PTAがないと運動会ができない?歪んだ学校運営を乗り切るサバイバル術とは

PTA問題の深層:行政の不作為と現場の麻痺を乗り越えるサバイバル術

運動会の朝。グラウンドにテントが並び、放送機材が組まれ、プログラ ムの横断幕が張られている。これを設営しているのは、朝7時から出勤した教員と PTAの男性メンバーたち。女性メンバーは受付や自転車置き場への誘導、会場の警備 などの運営補助を担っている。毎年、当たり前の恒例行事として見られている風景 だ。

ここで問題を提起してみよう。すでに広まっている通り、PTAは学校とは 独立の任意の団体である。しかしこのPTAの協力を前提に学校のイベントが設計され ている状態は、制度として正常なのか。

冒頭のように、運動会の設営や受付・警備といった裏方業務をPTAに頼ら ざるを得ない状況は、現在の公立学校では当たり前のことになっている。しかし、本 来は任意団体であるはずのPTAの労働力がなければ行事が成立しないという学校の体 制こそが、実は大問題であるという認識を私たちはまず持つべきだ。

構造の解剖──行政の「不作為」と現場の「麻痺」

「任意団体への依存という根深い構造」のテーマを象徴する、PTAリーダーの男  性が手書きの帳簿や電卓に囲まれて絶叫する過剰な表情の描写

任意団体への依存という根深い構造

PTAは社会教育法第10条が定める「社会教育関係団体」であり、加入を義務付 ける法律は存在しない。国も「入退会は保護者の自由」と明言している。それなの に、学校運営の中にPTAの労働力ががっちりと組み込まれている。これが問題の根源 だ。

本当の問題は「PTAという存在そのもの」ではなく、「PTAがないと学校が困 る」という体制そのものにある。学校の人手不足を任意団体の労働力で埋めている構 造は、行政が負うべき責任を実質的に転嫁している状態にほかならない。

労働力にとどまらない財政的依存

さらに言えば、この依存は労働力だけにとどまらない。私の学校では、本来 は教育課程内として公費で賄うべき「出張授業」の経費まで、PTA会費から捻出して いる。本来、行政が負担すべきコストをPTAに頼っているのが現状なのだ。

放置される現状と現場の麻痺

行政側の姿勢

行政側もこの現実を分かっているはずだ。しかし、分かっていてあえて放置 している。報道を見ていればわかるように、問題が完全に顕在化して初めて、重い腰 を上げて予算をつけるような動きをする。

現場に広がる麻痺

何より根深いのは、学校もPTAもこの歪んだ仕組みを前提に長年動いてきてし まったために、もはや現場の誰もこれを問題にしていないという「麻痺」の現実であ る。

私自身このようにブログでPTA問題を深く考えるようになったからこそ、毎年 の出張授業の原資がPTA会費になっていることの問題点に気づいたのだが、学校もPTAもゆでガエル状態。問題が問題とすら認識されない現実があるのだ。

すぐに改善されない現実と、どう向き合うか

PTA マニアが、山のように積み重なった手書き帳簿と電卓に囲まれた学校集会  場で、絶望と怒りで叫びながら、新しいデジタルシステムへの希望を叫んでいる激し  い瞬間。

なぜ問題が表面化しないのか

教員が本来やるべき行事ではあるが、人手が足りないからPTAに頼み、PTAの おかげでなんとかイベントが回っていて、PTAも子供たちのために必要だからまあい いや、と納得しているから誰もそれ以上の大きな問題にしない。

「PTAの協力がゼロだった場合」を想定した行事に設計し直すしかない。そん な考えもあるだろう。極めて正論である。

現場の知恵で生き抜くサバイバル術

しかし、現実を見渡したときに、公立学校を取り巻く行政の仕組みや予算措 置が来月からすぐに劇的に改善されることは期待できない。声を大にして行政の責任 を追及することは正論だが、体制が変わるのを待っている間にも、目の前の運動会や 行事はやってくる。

であれば、この「行政がサボって放置している」という歪んだ大問題を前提 とした上で、私たちは視点を切り替える必要がある。すぐに変わらない仕組みを嘆い て消耗するのではなく、いかにこの状況を現場の知恵で生き抜くかというサバイバル 術が必要なのだ。

つまり、「現体制が間違ってる、変えないと!」と主張するだけでは何も変わらない。

「『PTAの協力がゼロだった場合』を想定した行事に設計し直すしかない。」と考えている間に行事を迎えてしまい、通り過ぎることになる。

PTAの逆転発想──いかにこの状況を楽しめる組織にするか

PTA マニアが運動会の受付で、苦役を「楽しむイベント」という逆転の発想で  絶叫し、歓喜の涙を流す過剰に興奮した姿

「苦役」から「楽しむイベント」への昇華

すぐに体制が変わらないのであれば、今PTAに求められているのは、いかにこ の状況を義務ではなく「楽しむイベント」にできるかという逆転の発想だ。

「やらされる苦役」として運動会の警備や受付をするから、不満と疲弊が溜 まっていく。そうではなく、行政がリソースを放棄してしまっているマニアックな状 況を逆手に取り、保護者自身が「学校のイベントを裏から動かす当事者」として、そ のプロセス自体を面白がれるような仕掛けやマインドセットを作っていく。

全国で始まりつつある新しい取り組み

すでに全国では、義務としてのPTAを解散し、やりたい人がその都度手を挙げ る登録制のサポーター制度などに移行し、結果として保護者の自発的な参加が増えた 事例も動き始めている。義務だから動く組織から、自発的に関わりたい人が楽しむ組 織へ。PTAという名前かどうかはともかく、無理無駄なくして楽しい集合体にしてい かなければならないのは再三繰り返している通りだ。

おわりに

「おわり」のセクションに関連する、PTA マニアが夢中になって笑みを浮かべ  て手を広げる非常に力強い表情で、成功したデジタル会計システムの画面を掲げるダ  イナミックな姿。

世に蔓延るアンチPTAは、「活動が強制なのはおかしい」「無駄が多い」と批 判する。しかし、問題の根源はPTA自体ではなく、行政の怠慢だということにまで考 えがいたってないだろう。

学校行事の運営が「PTAがあるから助かっている」どころの話ではなく、「 PTAがないと困る設計になっている」。この行政の怠慢による構造的な問題に気づ に、中長期的に仕組みを疑い続けることは教員にとっても保護者にとっても第一歩と して不可欠だ。

しかし同時に、今この瞬間を生きる私たちが疲弊しきってしまっては意味が ない。変わらない行政の体制に潰される前に、まずは目の前の行事を「いかに楽しむ か」へ舵を切る。そのしたたかなマインドシフトこそが、結果としてこれからの学校 運営を柔軟に変えていく原動力になるはずだ。