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「子どものために」はもう限界 義務感ではなく、自分も楽しむPTA

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私が「子どもたちのために」と言わない理由──PTAを「義務」から「楽しみ」に 変える発想転換 「子どもたちのために」が生む同調圧力と違和感の実態 「子どもたちのために」という"魔法の言葉"の違和感 PTAでよく使われるけど、私は使わない言葉(別件でこんな言葉も使わない)があります。それは「子どもたちのために」聞いたことが無い人は100%存在しません。 役員決めの場で、行事の準備で、ボランティアを募る際にこの言葉は何度も何度も繰り返されます。一見すると、これほどボランティア精神に溢れた、とても正しく、美しい言葉はないように思えま す。「子どもたちのために」この言葉には誰も反対できない"錦の御旗"のような響きがあります。 しかし、私はこの言葉が嫌いです。そして、自分からは使ったことがありませ ん。 なぜなら、この言葉はえてして、「子どもたちのためなんだから嫌でもやれ」につながりかねない危険な言葉だと思うからです。 「子どもたちのために」が生むPTA同調圧力の構造 「子どもたちのために、協力してください」「子どもたちのために、我慢してください」「子どもたちのために、もう少し頑張りましょう」 こうした言葉を投げかけられたとき、保護者は何と答えればいいのでしょうか。 「嫌です」「無理です」と言えば、まるで子どものことを考えていない親だと思われ てしまうような空気が生まれます。話が飛躍するように感じるかもしれませんが、かつて第二次世界大戦において、「お国のために」が旗印となり、負けると分かっていながら、無駄死にだと分かっていながら、多くの日本人に死を強いることが正義であるかのような風潮がありました。いわば、超迷惑な正義の押し売り。私には、それと同じような気持ち悪さが感じられるのです。 つまり、「子どもたちのために」という言葉は、しばしば「やりたくないけど断れない」状況を作り出す道具として機能してしまうのです。もともとは善意から出発した言葉であっても、使われ方次第で、時に強制を強いる危険な言葉だと感じるのです。 結果として、保護者は不本意ながら引き受け、疲弊し、やらされ感を抱えながら 活動する——こんな悪循環が生まれ、その結果として、多数のアンチPTAを輩出している訳です。このPTAの同調圧力について、視点は逆だけど私と同じ感性の人がいたのでリンクしておきます。 「自分が楽しい」を原動力とするPTA活動の本質と好循環 >私の原動力は「自分が楽しいから」 では、私はなぜ長年、PTA本部に関わり続けているのか。それは、自分が楽しいからやっている——ただそれだけです。「子どもたちのため」よりも、むしろ「自分が楽しいから」。これが私の本音で あり、原動力です。行事を企画するワクワク感、保護者同士で協力して何かを作り上 げる達成感、子どもたちが喜ぶ姿を見たときの充足感。それと、これは私だけかもし れませんが、不効率にまみれたPTA運営を如何に無理なく無駄なくこなせるように ITツールを作り上げる——こうしたすべてが、私自身の「楽しい」につながっているの です。こうした話をすると、こんな反応が返す阿呆が存在します。「子どもが楽しくなくても、自分のためにやるのか?」「それは自己満足じゃないのか?」しかし、そんなことはありえません。 PTAがいじめになっていないか もし、自分が楽しくて相手は嫌がっている——そんな状況があるとしたら、それはボランティアと言いません。はい、そうです。いじめです。PTA活動も同じです。自分だけが満足して、子どもたちが苦痛を感じているのな ら、それはただの押し付けであり、自己満足でしかありません。そんな活動に意味は ないし、続ける価値もありません。私が大切にしているのは、子どもが楽しんでいるから、自分が楽しい という関係性です。子どもたちが笑顔になる。目を輝かせる。「楽しかった!」と言ってくれるその反応があるからこそ、私も心から「やってよかった」と思えるのです。これが 私の原動力であり、活動を続けるモチベーションです。つまり、「子どものため」と「自分のため」は対立しないので す。むしろ、自分が心から楽しんでいるからこそ、その熱量が子どもたちにも伝わ り、結果的に子どもたちも楽しめる——そんな好循環が生まれるのです。 PTAを「義務感」から「やりがい」へ変える持続可能な発想転換 「義務感」ではなく「やりがい」で動くPTAの実現 「本当はやりたくないけど、子どもたちのために頑張らなければ」という義務感で動くPTA活動は、長続きし ません。保護者は疲弊し、子どもたちにもその疲れが伝わるでしょう。一方で、「自分が楽しいからやっている」という保護者が増えれば、PTA活動はも っと明るく、前向きなものになるはずです。無理をせず、得意なことを活かし、楽し みながら参加する——そんな姿勢こそが、持続可能なPTAを作る鍵ではないでしょう か。 「子どもたちのために」を超える自然なPTA活動の目指す姿 誤解しないでほしいのですが、私は「子どものことを考えなくていい」と言って いるわけではありません。ただ、「子どもたちのために」という言葉を"義務を強いる道具"として使うので はなく、自分自身が楽しみ、その結果として子どもたちも喜んでくれる ——そんな自然な形でのPTA活動を目指すべきであり、そうでなければ続かないと訴えているのです。「やらされている」ではなく、「やりたいからやっている」。「我慢している」ではなく、「楽しんでいる」。子どもが楽しんでいるから、自分が楽しい。この純粋な気持ちがあれば、PTAが嫌われるはずがなく、行列のできるPTAはその先にあるのです。 https://youtu.be/kh06zG63v6k 続きを読む

PTA会長が2人いればPTA運営はスムーズになる

PTA会長は2人でもいい?役員不足を解消 する「共同会長制」のメリットと成功の秘訣 とは?

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【実録】PTA会長を「2名体制」にしてみた結果。役職不足を解消する新しい秘策になるか? PTA会長って1人じゃなきゃダメですか? PTA会長が2人いればPTA運営はスムーズになる 「立候補者がいない」「沈黙が続く」……。役員決めは、多くの 保護者にとって最も気が重い時間かもしれません。特に「会長」 や「委員長」という役職は、責任の重さや拘束時間の長さから敬 遠されがちです。 実際、役員決め・委員長決めの場では、誰もが視線を合わせないようにうつ むき、重苦しい沈黙が流れる……そんな状況が珍しくありません。 「遠いから」「仕事があるから」「小さい子がいるから」「介護があるから」逆に「ヤル気満々と思われたくない」——理由 はさまざまですが、根底にあるのは「一人ですべてを背負う恐怖」ではないでしょう か。会長・委員長は各メンバーへの連絡、学校 との窓口、地域との連携、保護者への説明、トラブル対応など、想像以上に多岐にわ たる業務を担います。しかも前例や引き継ぎが不十分な場合、すべてを手探りで進め なければなりません。 さらに現代の保護者は、共働き世帯が増え、時間的・精神的な 余裕がますます少なくなっています。そんな中で「会長を引き受 けてください」と言われても、誰もが二の足を踏むのは当然のことなのかもしれません。結果とし て、くじ引きや押し付け合いになり、引き受けた人は不本意なが ら一年間を過ごすことになる——こんな悪循環が、全国のPTAで起き ているのではないでしょうか。 そこで私たちの学校では、「会長2名体制(共同会長制)」にするという新しい試みを行っています。その結果、思いのほかスムーズに運営が回り始めたのです。立候補者も現れ、役員決め・委員長決めの雰囲気も一変しました。もっとも、このツートップ体制はそれなりにメジャーなやり方ではあるようです。この記事では、その実体験をもとに、共同会長制のメリットと成功のポイントをお伝え します。 なぜ「会長2名体制」で成功したのか? 3つのメリット 1. 心理的ハードルが劇的に下がる 「自分一人ですべてを背負わなくていい」という安心感は絶大です。代わってもらえる相手が常に横にいることで、孤独な決断を迫られるストレスが解消されました。 PTA会長の最大の負担は、実は「業務量」だけではありませ ん。むしろ「判断の連続」と「孤独感」が精神的に大きな重圧となります。たとえ ば、学校側から急な相談があったとき、前例のない問題が起きたとき、保護者から苦 情が寄せられたとき——こうした場面で、一人で即座に判断を下さなければならないプ レッシャーは計り知れません。 しかし2名体制なら、「ちょっと相談していい?」と、その場で意見を交わすこと ができます。二人で考えることで視野が広がり、より良い判断ができるだけでなく、 「一緒に決めた」という安心感が得られます。 本部内で役職を決めるにあたり、書記や会計・副会長が決まり、残った内から誰 か一人が背負わなきゃ、、、という状況で、だったら「二人で分担するのはどぉ?」という所から共同会長制度が誕生しました。1人で背負うという心理 的ハードルが下がることで、立候補しやすくなるのです。 2. 「得意分野」で役割分担ができる 2人いれば、それぞれの強みを活かせます。私の場合はこのような役割分担になっています。 Mちゃん:人前で話すことや、学校・地域との折衝を担当。コ ミュニケーション力に長けており、保護者説明会や地域行事での挨拶、学校側との調 整を主に担当しました。 私:資料作成や、内部の事務連絡を徹底サポート。PCスキル があり、議事録作成、メール配信、アンケート集計などの裏方業務を一手に引き受け ました。 このように分担することで、1人あたりの負担は半分以下になります。 会長一人体制では、得意・不得意に関わらず、すべてを一人で こなさなければなりませんでした。人前で話すのが苦手な人も挨拶をし、PCが苦手な 人も資料を作らなければならない——これでは効率も悪く、本人も疲弊してしまいま す。 しかし2名体制なら、「外向きの仕事」と「内向きの仕事」を明確に分け、それぞ れの得意分野に集中できます。結果として、業務のクオリティも上がり、会 長自身の満足度も高まりました。さらに、「自分の得意なことで貢献でき る」という実感が、やりがいにもつながるのです。 実際、業務量には偏りがありますが、その分、「Mちゃん、ア レお願いね」と言いやすいし、そもそもPC作業は苦ではないから不満は無いのです。 この共同体制による柔軟性は、持続可能な運営を支える鍵となりえると思ってい ます。 3. 「バックアップ」がある安心感 仕事や急な家庭の事情で、どうしても外せない行事に出られないこともありま す。2名体制なら、どちらかがカバーできるため、「絶対に穴を開けられない」とい うプレッシャーから解放されました。 たとえば、ある日、Aさんの子どもが急に高熱を出し、学校行事に出席できなくな った、そんなこともあるでしょう。従来なら、会長不在で混乱が 生じたり、あるいは無理をして出席したりする必要があります。でも、2名体制では、Bさんが 代わりに出席し、事後にAさんへ報告することで、何の問題もなく乗り切ることがで きます。 この「バックアップがある」という安心感は、精神的な余裕を生み出します。子どもの学校行事や仕事の繁忙期、家族の介護など、生活には予測不可能な事態がつき ものです。そんなとき、「代わりがいてくれる」と思えるのは精神衛生上、非常にプ ラスに働くでしょう。 注意点 会則の変更 通常、PTAの会則で会長を1名と明記していることが多いので、 「1-2名」にするという事務手続きは必要です。大抵はPTA総会で 変更することになるでしょう。 多すぎても困る 共同会長にならって、当校PTAの某委員会で は委員長4人という状態が生まれてしまいました。しかし、これは明らかに多すぎです。「船頭多くして船山に上る」。4人もいれば、結局、何もしない人も出てくるし、無駄に意思疎通もしづらいで す。実際のところ、各自1/4の負担になるつもりが、1人がほぼ全部を引き受ける羽目になっていました(とはいえ、一般に本部役員よりは軽いと思いますが)。 まとめ:PTAはもっと持続可能になれる これまでの「1人のリーダーが引っ張るPTA」から、「みんなで支え合う PTA」へ。会長2名体制は、役員不足に悩む多くの PTAにとって非常に有効な選択肢です。 もし「誰もやりたがらない」と行き詰まっているのなら、枠組みそのものを変え てみるのはいかがでしょうか? PTA活動は、本来「子どもたちのため」に行うものです。しかし、保護 者が疲弊し、不満を抱えながら続けるのでは本末転倒です。持続可能で、 前向きに取り組める仕組みを作ることこそが、結果的に子どもたちの学校生活を豊か にすることにつながります。 共同会長制は、その第一歩になり得ます。もちろん、すべてのPTAに当 てはまる万能策ではありませんが、「そもそもルール自体を変えてもいいんだ」という意識改革のきっかけにはなるはずです。 「やってみたら意外に楽しかった」多くの役員がそう言って巣立っていきます。「誰かがやらなければならない」という義務感ではなく、役割分担により「自分 にもできることがある」という前向きな参加意識が生まれる——そんな PTAを、ぜひ一緒に作っていきましょう。 https://youtu.be/x1OmNPwXojU 続きを読む

PTAが楽しくなる

PTAがもっと楽しくなる マニア会長の独り言 小ネタ集

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記事にするほどのボリュームは無い、そんな小ネタを思いついたときに書き足します 1.PTAにも「父兄」という死語を使う人いるけど、超ヤバいよ 1970年代生まれ以前の人に多いですが、いまだに「父兄」という言葉を使う人がいます。 私が小学生の頃は学校の手紙でも「父兄参観」という言葉がありました。小学生ながら違和感を感じたのをよく覚えています。 「父と兄って書いてあるけど、来るのはほぼお母さんじゃないか、お父さんはポツポツだし、お兄ちゃんなんか来るわけないだろ」。 普段、自分が使う言葉の用法なんて何も考えてないから、平気でこういう言葉を使ってしまうのでしょうが 、よく考えてください。もちろん「父兄」はお父さんとお兄ちゃんと書きます。普通に考えれば お父さんとお母さんと書くべきです。にもかかわらず、なぜ、お父さんとお兄ちゃんなのかと言うと「お兄ちゃんはお母さんより偉い、なぜなら 男だから」そんな価値観がそこにあります。つまり父兄は明治・大正時代、戦前の言葉です。ギリギリ最大限、譲っても昭和の言葉です。すでに昭和はとっくに終わり、平成を過ぎ、令和になっております。こういう言葉遣いに噛みつく人もいますので「父兄」という言葉はもう二度と使わないようにしましょう。ついでに言いますと、やはり「父兄」はおかしいということで、昭和の末期から学校でも「父母」という言葉が使われるようになりました(昭和末期から平成初めは「父母参観」という言葉になった)。ちなみに、戦後、文部省主導で全国各地にできたPTAも「父母と先生の会」という名前が主流であり、「父兄」という言葉がいかに時代錯誤か分かるというものです。しかし、ひとり親世帯が珍しくなくなったので、「父母」という言葉はほどなく使われなくなり、平成以降、現在はどこも「保護者」という言葉を使っています。 2.PTA役員だけど私は「先生」という言葉を使いません 「父兄」はさすがに超少数派だと思いますが、「先生」は使用率ほぼ100%でしょう。ただ、私は言いません。じゃあ、あんたはなんて呼ぶんだよってことになるわけですが、、、私は「校長」とか「教員」と言います。というのも日本人の場合、「先生」という言葉には暗黙に上下関係を作ってしまうからです。私は ぶっちゃけ、高校生以降、自分より賢いと思える小中高の教員に会ったことはないもんで、先生とは言いません。ましてや、PTA は保護者と教員が対等の組織です。PTA会長だろうが、学年委員だろうが、委員をやってなかろうが、学校長だろうが、新米教員だろうが、子供の担任だろうが、みんな上下なく、横並びの対等な関係です。長年、PTA が学校の言いなりになってきた背景として、この暗黙の上下関係が根底にあるはずです。「父兄」と違って、この話は賛同を得られるとも思ってないけども、価値観を共有できる人がいれば嬉しい。余談ですが、現代中国語の「先生(シュエション)」は(男性の)◯◯さん、という意味であり、英語の Mr. のように使われます。田中先生=田中さん(男性)我先生=私の夫各位先生=男性の皆様という意味です。尊敬の意味はほぼありません(例外的に歴史的な偉人を指す用法があります)。なお、先に生まれた、と書きますが年上の人という限定も特にありません(でも子供には使わない)。 3.「PTA本部役員、やってよかった」と言ってほしいので頑張ってる 現役役員の皆さま、日々のお仕事や家事の合間を縫ってのPTA活動、本当にお疲れ様です!😊 年度末が近づいてきました。長年PTA本部に携わっていると、毎年、この時期に心に深く残る光景があります。それは、任期満了か卒業かで役員を退任される方々の「最後のご挨拶」のシーンです。 たいてい「くじ引きで当たっちゃって…」「仕事が忙しいのにどうしよう…」「断り切れなくて…」そんな不安100%から始まっています。 ところが、退任式ではどうでしょう。「最初は仕方がなく引き受けたけれど、やってみたら本当に楽しくて4年もやってしまいました!」そんな言葉が次々と飛び出します。中には、活動を通して得た仲間との絆、やり遂げた達成感から、思わず涙を流される方もいらっしゃいます(もしかしたら苦行からの解放感?あるいは僕とのお別れが寂しいから?)。あの清々しい涙を見るたびに、「PTAっていいな」と改めて背筋が伸びる思いがします。 一体何が、こんなにも人を変えるのでしょうか。それは、実際に活動してみないと分からない「本物の体験」があるからです。 「PTAは大変そう」「面倒くさそう」「時間が取られる」「人間関係が難しそう」…… そんなネガティブなイメージが先行して、どうしても"食わず嫌い"されがちなPTA本部役員。昔ながらのやり方が続き、周りからの噂話や、過去の負のイメージだけが独り歩きしてしまっているのが現状です。 でも、実際に飛び込んでみた人だけが見える景色があります。 学校の裏側を知って、子どもたちの環境がより身近に感じられること。 先生方の日々の努力や、学校運営の実情を知ることで、わが子の学校生活への理解が深まります。 普段の生活では出会えなかった、素敵な仲間ができること。 年齢も職業も違う保護者同士が、子どもたちのために一緒に汗を流す中で、かけがえのない友情が芽生えます。 自分自身の成長を実感できること。 企画力、コミュニケーション力、調整力など、さまざまなスキルが自然と身につき、自信につながります。 イメージだけで敬遠してしまうのは、とってももったいないと思うのです。まるで、見た目だけで判断して敬遠していた料理が、「食べてみたら結構いいじゃん」ってこれですよ。今、役員として活動している皆さま。時には大変なこともあるかと思います。会議の準備、イベントの運営、保護者間の調整など、やることは山積み。仕事や家事との両立に悩む日もあるでしょう。 でも、退任式で皆さんが見せるあの笑顔や涙は、活動の中に「本物の楽しさ」がある何よりの証拠です。大変さを超えた先に、言葉では言い表せない充実感と達成感が待っています。というと「やりがい搾取」なんて言われるんでしょうが、それこそ食わず嫌いだと思うわけです。 今の皆さんの頑張りは、必ず「やってよかった!」という一生モノの経験に繋がります。お子さんが卒業した後も、ふとした瞬間に思い出す温かい記憶になるはずです。このままお別れって寂しいな、私はいつもそう思って最後の挨拶を聞いています(まあ、公立小学校の場合だと、みな近所なので、お別れってことも無いのですけど。でも高校はそうじゃないのでPTA本部OB会を作っちゃおかな、と計画中)。一人で抱え込まず、役員の仲間と一緒に楽しみながら、この素敵な活動を盛り上げていきましょう!困った時は遠慮なく周りに頼って、完璧を目指さず、できる範囲で無理なく続けることが大切です。年度末まであと少し。と同時に新年度の準備がドサッとやってきて来ますが、知恵も使って乗り切りましょう!このサイトがちょっとでも楽しいPTAのヒントになれば幸いです。 4.PTAの不思議ルール「役員人事は秘密裏に」ってバカだろ PTAは次年度の役員選出の季節ですね。役員の皆さん、本当にお疲れ様です!さて、あなたのPTAにもきっとある、少し不思議な慣習。 そのひとつがこれ。内定した方に「まだ他の人には内緒にしておいてね」と口止め。(同様に退任情報までもが「ナイショ」にされています。)実は10年ほど前、私が本部に加入する時も同じことを言われました。思わず「どうして隠す必要があるんですか?」と聞いてみたのですが、返ってきた答えは……「昔からの決まりなので」。うーん、これってやっぱり不思議だと思いませんか?秘密にするような重要情報なのか?秘密にしてなんのメリットがあるの?PTA関連の書籍をひも解いてみると、どうやらこの「秘密主義」は昭和時代の名残のようです。 当時は「あの人が役員をやるなら私はやりたくない」といった人間関係の調整が、今よりずっと複雑だったのでしょう。「◯◯さんが本部役員になるらしい」みたいな情報が出回ってしまって、せっかく内定した役員を辞退するような事態が生じたこともあるのでしょう。でも、今は令和です。 働き方も多様化し、人間関係もドライになりました。何より、児童数は半分です。「あの人がやるならちょっと……」なんて言っている余裕はありませんし、言う人もいないでしょう(いるとしたらその人に問題があるはず)。そもそも、秘密にされると情報共有も相談もしづらいですよね。昭和時代には意味があったかもしれませんが、オープンにして困ることなんて、今の時代、何ひとつないはずです。 PTAをダメにする「思考停止」のクセ それなのに、「これまでそうだったから」という理由だけで、意味もわからず古いルールを継続してしまう。これこそが、PTAを「なんだか閉鎖的で怖い場所」にしてしまっている要因の一つ【思考停止】の正体です。私が何度も指摘している通り、忌み嫌われるPTAの元凶なんです。「今までこうやってきたので」としか答えられない人は、どれだけ律儀に役員をこなしていても、賢そうに振る舞っていても、自分の頭で考えていないおバカさんです。PTAを「みんなで助け合える楽しい場所」に変える鍵は、案外こういう小さなルールの見直しにあるのかもしれません。「なぜこのルールがあるの?」「今の私たちに本当に必要?」そう問い直す勇気を持つこと。「昔からの決まりだから」で済ませるのをやめる。これがPTA改革の第一歩です。PTA本部の風通しもぐっと良くなります。せっかくの役員活動、古い慣習に縛られず、自分たちの世代に合ったやり方でアップデートしていきませんか?「アタマを使え!」 思考停止を卒業して、もっと自由でワクワクするPTAを自分たちの手で作っていきましょう! 次の話題 テキストを入力 テキストを入力 テキストを入力 続きを読む

PTAで平等にするべきか議論している

PTAで非加入者を区別する 卒業記念品をあげる、あげないの議論が終わらない、本当の理由

提言

卒業記念品を巡るジレンマ なぜこの議論は終わらないのか? この記事の対象者 「非加入者への記念品配布」を巡る役員会や総会での対立を解消したい方 前例踏襲の記念品贈呈に疑問を感じている方 この記事でわかる事 この議論が平行線をたどる構造的理由 より高い視点から、公平性と平等を両立する具体的解決策 卒業シーズンになると、多くのPTAで必ず議論になるテーマがあります。「PTAに 加入していない家庭の子どもにも、卒業記念品を配布すべきか」——この問いは、全国 各地のPTAで繰り返される永遠の論争です。総会や役員会での長時間議論、保護者間 の対立、SNS上の意見応酬はもはや珍しい光景ではありません。この厄介な問題については、すでに法律・経済学という異なる視点から 2つの論考を掲げました。法律上の課題PTA非加入世帯の児童生徒を区別/差別するの は違法なのでしょうか?経済学(公共財)的考察による解釈PTA非加入の子どもに記念品は配るべき ?感情論ではなく、論理的に公平と持続性から考える今回はさらに別の角度から考えてみます。ここでは「なぜ、この論点はずっ と平行線なのか」を明快に解き明かすとともに、「そもそも卒業記念品とは何のためにあるのか」という根本的な問 いに立ち返り、新しい解決策を提案します。 PTA卒業記念品を巡る二極対立:平等派と区別派の主張と背景 一方では「卒業する子どもたちに差をつけるべきではない」という主張が、他方 では「会費を払っている加入者が不公平を感じる」「このままではPTA自体が成り立 たなくなる」という主張が平行線をたどります。 平等派(非加入者の子どもにも配布すべき派)の主張 「卒業という人生の節目に、子どもたちの間に差をつけるべきではない」 この主張の背景には以下の考え方があります: 子どもの心理的影響への配慮:卒業式という人生の大切な 節目で、「PTAに加入してないから、あなたには記念品がありません」と告げることは、子どもの心に深い傷を 残す可能性があります。親の判断で子どもが不利益を被るべきではありません。 現状の予算的余裕:会員数が多く、非加入者への配布でも 予算的に問題ないと判断されるケース。「数人分の記念品くらい問題ないだろう」という感覚で判断 されがちです。 教育的配慮:学校は全ての子どもを平等に扱う場所である べきで、卒業式で目に見える形で差をつけることは教育理念に反するという考え方で す。 区別派(加入者と非加入者は区別すべき派)の主張 「会費を払っている人が損をすることになる」「PTAに加入するのは馬鹿らしいとい う考えが広がればPTA自体が存続できなくなる」 この主張の背景には以下の懸念があります: フリーライダー問題への警鐘:会費を払わずに同じサービ スを受けるのは不公平。この状況が続けば「加入しなくても良い」という認識が広が ります。 PTA組織の持続可能性への危機感:不公平感による加入率低 下→予算不足→活動縮小という悪循環への懸念。将来入学してくる子どもたちへの責任 も含まれます。 任意団体としての原則:加入の自由と引き換えに、加入者 には何らかのメリットがあるべき。選択の結果が全く同じでは、選択自体の意味が失 われます。 対立の本質分析:そもそも議論が成り立つはずがない 両者の主張は表面的には「子どもの平等」と「会費負担の公平性」の対立に見え ますが、より深く見ると、それぞれが考えている①時間軸が違う、②対象が違うことに 気づきます。 平等派の視点:「今、目の前で卒業する子どもたち」を重 視。「次の、卒業式という特別な日に一人も傷つかないこと」が最優先です。 区別派の視点:「PTAという組織の将来」を見据え、「 PTAが存続して将来の子どもたちにもサービスを提供できること」を重視します。 前者は「現在の卒業生」について主張しており、後者は「将来のPTA組織と未来の子どもたち」について論じているのです。これが両者の議論が平行線をたどる最大の理由です。前者は「現在の卒業生」、後者は「将来のPTA組織」。実は両者は異なる次元の話をしているので、議論が噛み合わないのです。 フリーライダー問題とPTA持続可能性:短期的平等が招く長期的不平等のメカニ ズム 「今年だけなら」が積み重なる危険性 「非加入者の子どもにも卒業記念品を配布する」という短期的平等を重視する判 断は、以下のようなプロセスで結果的に長期的不平等を生み出します: 認識の拡散:「PTAに加入しなくても卒業記念品はもらえる 」「面倒な役員を引き受ける必要がない」という認識が口コミやSNSで広がります。 合理的選択の増加:「会費を払わなくても同じものが得ら れるなら加入しない」という経済的合理性に基づく選択が増えます。 加入率の低下:新入生保護者を中心に加入率が徐々に減少 していきます。 予算の縮小:会費収入減少によりPTA活動の質・量が低下し ます。 悪循環の発生:活動の質低下が「会費を払う価値がない」 という認識をさらに広げ、加入率がさらに低下します。 この変化は年単位の緩やかなものであるため、「今年は問題ない」という認識が数年続いた後、いずれ「予算が足りない」「役員のなり手がいない」という形で表面化しま す。しかし、その時には判断を下した本人は既にPTAを去っていることでしょう。私は、平等派の主張は問題の先送りであり、かつ、問題が表面化した時には自分はPTAを去っているという非常に無責任な意見だと考えています。 加入者の不満増大と組織崩壊への道 加入者の心理的不公平感は以下のような悪影響をもたらします: 既存加入者の脱退:「自分の子の卒業記念品のために会費 を払っているのに、非加入者にも配るなら意味がない」と感じる保護者の増加 役員モチベーション低下:「なぜ自分たちだけが苦労して 記念品を選んでいるのか」という疑問が活動意欲を削ぐ 加入者内部の分断:「全員に配るべき」派と「区別すべき 」派の対立が生じる 説明責任の困難:「なぜ会費を払う必要があるのか」への 明確な説明が困難になる 特に注目すべきは、この問題が単なる予算問題ではなく「公平性」という価値観 に関わる心理的問題である点です。数千円の記念品でも「原則的におかしい」と感じ られると、大きな反発を生み出します。 最終的なPTA崩壊と全児童への影響 フリーライダー問題に目をつぶり、加入者不満が拡大し続けると、PTA組織そのものが崩壊する リスクがあります。皮肉なことに、「目の前の卒業生への平等」を追求した結果、将 来の子どもたちが受けられるはずだったサービスや支援を失わせるというパラドック スが生じます。これが「短期的平等が長期的不平等を生む」メカニズムです。 卒業記念品の存在意義を問い直し、「体験型」卒業記念へのシフトを提言 ここから、新たな提言を進めていきましょう。まず、これまでの話を整理します。 卒業記念品が公平性問題を顕在化させる4つの特性 卒業記念品が公平性問題を最も鮮明にする理由は、以下の特性にあります: 有形性:「誰がもらったか、もらっていないか」が目に見 えて明確になり、差異が可視化されやすい。卒業式という公の場で配られることで、 より顕著になります。 個人的便益:受け取った個人が直接的便益を得るもので、 「誰が費用を負担すべきか」が明確に問題になります。 排除可能性:技術的に特定の人々にのみ配布し、他を排除 することが可能。この特性があるからこそ「加入者の子どもだけに配るか」という選 択肢と議論が生じます。 感情的インパクト:卒業という人生の節目における記念品 は、通常の物品配布以上に感情的な意味を持ちます。 卒業記念品の存在意義を再考 PTAの本来の目的は「保護者と教師が協力して子どもたちの健全な成長と教育環境 の向上を図ること」です。結論では大きく対立するのに、この点は平等派も区別派も異論がありません。では、この目的に照らして、個別の卒業記念品は本当に不可欠で しょうか?実際、多くの卒業記念品(文具、写真立て、印鑑など)は歴史的慣習として続い ており、その教育的意義や必要性が十分に検討されていないケースが多いのではない でしょうか。要するに「何かをあげる」こと自体が目的になってしまっている、ということです。今や、それぞれ価値観がバラバラで、子供たちが全員が共通で欲しい・もらって喜ぶものなんて存在 しないと思うのです。小学校の卒業記念品を10年後も大事に持っている、そんな例は数少ないのではな いかと思うのです(これは自分の子どもを見ていて思うことなので、一般化してよいかは疑問の余地はありますが)。もし、卒業記念品の多くがいずれゴミとして捨てられ、使われずに終わるなら、なぜ私たちはこの慣習を続 け、そのために対立しているのでしょうか? 弁証法からの提言:「体験型」の卒業記念 スタート地点は同じなのに、意見が対立する。この場面では弁証法が有効です。弁証法なんていう言葉に驚く必要はありません。要するに、より高い次元から双方が納得する結論を目指す思考だと思ってください。弁証法から考えた、卒業記念品を巡る対立を根本から解決し、かつ子どもたちにとってより価値のあ るものを提供する方法——それは「モノ」から「体験」へのシフトです。 排除の問題が生じない:全校生徒(ないし全卒業生)が参加する体験型イベン トは、誰が加入者で誰が非加入者かという区別が不要になります。学校全体で共有さ れる体験となります。 記憶に残る:物品は失くしたり壊れたりしますが、体験の 記憶は一生残ります。10年後、20年後に思い出すのは、もらった文房具ではなく、み んなで過ごした特別な時間です。 教育的価値が高い:子供同士、場合によっては保護者・教 員を巻き込んだ共同作業や特別な活動を通じて、協調性、創造性、思い出の共有な ど、物品では得られない価値を提供できます。 学校への貢献:完成した作品や植樹などは学校に残り、後輩たちにも価値を提供し続けます。 対立の解消:「誰に配るか・配らないか」という平等派と区別派の議論そのものが不要になります。 体験型卒業記念の具体的アイデア 実例やAIに相談して出てきた具体例を挙げておきましょう。 創作系 卒業生全員で壁面アートを制作し、校内に永久展示 モザイクアート:一人一枚のタイルに絵を描き、組み合わせて大きな作品に タイムカプセル製作:20年後に開封する共同プロジェクト 自然・環境系 卒業記念植樹:校庭や近隣公園に桜などのシンボルツリーを植える 学校菜園・花壇の整備:在校生が引き継いで育てる ビオトープ作り:生態系学習の場を残す 施設・設備系 図書室の蔵書充実:卒業生の名前入りプレートとともに寄贈 ベンチや遊具の設置:「○○年度卒業生製作」のプレート付き 校内案内板や掲示板の製作 イベント・活動系 特別授業の招聘:プロのアーティスト、スポーツ選手、研究者などを招いた特 別授業 卒業記念コンサートや発表会:全員で作り上げる特別な舞台 地域貢献活動:清掃活動、福祉施設訪問など 記録・記憶系 卒業アルバムのデジタル化と共有(個人配布ではなく共有システム) 卒業記念動画の制作:全員が参加する思い出のムービー 学校の歴史記録プロジェクト:インタビュー集や写真集の作成 持続可能な平等の実現:段階的移行と建設的対話による解決策 段階的な移行プラン:慣習変更への配慮 長年続いてきた慣習を急に変えることには抵抗があるかもしれません。そこで段階的な 移行を提案します: 今年度:従来の記念品配布を継続しつつ、「来年度からは 新しい方式を検討している」ことを保護者に予告 次年度:記念品と体験型の両方を実施(予算の半分ずつな ど) その次の年度:完全に体験型へ移行 また、保護者や児童・生徒の意見を聞くアンケートを実施し、どのような体験が望まれているかを把握することも重要です。 建設的対話の鍵:短期的視点と長期的視点の両立 対立を超える共通理解「平等派」と「区別派」の対立は、実は両者とも「子どもたちのため」という同じ ゴールを目指しています。違うのは時間軸と着眼点だけです。 建設的な対話のために必要な認識: 短期的視点の重要性を認める:目の前の卒業生の気持ちは確かに大切です。誰 も子どもを傷つけたいわけではありません。 長期的視点の重要性を認める:将来の子どもたちのためにPTAが存続すること も同様に大切です。 二項対立を超える:「配るか・配らないか」という選択肢しかないと思い込まず、より高い視座から第三の道を模索することは可能です。これが先に述べた弁証法的思考です。 共通目標への立ち返りと持続可能な平等 対話が平行線をたどるとき、PTAの根本的目的「子どもたちの健全な成長と教育環 境の向上」に立ち返ることが有効です: 「卒業記念品を誰に配るか」ではなく「卒業という節目に子どもたちに何を残 したいのか」という本質的問いへ転換 「子どもたちのために何が最善か」という共通の問いかけから対話を始める 「モノ」に縛られず、より創造的な解決策を模索する 卒業記念品を巡る論争は、繰り返し述べている通り、表面的には「配るか・配らないか」という問題に見え ますが、本質的には「一時的な平等」と「持続可能な平等」のどちらを選ぶかという 問いです。 しかし、「モノから体験へ」という転換によって、この二項対立そのものを超え ることができます。全ての子どもたちが参加できる体験型の卒業記念は、 今の卒業生全員に平等に価値を提供し、 加入・非加入の区別という対立を生まず、 PTAの持続可能性を脅かさず、 より深い教育的価値を提供します。 重要なのは「対立から協働へ、批判から共創へ」と思考をシフトさせることで す。短期的視点と長期的視点の両立、共通目標への立ち返り、そして固定観念にとら われない柔軟な発想——これらを持ちながら対話を続けることで、より多くの人が納得 できる解決策が見出されます。 子どもたちの未来のために、持続可能で、本当に価値のあるPTA活動の新たな形を 共に創り上げていきましょう。10年後、20年後、卒業生たちが懐かしく思い出すの は、もらった文房具ではなく、みんなで作り上げた特別な体験であるはずなのです。 https://youtu.be/fuX-pwZsdrA 続きを読む

PTAのベルマーク問題をスマートに解決します

メルカリに並ぶ「仕分け済みベルマーク」は歪んだPTAの姿 改革しましょう

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フリマでベルマークを買う?この理解しがたい異常事態は歪んだPTAの産物だった この記事の対象者 ベルマーク作業をどうにかしたいPTA役員・保護者 合理的な改革案を探している方 この記事でわかる事 フリマアプリでベルマークが割高売買される裏事情 「児童の学び」へ転換する、持続可能な活動の再設計案 フリマアプリで見つけた奇妙な商品の正体は?? まったく偶然なのだが、メルカリでベルマークが販売されているのを見 つけた。「メーカー別小分け済み」「PTA提出用に即対応」といった文言とともに、 きれいに仕分けられたベルマークが出品されているではないか!調べると、ヤフオクにもラクマにも沢山あ る。 私の場合、お菓子やジュールのラベルにベルマークを見つけるとこまめに切り取ってためておくのが習慣になってしまっている。だがしかし、ベルマークは世間の多くの人にとっては、パッケージに印刷されたどうでもいい模様に過ぎないから、捨てられるのが普通だ。私の場合は小学生時代に、母親が「ベルマークがついとるからこっちを買おう」と言ってるのをよく耳にした。実を言えば、私はその習慣がなんとなく残っていたりする。会議でみんなに配られたお茶にベルマ―クがあったので、ラベルを逐一回収してまわったこともある(「スゴイ!分別してるの!?」と言われたけど)。2種類の商品、どっちにしようかと悩んでベルマークがあるほうにしよう、なんて行動をとる人はごく一部のPTAに関わる人を除けば、さほど多くはないだろう。さて、売られているベルマークに話を戻すのだが、基本、ベルマークは個人が集めた所で使い道はない。いくら比較的重度のベルマーク病の私でもお金を払ってまで買うなど想像もつかない。とはいえ、恐らくPTAに関わる人が購入しているのだろうと推測することは難しくない。 しかも驚くべきは、その価格設定である。ベルマークは本来「1点=1円」の換 算である。そして普通の人にとっては何の価値もない”ゴミ”なのだから、「1000点を300円で」というなら納得もいく(PTAの経費で買うのはアリと考えられなくもないが、、、)。 でも、ここで浮かんだ疑問は二つ。 「なぜベルマークを買う人がいるのか?」「 なぜこんな割高な価格設定が成り立つのか?」 PTA本部役員を10年以上続けてきた私にも、ちんぷんかんぷんだった。集めて 学校にもっていくところまでは小学生時代から自分でも長らくやってきたが、その先、ベルマ―クがどのように商品(景品)に替わるのかは未知の世界だ った。そして改めて調べ、考えたのが今回の記事である。 ベルマーク運動の本来の姿—助け合いの理念と仕組み ベルマーク運動はベルマーク教育助成財団がリードして1960年に始まり、65年以上の歴史を持つ活動である。その 目的は二つある。一つは「自分たちの学校づくり」、もう一つは「支援が必要な学校 への援助」だ。 「国内外のお友達に"愛の鐘"を鳴り響かせよう」という助け合いの理念が、 「ベル」の形に込められている。 仕組みはシンプルだ。協賛企業の商品に付いているマークを集め、財団に送 ると1点1円換算で「ベルマーク預金」となる。この預金で、学校(PTA含む)は教育に必要な教材 や備品—屋内遊具、扇風機、パソコン、書籍などを協力会社からポイントと交換できる。 自校の備品だけではない。購入金額の10%が自動的にベルマーク教育助成財団に寄付され、へき地や特別支援学校、災害で被災した学校への支援に使われるらしい。東日 本大震災や熊本地震の際にも大きな役割を果たし、これまでの支援総額は累計50億円 を超えるという。 本来は、日常の買い物の延長として気軽に参加できる支援活動という設計になっている。では、なぜこれほど崇高な理念を持つベルマーク運動が、フリマでの売買という歪んだ形で現れる ようになったのか。 フリマでベルマークを買う人々—切実な事情 時間を買う—想像以上に重い仕分け作業 ベルマークは企業ごとにデザインや点数が異なる。きれいに切り取り、会社 ごとに分けて、点数を集計する作業は想像以上に時間を要する。素材も違うし、大きさも違う。丸まってしまったやつがあるし、余白の大きさも集めた人によって各自バラバラだから、想像するだけでもこれが大変な面倒だということが分かる。 多くのPTAで年間複数回(例えば年2〜3回、1回あたり3時間など)の仕分け・ 集計作業が行われ、保護者が平日に仕事を休んで参加するケースも珍しくないらし い。 女性役員に聞いた所、ウチの小学校でも同じことが行われているそうだ。なんと、知らなかった。。。 ノルマ未達の責任—役員が背負う心理的圧力 調べるとさらに驚きの情報が出てきた。ただ、この辺の話は掲示板やSNSなどから出てきたものであり、直接の当事者から聞いたわけではな く、真偽のほどは定かでないから、是非リアルな証言を頂きたい。 学校によっては年間目標点数が設定され、目標未達の場合、PTAの委員が不足 分を自腹で補填する慣例があるという信じがたい証言もある。 「集められない家庭に『もっと買って』と言えず、結局自分たちで穴埋めした」という声もあった。善意の社会貢献という目的のための一つの「手段」だったはずのベル―ク集め。しかし、ベルマークを集めることが「目的」になってしまい、足りないと役員が責任を負わされる圧力が存在するらしい。その圧力こ そが、割高でもフリマで購入する動機となっているのだろう。今や、昭和と違って、共働き世帯の比率が高まっている現代において、「時間=貴重なリソース」という認識が高まっている。このベルマークを整理するという「時間泥棒」的な作業は、保護者にとって大きな負担となっている。そこでベルマークの「点数」ではなく、整理に伴う労働「時間」を買うという選択をする人がいるというわけだ。割高なベル マークの価値は「点数」ではなく、費やされる「時間」にあったのである。 家庭時間を守る—コストを払ってでも回避したい苦行 「夕食作りや宿題サポートより、ベルマーク仕分けなんかを優先させたくない」と いう親心から、割高なフリマでの購入を「週末の家族時間を守る投資」と捉える考えが出てきていることが分かった。 数千円の出費で、1日がかりの苦行から解放されるなら—そう考える購入者の気持 ちは、決して理解できないものではない。 しかし、ちょっと待て。ベルマークってそんな運動なんだろうか? そもそもの所で、現金なのかベルマークなのかはともかく、PTAが学校の備品 を取得すること自体に問題があることは他の記事でも述べている。もちろん、「ベルマーク集め」は廃止します!という選択肢もあるし、大きなトレンドがベルマーク廃止へ向かっていることも承知している。しかし、「やめればいい!」そんなのはいつでもできる事だし、考える必要もないから大して知恵のないPTA会長でもできることだ(声が大きければOKだから)。ベルマークを廃止した会長を賞賛する記事がバズったという話を聞いたが、会長も賞賛する方もみんなおバカ同士である。ここでは、「それでもベルマークを集めて備品を取得するという道を選ぶなら、こんなやり方が良 いんじゃないのか」という私自身にとっても、これから取り組む指針として考えてみたものである。 売買はなぜ問題なのか—ルールと理念の間で まず、ベルマーク教育助成財団の公式ルールでは、過度な競争心や購買心の助長防止、運動の公平性を保つため、「ベルマークの売買・交換は認められません」ということになっている。 ベルマーク運動は協賛企業の商品購入を通じた間接支援を想定しており、現金取引は運動の根幹を揺るがす行為と見なされる。フリマアプリ運営会社も、この公益的な趣旨に反する出品と判断し、ベルマークの出品を削除対象としているらしい。 そういう新聞記事があったのでここにもそう書いたが、実際には検索すると 冒頭に示した写真のようにゴロゴロ転がっている。冒頭で書いた通り、メルカリでもヤフオクでも楽天フリマでも状況は変わらな い。 まあ、こういうプラットフォーマーは自分が責任を取る気は無いし、何かが売れれば手数料になるわけで、売れるなら何でもいいっていうのが本音のモラルゼロ企業だから、「不適切だから削除します」なんていうのはただのポーズだろう。買う人がいるなら出品を止める気はさらさらない(動くのは警察沙汰になりかねない時だけ)。 それはさておき、ここで論点を整理したい。フリマでのベルマーク売買は少なくとも違法性はないが、ベルマーク教育助成財団のルール違反である。問題は、ベルマークを集めることを「目的」とはき違え、このような歪んだ需要を生み出しているPTA側である。そんな事を やっているから世にアンチPTAが量産されてしまうのだ。 真の問題—ベルマーク運動が"回らない"本当の理由 今回、私も初めて知ることになったのだが、各家庭から集められたベル マークは、会社別に仕分け、点数計算、整理袋への封入、そして財団への送付といっ た多岐にわたる手作業が必要になる。当然手作業にならざるを得ず、これらの「労務 」が保護者やPTAにとって大きな負担となっている。 財団もこの「仕分けが面倒」という声を重要課題として認識しており、デジ タル化に向けた実験も行われている。 しかし、マークの種類や素材の多様さ、状態の 問題など、正確な読み取りの難しさから、全面的なデジタル化には多くの課題がある という。まあ、それはそうだろう。使用済みかどうかの判断ができないから、スマホ で読み取るって訳にもいかない。 この面倒くさい問題は切実だ。一部の協賛企業が「PTA保護者の負担」を理由に運動から脱退するケースも発 生しており、ベルマークの活動基盤の縮小にもつながっているという。全く本末転倒の状況に陥っていると言わざるを得ない。 結論として言えるのは、フリマ売買は"モラルの問題"というより「運用が現 代の生活に合っていない」結果として発生する制度疲労のサインだということだ。 昭和の時代なら、ベルマーク整理を理由にヒマな奥様達が雑談に花を咲かせ ている面があったのだろう。それなら、「みんなで楽しくおしゃべりしながらベルマークを整理するだけで、備品もゲットできる素晴らしい制度」ということだったんだと思うが、今やそんな社会状況ではない。私は女性役員に素朴な意見をぶつけた。 「なんで子供達に整理してもらわないの?保護者はラクだし、子供はベルマークの価値が分かっていいことづくめよ」 私の提言に女性役員たちは戸惑っていた 。戸惑っている理由は、簡単。今までこんな ことはやっていなし、考えたこともない、前任者からも聞いてないからだ。 自分たちが集めて整理した ベルマークが 備品に変わる 。 こ の一連の流れを子供たちが直接体験できるなら、これに越したことはないだろう。 実際、私は小学生時代 ベルマークを集めるのは好きだったが それが その後どうなるの かなんて考えたこともなかった。 調べてみると子供たちにメルマークの整理をしてもらって成果を出している PTA もあるという 当然そうすべきである 集めるのは保護者、 整理するのは子供、何に交換するかは 保護者/子供/教員の話し合い 、これでいいんじゃないだろうか。それをあえて、会社を休んでまで学校に集まり、集計作業をする理由はただ一つだけだ。そう、分かるだろう。いつものアレだ。「今までそうしてきたから」「やめようとか、他のやり方でとか、考えたことも無いし」 PTA改革の核心—仕分け作業は児童に任せた方が筋が通る ベルマーク財団も、子どもたちが主体的に活動する学校事例を紹介してお り、児童の参加を推奨している。ここからが、本当の意味での改革の提言である。 「無駄な作業」を「学び」に変換する教育的意義 児童がベルマークの仕分け作業に参加することは、ボランティア活動や社会貢献活動の一環として位置づけられる。自分の行動が学校の備品購入、場合によってはへき地・被 災地の学校支援につながることを実感できるのだ。実際に、子どもが回収箱の運営、 仕分け、啓発活動に積極的に関わる事例も報告されている。子供達が整理をする中で より効率的な方法を自分たちで考えることにもなる。 複数人で役割分担しながら作業を進めることで、コミュニケーション能力や 対人スキルが向上し、他者と協力する大切さを学べる。自分たちが集め、仕分けしたベ ルマークが実際に学校の役に立ったり、他校の支援につながったりする経験は、児童 の自己肯定感や達成感を高めるのではないだろうか。 ベルマーク活動を通じて、子どもたちは学校や地域のために貢献すること で、「自分も社会の一員である」という意識を育む。これこそが、本来のベルマーク 運動が目指していた姿のはずだ。 実装イメージ—「労務」を「学習体験」へ転換する工夫 調べれば色んな工夫した取り組みをしている学校・PTAがあるとわかった。回収箱を協賛会社別のポケットにして、回収段階から会社別に仕分けられる ように工夫することで、整理するという後工程の負担を軽減できる。ウォールポケット型や牛乳パッ ク製など、各学校で多様な工夫が見られる。 ベルマーク委員や環境委員はリーダシップをとって、児童が主体的に収集・ 仕分け・集計活動を行う。近所の店舗や回覧板で協力を呼びかけたり、地域のお祭りでベル マークコーナーを設けたりするなど、地域ぐるみで活動に取り組むことで、学校と地 域のつながりを深める例もあるそうだ。 ベルマーク仕分けをゲーム化したり、親子イベントとして開催したりするこ とで、参加のハードルを下げ、楽しみながら取り組むこともできる。 もう一つの現実的解決策—ウェブベルマークという選択肢 共同アフィリエイトの仕組みで労務を削減 WEBベルマークは2013年に始まった新しいベルマーク運動の形であり、ネ ットショッピングを利用して学校支援のポイントを貯める仕組みである。 利用者はwebベルマークのサイトを経由して、協賛するオンラインショッ プ(2026年1月現在、多くはないがヤフーショッピングなどがある)で買い物をする。これにより、利用者 の追加負担なく、購入金額の一部が協賛企業からウェブベルマーク協会に支払われ、 それがベルマーク点数として指定した学校に自動的に加算される。 実態としては、広告費(成果報酬)を原資に学校支援へ回す共同アフィリエイ トの仕組みである。 何が解決し、何が失われるのか 物理的なベルマークの切り取り、仕分け、集計といった手作業が一切不要と なるため、PTAの労務負担を大幅に軽減できる。忙しい保護者でも、普段のネットシ ョッピングを通じて手軽に学校支援に参加できる。学校を指定してポイントを貯めら れる。 ただし、ウェブベルマークは万能ではない。デジタル化は便利である一方 で、学校と地域、保護者と子どものつながりという、これまでのベルマーク運動が持っていた側面が希薄になる可能性もある。 だからこそ、リアルなベルマークの回収・整理は児童主体に、追加分をウェブで上乗せす るというハイブリッド設計が最適解と考える。 「誰のための運動か?」を再定義する—ベルマーク改革の未来 このベルマーク 問題は PTA の前例踏襲という悪しき習慣の 典型的な表れだ と言える。今までずっとこうしているからというだけの理由でやりたくないことを押し 付けられる。私が子供達にベルマークの整理をさせればいい と提案したら、「そんなことした ら 環境委員の仕事がなくなる」と言われた。これだ! だったら無くしてしまえばいいのに、彼女にとっては「今まで通りを続けること」こそが正義なのだ。 もっといい方法はないのかと考えればできるはずなのに 、そもそも考える気 もないし、 言われたことだけを義務感でこなす。それが自分の役割だと信じて疑わない。再三、繰り返し述べていることだが この思考停止した前例踏襲の慣習こそが世間にアンチPTAを生み出しているのだ。 フリマでベルマークが売買される現状は、ベルマーク運動の「制度疲労」と 「PTAの過剰な労務負担」が背景にあることを明らかにしている。 この問題の解決は、単に「売買の是非」を問うだけでなく、「誰のための運動なのか?」という本質に立ち返り、ベルマーク運動の再設計を考える機会である。 改めて整理すると、持続可能なベルマーク運動の未来を築くためには、以下のハイブリッドなアプローチが有効だ。 仕分け・集計作業は児童の学びとして再設計する。教育的意義を明確にし、児童が回収・整理に主体的に参加できる仕組みを整える。一方で、追加のおまけはウェブベルマーク(共 同アフィリエイト)で効率化する。これはもっぱら保護者の役割だ。保護者の負担を軽減しつつ、より広範な支援を可能にする。私は高校のPTAにも関わっていて、さすがに高校生にベルマークの整理はお願いしづらいので、ウェブベルマークだけでの参加を検討中だ。 ベルマーク運動は「謎の伝統を守るために親が疲弊する苦行」であってはならない。「すべての子どもに等しく、豊かな環境の中で教育を受けさせたい」という 本来の目的に立ち返り、現代社会に合った形で進化していく必要がある。 メルカリに「ベルマーク」を出品する人がいなくなった時、PTAのベルマーク問題は解決したことになるのだろう。 続きを読む

PTA強制加入問題について、めちゃ詳しく考えてみた PTAへの加入は義務?任意?

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PTAへの加入は義務なの?任意なの? この記事の対象者 PTAへの加入義務について法的議論に関心がある保護者 PTAの強制加入や活動に疑問を感じている方 この記事でわかる事 PTA加入に関する国や裁判所の法的見解 現在のPTA運用のパターンと課題 実際に起きている問題 現実には、次のような声がよく聞かれます。 「PTAは入るのが当たり前だと思っていた」 「入らないと言いづらい雰囲気がある」 「断ったら子どもに影響が出そうで怖い」 このように、本人の気持ちとは関係なく、PTAに入らされていると感じる保護者が 多いことが問題になっています。加入しないと不利益になる、そんな話も聞きます。では、法律的に見て、PTAへの加入は本当に義務な のでしょうか? 国の考え:PTAは「自由に入る・やめる」ことができる任意団体 実は、国(文部科学省)はかなり昔から一貫して「PTA加入は任意」だと説明して います。 昔からの公式見解1947年・1954年に作られたPTAのモデル規約では「会員になることができる」と書かれていますそこには「自由に入会する団体であり、強制してはいけない」とも明記されています。 さらに、2023年の国会でも、内閣総理大臣だった異次元のポンコツ総理として有名な岸田と文部科学大臣がそろって、「PTAの入退会は自由です」と、はっきり答えています。最近では、各自治体の教育委員会が公式に「PTAは任意加入です」と発表する例も増えています。 裁判でも「PTAは任意」と判断されている 法律の世界でも、この考え方は確認されています。有名なのが、2016年の熊本地裁の判決です。この裁判では、判決文の前提として、PTAは「入退会自由の任意団体」であるとはっきり書かれています。つまり、裁判所もPTAを「強制加入の団体ではない」と見ているのです。この判決をうけて、「だから、PTAは任意加入で確定!議論の余地はない!」という人がいますがこれは正しくありません。これを理解するには判例(正確には、最高裁判所の判断を「判例」、その他裁判所の判断を「裁判例」といいますが、ここでは一般向けに両者あわせて「判例」と言っておきます)のことを少し補足する必要があります。判例というのは、「その事件においては裁判官がそのように判断した」というだけのことです。確かにそれが後に続く類似の事案において大いに参考にされるのは事実ですが、類似事案で矛盾する判決が出ることは珍しくはないように、絶対的なものではありません。だから、以下のようにまだまだいろんな考えを出し、議論する余地はあるのです。 憲法から見ても「加入しない自由」がある 憲法学者も通常は、次のように説明しています。 日本国憲法21条は「結社の自由」を保障している これは「入りたい団体に入る自由」だけでなく「入りたくない団体に入らない自由」も含む PTAは、どうしても入らなければならないほどの公共性はないため、仮に「PTAに強制加入させる法律」を作っても、憲法違反になるだろう このように、PTA加入は任意であるという考え方は、今ではほぼ共通の理 解(通説)になっています。 それでも「加入は義務だ」と考える人もいる ただし、学者の中には、「PTA加入は保護者の義務だ」と考える人もいます。ここでは、その代表的な2つの考え方と、その問題点を見てみましょう。 「加入は当然」という考えの問題点ある教育法学者は、PTAは、親の教育の権利を実現するための団体なので、親は当然加入すべきだと述べています。しかし、この考え方には問題があります。 PTAがなければ、親は教育に関われないのか? PTAは日本で100年も続いていない新しい制度であり、「昔から親の権利の一部だった」とは言えない また、みんなで協力するのがPTAの精神だから、任意はおかしいという主張もあります。しばらく前までのPTAはこの考えが暗黙の前提にありました。子どもたちの為にみんなで協力する目的の団体なのだから、みんな加入するのが当然だよね、という雰囲気が醸成されていたわけです。これは「理想」ですね。しかし「理想」と「法律上の義務」は別です。法律に明確な決まりがない以上、「雰囲気」や「理念」だけで義務を作ることはできません。 「加入は当然」という考えの問題点別の憲法学者は、PTAを次の2つに分けて考えました。 親同士の勉強や交流を目的とするPTA → 任意でOK 学校教育に関わるPTA → 加入は当然 まあ、言いたいことは保護者同士の交流が目的なら任意だけど、子供のためが目 的なら強制加入。というわけですが、現実的には両方の側面があるわけでこんな分け 方をしたところで有益な解決は得られません。加えて、PTAがあることを分かってい てこの学校に入学したんだからPTAに加入する意思があるとみなすのも当然でしょ、という考えもあるのですが、「当然」の根拠ははっきりしていません。あとは「昔からそうだった(慣習)」という考えもありますが、 PTAを解散した学校もある 行政も「任意」と言っている 強制への批判が非常に強い 今の社会で、「PTA加入が慣習として当然だ」とは言いにくい状況です。 結論:現在は「任意加入」が基本 以上をふまえると、 PTA加入を義務づける明確な法律はない 慣習としても、全国的に認められているとは言えない ここまで長々書いてみたものの、現在の日本では「PTA加入は任意」ということになっています。 加入届はあるけれど、、、 加入届を取る例が増えています。体感では7割ほどでしょうか。まだ3割の学校で強制加入のような状態は続いています。実をいうと、私の関わる学校でも毎年議論するけど、実は現時点では自動的に加入する仕組みです。加入届を取得する場合においても濃淡があります。 ⓪PTA加入届を取得していない 非加入はありえない 会費を強制徴収 現在においてこれはさすがにないと思われます。 ➀PTA加入届を取得していない 勝手に自動加入→不満な人だけ非加入 オプトアウト 近年、猛烈に批判され、多くの教育委員会も声高に加入届を取得するように発表したりして急速に勢力を弱めています。自動で加入するけど、一部の不満分子は個別で除外する運用です。オプトアウト方式と呼んだりする人もいます。 ➁PTA加入届を取得しているが、非加入者及びその子には大きな不利益があり、事実上は全員加入 私の知る例だと、学年Tシャツから配布するんだけれども、非加入者には別途購入してもらう。が、それがやたら高額になっていて、だったら加入したほうが安上がり、というシステムになっていたりします。 ③PTA加入届を取得しているが、非加入者及びその子には一応不利益がある 有名な卒業式コサージュ事件をはじめ、記念品は別途購入というパターン。個人的にはこれが至極当然という考えです。詳しくは別稿を参照して下さい。ただし、実務的には大変面倒です。この子にはあげる、あの子にはあげない、と指示するPTAも大変だし、教員にも手間がかかります。なお、コサージュ事件の場合は、原告は別途購入すると主張したのにPTA側が拒否したという事案です。 ④PTA加入届を取得しているが、非加入者及びその子には全く不利益がない 最近増えている、平等が大好きなエセ人権派?の意見です。私は反対ですが、詳しくは別稿に譲ります。 https://pta.small-ai-japan.com/pta-non-member-legal-guide/   本当に必要なのは「入ります」という明確な意思表示 最初から「入る前提」で話が進むと、「入らない自由」は実際には守られません。そのため、PTAは「入ります」とはっきり言った人だけが会員になる何も言わなければ「未加入」の状態(オプトイン)と考える方が、憲法の考え方に合っているとも言えます。 ただし、法律上はまだ課題もある 一方で、法律の専門家の中には、会費支払いや活動参加の実態から「黙示の同意」を認めることもできるという意見もあります。裁判例でも多く見られます。加入届という用紙は提出してないけど、行事に顔を出していたんだから加入するつもりがあったということだよね、というやつです。この考え方も、今の法律の解釈としては間違いではありません。しかし、それはオプトアウトでいいということなので、事実上の強制加入という実態を止めるのが難しくなるという問題があります。 おわりに ごちゃごちゃと小難しい話も含めて書いてきてアレなのですが、実はこれは不毛な議論です。再三、言い続けていますが、イヤだという人に対して、ポイント制とか脅しとかで無理矢理やらせようとするから問題になるのです。「ボランティアは、できる人ができる事をできる時に」という大前提を見失い、どうにかしてやらせる方法はないかと考えてばかり。これでは問題の先送りにしかなりません。当ブログが言い続けているように、行列のできるPTAに生まれ変わる事こそが唯一解なのです。 https://youtu.be/McqoBrB_Tcs 続きを読む

PTAはなぜ変わらないのか?毎年同じ間違いを繰り返す理由とは?

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PTAはなぜ毎年同じ失敗を繰り返すのか? この記事の対象者 「無駄が多い」と感じながらも、前例踏襲から抜け出せないPTA役員の方 改革を提案したいが、周囲の反応や組織の慣性に不安を感じている方 現代の共働き世帯や少子化に合ったPTA運営のあり方を模索している方 この記事でわかる事 PTAが「昭和のモデル」のまま停滞し、変革が進まない根本的な要因 マネジメント経験の不足や「批判を避けたい心理」が運営に与える影響 非効率な現状を打破するために必要なリーダーシップとIT活用の視点 PTA活動の現場で、誰もが直面する課題の一つが、「前例踏襲」。 不合理だとか不効率だとか、そういったことに目を向けることなく(時には敢えて目をつぶり)何も考えることなく、今までこうしてきたからこうやってます、という訳です。もちろん、ちょっとした改善は進んでいるのですが大きな変革は見られず、周囲からは「いまどき、どうしてあんな無駄な事を?」と思われてしまっています。 僕自身も、15年近くPTA本部役員を 務めてきた経験から、それを痛烈に実感しています。 PTAがこれだけ非効率と言われながらもあまり改善されること無く前例踏襲を続けるのは何故なのでしょうか? この変革が進まない大きな一つの要因は、役員のマネジメント経験不足にあるのだと考えます。 マネジメント経験の欠如 PTA役員は、その構成メンバーが多様な職業の保護者で構成されます。主婦はもち ろんのこと、会社員、フリーランスなど、それぞれの立場や経験によってスキルセッ トは大きく異なります。多くの場合、主力メンバーである女性陣はパート・アルバイ トでの労働経験しかなく、組織運営の経験を持つ人材が少ないのが現状です。 多くの場合、役員は前任者から引き継がれた過去の業務をこなすことに終始し、 長期的な視点での改善策を考える余裕がないのです。 「去年こうやってたから」とい う理由で、変化を避ける傾向が強く見受けられます。まるで去年がお手本で、その通りに再現することが自分の役割と考えているかのような状況です。 当事者意識と社会構造の変化 PTA活動への参加意識が薄れる要因として、多忙な保護者の増加が挙げられます。 仕事と家庭の両立に追われる中、PTAの会議やイベントに参加すること自体が大きな 負担となり、結果として活動への関与が薄れてしまいます。 保護者同士のつながりが 希薄になっていることも、改善への意識を低下させる要因となります。そして役員は今、目の前にある 自らの役割を無難に果たすことに終始してしまい、別のやり方を考えるなんて思いも しなくなってしまうのです。 共働き家庭の増加 近年、共働き世帯やシングルペアレント家庭の増加が顕著です。このような家庭 環境では、親たちが仕事と家庭の両立に追われ、PTA活動への参加が難しくなってい ます。会議やイベントへの参加は、仕事のスケジュールを調整しなければならないた め、欠席するほかない状況が生じます。 絶対的な数の減少 少子化の影響もPTAの運営に深刻な影響を与えています。子どもが減少し、当然PTAの 会員数自体も減少しているのです。 この点、高校だと、定員が決まっていて人数自体 は長らく変わっていないということもあるでしょうが、公立の小中学校について言え ば、ごく一部の新興住宅街を除けば、児童数が30年前の半分以下、1/3以下というの がごく普通の状況です。 さらに、共働き世帯の増加やシングルペアレント家庭の増加、そして親の介護に 苦労している人も少なくありません。役員業務を引き受けられる担い手がますます少 なくなっているのが現状です。 現在のPTAの原型は昭和時代に作られました。午前中 に朝食の片付け、掃除洗濯を終えると午後はメロドラマを見て夕方にスーパーへ買い 物、、、そのような、日中はヒマなお母さんが沢山いた時代に形成されたのです。 私が小学生の 頃には「亭主元気で留守がいい」という流行語もあったように、家庭環境が大きく異 なっていました。そんな時代に作られたPTAですから、現代の状況に合わせて見直す必要があります。 役員の負担が一部の保護者に偏り、現状を維持するのが精一杯という状況が続いていま す。役員が限られた人数で運営を行う中で、特定の保護者に多くの業務が集中するこ とは避けられません。 これにより、役員の負担が重くなり、活動への意欲が削 がれてしまうのです。さらに、役員を引き受けたくない保護者が増えることで、役員1人1人の負担が増し、次の役 員を選出すること自体が困難になる、という悪循環が生まれています。 慣性と心理的要因 組織文化の慣性 あなたの学校のPTAでも「前からこうやってきた」という理由だけで続いている謎 の慣習があるはずです。その慣習を繰り返すことが目的化しており、何のためにやっ ているのかわからないまま、役員やメンバーが中止や新しい提案・改善策を提案する ことすらなくなっていることもあります。 特に、長年役員を続けているベテラン(通称ボスママ)がいる場合、過去の成功体験が強く意識さ れ、新たな試みを拒絶することも珍しくありません。私が小学校の本部役員に関わり始めたころ、そんなボスママがいました。口では「意見があれば言ってくれ」というものの、本人は何も変える気が無く、何を提案しても却下されたのを覚えています。この慣性は、非効率なプロセス や運営方法がそのまま続く原因となり、改革を進めるための障壁となります。組織の中で変化を恐れる空気が漂うことで、メンバーが意見を言い出しにくくな り、さらなる停滞を招くことになります。その意味でも、守るべきは守る、変えるべきは変える、リーダーにはそんな考えが必須です。 批判を避けたい心理 また、改革を提案することが「面倒なことを増やす」と見なされることも大きな 問題です。PTAの活動はボランティアベースで行われているわけで、役員やメンバーは仕事を調整し、自分 の時間を割いて活動に参加しています。 そのため、たとえ長い目でみれば省力化になるとしても新し い方法を検討すること自体が新たな負担を生む可能性があると感じると、現状維持を 選択する心理が強く働きます。要するに、考えるのが面倒くさいから今まで通りでいいや、という訳です。 スキル不足 種々の理由が重なって、ムダだの時代遅れだのと批判されながら、当の役員たち も何となく気づきながら変わらない不効率運営がまかり通っている現実があります。 最近の技術進歩により、AIやプログラミングを活用することで、運営の効率化や 合理化が劇的に進む余地は多分にあります。しかし、各PTAにはそれぞれの個別事情 があるわけで、これらのテクノロジーを効果的に活用するためには各PTAの実情にあわせた カスタマイズが避けられません。 しかし、多くの役員は、仕事にSNSにYoutubeにと、 多くのことに追われており、最新のテクノロジーやツールについて学ぶ時間や余裕がなく、新たなツールや仕組みの導入が進まないの です。 この状況を打破するためには、リーダーシップとAIやITの知識をもって変革に取 り組む本部役員が現れるのを待つしかないのかもしれません。 行列のできるPTAはそのお手伝いをします。だからあなたに是非その役 割を担ってほしいと思います。 続きを読む

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PTAの超効率化を支援する自作アプリ配布中 LINEに登録するだけで使えます 01 録音データを書き起こし、議事録にまとめてもらう・・・やってみたけどイマイチ、と思った人にこそ試して欲しい 02 フォルダファイル一覧・・・グーグルの共有フォルダを使っているけど、 01.録音から議事録作成 得に固有名詞の変換ミスが多くてイマイチ。変換ミスを極小化する仕掛けが必要です 02.フォルダファイル一覧 共有でGoogleドライブ使ってるけど、どこに保存したか分からなくなった人 続きを読む