手当が支給されるほ うがいいじゃないかってことで地元消防団に加入したのが1年ほど前のこと。 消防団には春の大イベントがある。今回は消防団の代名詞ともいえる「操法訓練」の実態についての話だ。 消防庁が持っているデータによれば、消防団の活動で最も怪我が頻発するのは、 実際の火災現場ではなく、この操法訓練の練習中だという。 大半が下肢、特に足首や ヒザのケガ。しかも、その原因まで特定されている。それは「安全靴を履いていること」 だ。まあ、ここまでは傍目で見ているだけで簡単に想像がつく。 安全靴で走らせるなんて、、、どうかしてるよ 本来、安全靴は重量物の落下や熱、危険物から足を守るためのものであり、その 設計思想は「運動機能を制限してでも安全確保に特化すること」にある。 関節を固定 して保護する靴は、当然ながら激しい運動や機敏な動きには向いていない。おおよそ歩けないスキー靴 よりは歩きやすいというレベルの靴だ。 そんな靴を履いて全力で走り、急に振り向 く、あるいは急停止するといった動作を繰り返せば、逃げ場を失った衝撃が足首や膝 に集中する。 足首を痛める可能性が極めて高いのは、構造上、必然なのだ。 役所マインドと前例踏襲が招く組織の硬直化 消防団員のケガ第一位の原因は分かっており、データも揃い、物理的な無理も明白。 それなのに、操法訓練を中止しようとか、スピード優先の評価ルールを変え ようという動きにはならない。 これこそ、このブログでも再三繰り返していることだ が、日本の組織に深く根を張る「前例踏襲」の正体である。 「過去の否定」を恐れるメンツ優先の思考回路 なぜ変えられないのか。 その最大の障壁は、合理的な判断基準ではない。 「やり 方を変えることは、これまでの自分たちのやり方が間違っていたと認めることになる 」という、いかにも役所的な発想だ。 特に役所という組織において、前例を覆すこと は「過去の担当者や責任者を否定・非難することになる」と捉えられかねない。 多くの団員 が怪我をしているという「事実」よりも、組織の「メンツ」が優先される。 この硬直 した思考回路が、不合理な訓練を延命させている。 操法訓練という名の「体操競技」 この「分かっていても言えない、変えられない」空気は、今に始まったことでは ない。 かつての戦争中、特攻隊のような無謀な作戦に対して「馬鹿げている」と感じた人は多くいたはずだ。 しかし、それを口に出せば「非国民」と非難され、和を乱す 存在として糾弾された。 結果として、無駄死にした命が6000人以上にのぼったのだ。 誰もその責任を取ることもなく。 特攻隊からコロナ禍、消防団現場まで繰り返される「和を乱すな」の檻 この構造は、数年前のコロナ禍でも繰り返された。連日、テレビが「昨日は1000人以上です」「Aさんが死にました」と大騒ぎする中、私は 「騒ぎすぎだ。インフルエンザと同じじゃないか。 数年もすれば『何であんなに大騒ぎしていたのか』と振り返ることになるよ」と言い続 けた。 しかし、周囲からは猛烈な非難を浴びた。今、操法訓練の現場で起きていることも、その縮図に過ぎない。 感情論が支配する「真面目な過去への配慮」と目的のずれた操法 不条理を指摘しようとすると、決まって「これまで真面目に訓練に取り組んできた人たちに対して失礼だ」という感情論が湧き上がる。 実は非難する側も、心のどこ かでは「おかしい」と薄々気づいているのかもしれない。 しかし、それを表立って明 言されると、自分の拠り所が揺らぐため、かえって激しく反論したくなるのだ。 そもそも操法訓練は、本番の消火活動でそのまま再現されるものではない。 「気を付け!」の姿勢で腰が曲がっていただの、敬礼の腕の角度が90度じゃないだの、列がほんのちょっとズレていただの、靴に泥がついているだの、足幅が広いだの狭いだの、指先がまがってるかだの、、、そんなことで減点される。要するに体操競技と同じ仕組みなのだ。もちろん、火事の現場ではそんなことはどうでもよく、現場で再現されることはおおよそ想定されていない訳だから、いわば「訓練という名前の競技」であり、競技自体が目的化している。 安全靴の特性を無視 し、怪我のリスクを承知でスピードを競う。 そんな消防組織が安全講習で「ケガを防ぐために、ケガの要因を排除しましょう」なんて講義をしてるんだから二流のブラックジョークである。 私自身、訓練自体は否定しないが、とりあえず言いたいの は、安全靴を使うならスピード競争にするべきではないという、ごく当然のことだ。 だからPTA改革には光がある さて、こうした消防団の絶望的な状況を整理したところで、改めてPTAの改革につ いて考えたい。 私は、PTAにはまだ大きな希望があると考えている。なぜなら、PTAが 前例を踏襲し続けている最大の理由は、消防団のような「おかしいという自覚はある けど、メンツがあるから(忖度しなきゃいけないから)止められない」ではなく、単 に「不合理なことをやっているという自覚がない」だけだからだ。 消防団との決定的な違い:自覚的拒絶か無自覚か 「分かっていないから変えない」のと「分かっているのに変えない」のでは、その差は天と地 ほどもある。 PTAの場合、多くの参加者は1-2年で入れ替わり、それが不合理だと気づ いた時には任期が終わっている。つまり、「問題があるという自覚が無いから変わらない」のである。 私の ように、カイゼン・改革が大好きでかなりのスキルをもつ激レアなタイプでも、1度イベントを体験してはじめて不合理に気付き、翌年カイゼン、でそのまた翌年、更にカイゼン、でやっとなかなかの結論にたどり着くことが少なくない。 大半のPTA役員はとりあえず目の前の イベントをそつなくこなすことで精一杯、カイゼンする気もないまま引退する。 だか ら、多くのPTAが変わらない・変えられないのは以前に述べた通りだ。 IT活用と可視化で動く組織変革の最初の一歩 しかし裏を返せば、ITの活用や効率的な仕組みを提示し、その「不合理」を可視化して気づきさえ与えられれば、変わる余地は多分に残されている。 無論「去年通り を真面目にやればOK」「新しいやり方を考えるなんて面倒と思われる」という同調圧 力は強い。 「現状、不合理なのかもしれないけど新しい改善策を考えるほうがもっと面倒くさいのでこのままでいい」という人も多い。 だから、「来年以降、ラクになる ように仕組みを作ろう」そんな気概をもったリーダーがいれば変われる余地は多分に あり、そんなPTAを応援したいのだ。 https://youtu.be/FA_Cy9N5-8w 続きを読む

PTA非加入者には別途料金で、、、っていうかそもそも連絡手段が無い

提言

PTA 非加入問題の本質:卒業式で記念品を渡せなかった役員の苦悩 卒業式:PTA 非加入の子に記念品を渡せなかった現実 あの子に記念品を渡せなかった。辛い思いをしたのは、ボランティアの PTA だった。卒業式の日のことを、今でも思い出す。体育館には、六年間を駆け抜けた子どもたちの晴れやかな顔が並んでいた。保護 者席には、カメラを構えた親たちの笑顔。そして私たち、PTA の役員は、舞台の袖で 記念品の入った紙袋を前に、息をひそめていた。紙袋には 1 つ 1 つ児童たちの名前 が書かれている。でも一人の子の紙袋は用意されていない。渡せない。渡してはいけない。でも、目の前にいる。あの時の感覚を、どう言葉にすればいいのか。胸が締め付けられるとか、心苦し いとか、そんな言葉では全然足りない。もっと重くて、やるせなくて、誰かに怒鳴り たいような、でも怒鳴れる相手がどこにもいないような。そういう感覚だった。 個人情報保護の壁:PTAは非加入者へ連絡できない 「連絡する手段がない」という、誰にも見えない壁 私も再三、非加入問題について記事を書いてきた。 PTA非加入者の子どもに記念品は配るべき?感情論ではなく、論理的に公平と持続性から考える PTA非加入世帯の児童生徒を区別/差別するの は違法なのでしょうか? PTA強制加入問題について、めちゃ詳しく考えてみた PTAへの加入は義務?任意? そして、PTA 非加入の問題は世間でにぎやかに議論 されている。「同じ児童・生徒なのだから非加入者への差別はやめろ」「子供自体は 非加入者ではない」「いや、サービスを享受するなら費用を払うべきだ」。SNS では 毎日、誰かが誰かの意見に噛みついている。 だが、実際にその現場にいる私たちは、別次元の悩みを抱えている。というのも、議論の出発点にすら立っていないからだ。「非加入者に実費をお知らせして、要否を問う」「行事案内を別途送る」理屈の上では正しい。でも、どうやって? PTA が持っているのは「加入届を出した人」の名簿だけだ。個人情報保護法の壁があるから、学校から全児童の名簿をもらうことはできない。つまり、「誰が加入していないか」を、PTA は公的に知る方法がないのだ。現実解としては、学校で配布される名簿と照らし合わせて検証するほかない。(しかし、ハードルが上がっていて、最近は、そもそも児童生徒に名簿を渡さない学校もあると聞く。)じゃあ、名簿がある場合は 問題ないかと言えばそうでもない。名簿と突き合わせれば非加入者を判別することはできる。そうだ、物理的にはできる。でも、それをやれば「名簿を目的外使用した」と批判されかねない。 誰がそのリスクを背負うのか。PTA はボランティアの、無給の、ただ「子どもたちの ために」と思って手を挙げた善意だけの人間だ。 全員配布案の矛盾と加入者への不公平感について 「全員に配れば?」という無邪気な提案の、残酷な現実 そうなると「非加入者だけに実費をお知らせしたい」場合であっても、全家庭に案内を出 しかない。それでいいじゃないか、と言う人がいる。考えてみてほしい。すでに加入している保護者たちにも「加入していない方へ、実費のご案内です」 という手紙が届く。その瞬間、何が起こるか。「え、加入しなくてもよかったの?」 「加入しない人、どれくらいいるんだろう?」 「お金を払ってたの、ばかばかしい」。善意で会費を払い続ける人たちの心に、 小さな火がつく。PTA が自分の手で、自分の足元に油をまくようなものだ。「寝た子を起こしたくない」というのは、保身でも隠蔽でもない。必死に組織を 支えようとしている人間の、ぎりぎりの判断なのだ。 親の選択と責任:子供に罪はないという甘い毒 「同じ子どもなのに」という言葉の、甘い毒 「子供に罪はない、加入非加入に関係なく平等に接するべきだ。」他の記事で指摘している通り、PTA の役員にもそういう意見がある。いや、むしろ、こういう平等主義者は PTA 会員にこそ多い(と言ったものの、そもそも非会員 と接する機会自体がないので、本当のところは分からない)。私にはバカげた意見なのだが、たとえ話をしてみよう。ディズニーランドの入り口で、親に連れて行って もらえないけど入りたそうにしている子がいたとする。「この子も同じ子どもなんだ から、ミッキーに会わせてあげるべきだ!」と言う人は、いないだろう。誰もが「そんなバカな」と笑うはずだ。なぜ PTA の記念品になると、全く違う話になるのか?なぜ「教育の場だから」「 子どもは平等に」という言葉が、魔法のように論理を曲げてしまうのか?加入・非加入を決めるのは、親の権利だ。それは誰も否定しない。でも権利に は、必ず責任が伴う。「加入しない」と選んだなら、その結果として何が変わるのか を、自分の子に、自分の言葉で説明するのは、親の仕事のはずだ。 泣きたいのは子供じゃなくてPTAです! 卒業式の話に戻る。記念品を受け取れなかったその子が、どんな顔をしていたか。私には見る勇気が なかった。ただ、会場をあとにする人の波に紛れながら、「ごめんな」と心の中で繰 り返していた。謝る相手も、謝る理由も、本当は違うはずなのに。なんで私たちがこんな想いをしなきゃいけないのか?笑えない。本当に笑えない。もう、限界だ。現場の役員たちは、悲鳴を上げている。ただ、声にならないだけなのだ。「応援したい人が、応援できる範囲で支える」。PTA の本来の姿は、そういうシ ンプルなものだったはずだ。その健全な姿に戻るために必要なのは、難しい法律の改 正でも、組織の解体でもない。自分の選択の結果を、自分で引き受けること。ただ、それだけだ。その当たり前の関係性を取り戻せる日が来るまで、今日もどこかで、名前も知ら れない PTA 役員が、泥をかぶり続けている。 続きを読む

PTA会長が2人いればPTA運営はスムーズになる

PTA会長は2人でもいい?役員不足を解消 する「共同会長制」のメリットと成功の秘訣 とは?

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【実録】PTA会長を「2名体制」にしてみた結果。役職不足を解消する新しい秘策になるか? PTA会長って1人じゃなきゃダメですか? PTA会長が2人いればPTA運営はスムーズになる 「立候補者がいない」「沈黙が続く」……。役員決めは、多くの 保護者にとって最も気が重い時間かもしれません。特に「会長」 や「委員長」という役職は、責任の重さや拘束時間の長さから敬 遠されがちです。 実際、役員決め・委員長決めの場では、誰もが視線を合わせないようにうつ むき、重苦しい沈黙が流れる……そんな状況が珍しくありません。 「遠いから」「仕事があるから」「小さい子がいるから」「介護があるから」逆に「ヤル気満々と思われたくない」——理由 はさまざまですが、根底にあるのは「一人ですべてを背負う恐怖」ではないでしょう か。会長・委員長は各メンバーへの連絡、学校 との窓口、地域との連携、保護者への説明、トラブル対応など、想像以上に多岐にわ たる業務を担います。しかも前例や引き継ぎが不十分な場合、すべてを手探りで進め なければなりません。 さらに現代の保護者は、共働き世帯が増え、時間的・精神的な 余裕がますます少なくなっています。そんな中で「会長を引き受 けてください」と言われても、誰もが二の足を踏むのは当然のことなのかもしれません。結果とし て、くじ引きや押し付け合いになり、引き受けた人は不本意なが ら一年間を過ごすことになる——こんな悪循環が、全国のPTAで起き ているのではないでしょうか。 そこで私たちの学校では、「会長2名体制(共同会長制)」にするという新しい試みを行っています。その結果、思いのほかスムーズに運営が回り始めたのです。立候補者も現れ、役員決め・委員長決めの雰囲気も一変しました。もっとも、このツートップ体制はそれなりにメジャーなやり方ではあるようです。この記事では、その実体験をもとに、共同会長制のメリットと成功のポイントをお伝え します。 なぜ「会長2名体制」で成功したのか? 3つのメリット 1. 心理的ハードルが劇的に下がる 「自分一人ですべてを背負わなくていい」という安心感は絶大です。代わってもらえる相手が常に横にいることで、孤独な決断を迫られるストレスが解消されました。 PTA会長の最大の負担は、実は「業務量」だけではありませ ん。むしろ「判断の連続」と「孤独感」が精神的に大きな重圧となります。たとえ ば、学校側から急な相談があったとき、前例のない問題が起きたとき、保護者から苦 情が寄せられたとき——こうした場面で、一人で即座に判断を下さなければならないプ レッシャーは計り知れません。 しかし2名体制なら、「ちょっと相談していい?」と、その場で意見を交わすこと ができます。二人で考えることで視野が広がり、より良い判断ができるだけでなく、 「一緒に決めた」という安心感が得られます。 本部内で役職を決めるにあたり、書記や会計・副会長が決まり、残った内から誰 か一人が背負わなきゃ、、、という状況で、だったら「二人で分担するのはどぉ?」という所から共同会長制度が誕生しました。1人で背負うという心理 的ハードルが下がることで、立候補しやすくなるのです。 2. 「得意分野」で役割分担ができる 2人いれば、それぞれの強みを活かせます。私の場合はこのような役割分担になっています。 Mちゃん:人前で話すことや、学校・地域との折衝を担当。コ ミュニケーション力に長けており、保護者説明会や地域行事での挨拶、学校側との調 整を主に担当しました。 私:資料作成や、内部の事務連絡を徹底サポート。PCスキル があり、議事録作成、メール配信、アンケート集計などの裏方業務を一手に引き受け ました。 このように分担することで、1人あたりの負担は半分以下になります。 会長一人体制では、得意・不得意に関わらず、すべてを一人で こなさなければなりませんでした。人前で話すのが苦手な人も挨拶をし、PCが苦手な 人も資料を作らなければならない——これでは効率も悪く、本人も疲弊してしまいま す。 しかし2名体制なら、「外向きの仕事」と「内向きの仕事」を明確に分け、それぞ れの得意分野に集中できます。結果として、業務のクオリティも上がり、会 長自身の満足度も高まりました。さらに、「自分の得意なことで貢献でき る」という実感が、やりがいにもつながるのです。 実際、業務量には偏りがありますが、その分、「Mちゃん、ア レお願いね」と言いやすいし、そもそもPC作業は苦ではないから不満は無いのです。 この共同体制による柔軟性は、持続可能な運営を支える鍵となりえると思ってい ます。 3. 「バックアップ」がある安心感 仕事や急な家庭の事情で、どうしても外せない行事に出られないこともありま す。2名体制なら、どちらかがカバーできるため、「絶対に穴を開けられない」とい うプレッシャーから解放されました。 たとえば、ある日、Aさんの子どもが急に高熱を出し、学校行事に出席できなくな った、そんなこともあるでしょう。従来なら、会長不在で混乱が 生じたり、あるいは無理をして出席したりする必要があります。でも、2名体制では、Bさんが 代わりに出席し、事後にAさんへ報告することで、何の問題もなく乗り切ることがで きます。 この「バックアップがある」という安心感は、精神的な余裕を生み出します。子どもの学校行事や仕事の繁忙期、家族の介護など、生活には予測不可能な事態がつき ものです。そんなとき、「代わりがいてくれる」と思えるのは精神衛生上、非常にプ ラスに働くでしょう。 注意点 会則の変更 通常、PTAの会則で会長を1名と明記していることが多いので、 「1-2名」にするという事務手続きは必要です。大抵はPTA総会で 変更することになるでしょう。 多すぎても困る 共同会長にならって、当校PTAの某委員会で は委員長4人という状態が生まれてしまいました。しかし、これは明らかに多すぎです。「船頭多くして船山に上る」。4人もいれば、結局、何もしない人も出てくるし、無駄に意思疎通もしづらいで す。実際のところ、各自1/4の負担になるつもりが、1人がほぼ全部を引き受ける羽目になっていました(とはいえ、一般に本部役員よりは軽いと思いますが)。 まとめ:PTAはもっと持続可能になれる これまでの「1人のリーダーが引っ張るPTA」から、「みんなで支え合う PTA」へ。会長2名体制は、役員不足に悩む多くの PTAにとって非常に有効な選択肢です。 もし「誰もやりたがらない」と行き詰まっているのなら、枠組みそのものを変え てみるのはいかがでしょうか? PTA活動は、本来「子どもたちのため」に行うものです。しかし、保護 者が疲弊し、不満を抱えながら続けるのでは本末転倒です。持続可能で、 前向きに取り組める仕組みを作ることこそが、結果的に子どもたちの学校生活を豊か にすることにつながります。 共同会長制は、その第一歩になり得ます。もちろん、すべてのPTAに当 てはまる万能策ではありませんが、「そもそもルール自体を変えてもいいんだ」という意識改革のきっかけにはなるはずです。 「やってみたら意外に楽しかった」多くの役員がそう言って巣立っていきます。「誰かがやらなければならない」という義務感ではなく、役割分担により「自分 にもできることがある」という前向きな参加意識が生まれる——そんな PTAを、ぜひ一緒に作っていきましょう。 https://youtu.be/x1OmNPwXojU 続きを読む

PTAはなぜ変わらないのか?毎年同じ間違いを繰り返す理由とは?

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PTAはなぜ毎年同じ失敗を繰り返すのか? この記事の対象者 「無駄が多い」と感じながらも、前例踏襲から抜け出せないPTA役員の方 改革を提案したいが、周囲の反応や組織の慣性に不安を感じている方 現代の共働き世帯や少子化に合ったPTA運営のあり方を模索している方 この記事でわかる事 PTAが「昭和のモデル」のまま停滞し、変革が進まない根本的な要因 マネジメント経験の不足や「批判を避けたい心理」が運営に与える影響 非効率な現状を打破するために必要なリーダーシップとIT活用の視点 PTA活動の現場で、誰もが直面する課題の一つが、「前例踏襲」。 不合理だとか不効率だとか、そういったことに目を向けることなく(時には敢えて目をつぶり)何も考えることなく、今までこうしてきたからこうやってます、という訳です。もちろん、ちょっとした改善は進んでいるのですが大きな変革は見られず、周囲からは「いまどき、どうしてあんな無駄な事を?」と思われてしまっています。 僕自身も、15年近くPTA本部役員を 務めてきた経験から、それを痛烈に実感しています。 PTAがこれだけ非効率と言われながらもあまり改善されること無く前例踏襲を続けるのは何故なのでしょうか? この変革が進まない大きな一つの要因は、役員のマネジメント経験不足にあるのだと考えます。 マネジメント経験の欠如 PTA役員は、その構成メンバーが多様な職業の保護者で構成されます。主婦はもち ろんのこと、会社員、フリーランスなど、それぞれの立場や経験によってスキルセッ トは大きく異なります。多くの場合、主力メンバーである女性陣はパート・アルバイ トでの労働経験しかなく、組織運営の経験を持つ人材が少ないのが現状です。 多くの場合、役員は前任者から引き継がれた過去の業務をこなすことに終始し、 長期的な視点での改善策を考える余裕がないのです。 「去年こうやってたから」とい う理由で、変化を避ける傾向が強く見受けられます。まるで去年がお手本で、その通りに再現することが自分の役割と考えているかのような状況です。 当事者意識と社会構造の変化 PTA活動への参加意識が薄れる要因として、多忙な保護者の増加が挙げられます。 仕事と家庭の両立に追われる中、PTAの会議やイベントに参加すること自体が大きな 負担となり、結果として活動への関与が薄れてしまいます。 保護者同士のつながりが 希薄になっていることも、改善への意識を低下させる要因となります。そして役員は今、目の前にある 自らの役割を無難に果たすことに終始してしまい、別のやり方を考えるなんて思いも しなくなってしまうのです。 共働き家庭の増加 近年、共働き世帯やシングルペアレント家庭の増加が顕著です。このような家庭 環境では、親たちが仕事と家庭の両立に追われ、PTA活動への参加が難しくなってい ます。会議やイベントへの参加は、仕事のスケジュールを調整しなければならないた め、欠席するほかない状況が生じます。 絶対的な数の減少 少子化の影響もPTAの運営に深刻な影響を与えています。子どもが減少し、当然PTAの 会員数自体も減少しているのです。 この点、高校だと、定員が決まっていて人数自体 は長らく変わっていないということもあるでしょうが、公立の小中学校について言え ば、ごく一部の新興住宅街を除けば、児童数が30年前の半分以下、1/3以下というの がごく普通の状況です。 さらに、共働き世帯の増加やシングルペアレント家庭の増加、そして親の介護に 苦労している人も少なくありません。役員業務を引き受けられる担い手がますます少 なくなっているのが現状です。 現在のPTAの原型は昭和時代に作られました。午前中 に朝食の片付け、掃除洗濯を終えると午後はメロドラマを見て夕方にスーパーへ買い 物、、、そのような、日中はヒマなお母さんが沢山いた時代に形成されたのです。 私が小学生の 頃には「亭主元気で留守がいい」という流行語もあったように、家庭環境が大きく異 なっていました。そんな時代に作られたPTAですから、現代の状況に合わせて見直す必要があります。 役員の負担が一部の保護者に偏り、現状を維持するのが精一杯という状況が続いていま す。役員が限られた人数で運営を行う中で、特定の保護者に多くの業務が集中するこ とは避けられません。 これにより、役員の負担が重くなり、活動への意欲が削 がれてしまうのです。さらに、役員を引き受けたくない保護者が増えることで、役員1人1人の負担が増し、次の役 員を選出すること自体が困難になる、という悪循環が生まれています。 慣性と心理的要因 組織文化の慣性 あなたの学校のPTAでも「前からこうやってきた」という理由だけで続いている謎 の慣習があるはずです。例えばベルマーク集めをなぜやっているのか、なぜ毎月1回、空き缶つぶしをやっているのかその慣習を繰り返すことが目的化しており、何のためにやっ ているのかわからないまま、役員やメンバーが中止や新しい提案・改善策を提案する ことすらなくなっていることもあります。 特に、長年役員を続けているベテラン(通称ボスママ)がいる場合、過去の成功体験が強く意識さ れ、新たな試みを拒絶することも珍しくありません。私が小学校の本部役員に関わり始めたころ、そんなボスママがいました。口では「意見があれば言ってくれ」というものの、本人は何も変える気が無く、何を提案しても却下されたのを覚えています。この慣性は、非効率なプロセス や運営方法がそのまま続く原因となり、改革を進めるための障壁となります。組織の中で変化を恐れる空気が漂うことで、メンバーが意見を言い出しにくくな り、さらなる停滞を招くことになります。その意味でも、守るべきは守る、変えるべきは変える、リーダーにはそんな考えが必須です。 批判を避けたい心理 また、改革を提案することが「面倒なことを増やす」と見なされることも大きな 問題です。PTAの活動はボランティアベースで行われているわけで、役員やメンバーは仕事を調整し、自分 の時間を割いて活動に参加しています。 そのため、たとえ長い目でみれば省力化になるとしても新し い方法を検討すること自体が新たな負担を生む可能性があると感じると、現状維持を 選択する心理が強く働きます。要するに、考えるのが面倒くさいから今まで通りでいいや、という訳です。 スキル不足 種々の理由が重なって、ムダだの時代遅れだのと批判されながら、当の役員たち も何となく気づきながら変わらない不効率運営がまかり通っている現実があります。 最近の技術進歩により、AIやプログラミングを活用することで、運営の効率化や 合理化が劇的に進む余地は多分にあります。しかし、各PTAにはそれぞれの個別事情 があるわけで、これらのテクノロジーを効果的に活用するためには各PTAの実情にあわせた カスタマイズが避けられません。 しかし、多くの役員はPCやITに明るくないことが多いし、詳しい人がいても仕事にSNSにYoutubeにと、 多くのことに追われており、最新のテクノロジーやツールについて学ぶ時間や余裕がなく、新たなツールや仕組みの導入が進まないの です。 この状況を打破するためには、リーダーシップとAIやITの知識をもって変革に取 り組む本部役員が現れるのを待つしかないのかもしれません。 行列のできるPTAはそのお手伝いをします。だからあなたに是非その役 割を担ってほしいと思います。 続きを読む