私が「子どもたちのために」と言わない理由──PTAを「義務」から「楽しみ」に 変える発想転換
「子どもたちのために」が生む同調圧力と違和感の実態
「子どもたちのために」という”魔法の言葉”の違和感
PTAでよく使われるけど、私は使わない言葉(別件でこんな言葉も使わない)があります。
それは
「子どもたちのために」
聞いたことが無い人は100%存在しません。
役員決めの場で、行事の準備で、ボランティアを募る際にこの言葉は何度も何度も繰り返されます。
一見すると、これほどボランティア精神に溢れた、とても正しく、美しい言葉はないように思えま す。
「子どもたちのために」
この言葉には誰も反対できない”錦の御旗”のような響きがあります。
しかし、私はこの言葉が嫌いです。そして、自分からは使ったことがありませ ん。
なぜなら、この言葉はえてして、「子どもたちのためなんだから嫌でもやれ」につながりかねない危険な言葉だと思うからです。
「子どもたちのために」が生むPTA同調圧力の構造
「子どもたちのために、協力してください」
「子どもたちのために、我慢してください」
「子どもたちのために、もう少し頑張りましょう」
こうした言葉を投げかけられたとき、保護者は何と答えればいいのでしょうか。
「嫌です」「無理です」と言えば、まるで子どものことを考えていない親だと思われ てしまうような空気が生まれます。
話が飛躍するように感じるかもしれませんが、かつて第二次世界大戦において、「お国のために」が旗印となり、負けると分かっていながら、無駄死にだと分かっていながら、多くの日本人に死を強いることが正義であるかのような風潮がありました。
いわば、超迷惑な正義の押し売り。
私には、それと同じような気持ち悪さが感じられるのです。
つまり、「子どもたちのために」という言葉は、しばしば「やりたくないけど断れない」状況を作り出す道具として機能してしまうのです。
もともとは善意から出発した言葉であっても、使われ方次第で、時に強制を強いる危険な言葉だと感じるのです。
結果として、保護者は不本意ながら引き受け、疲弊し、やらされ感を抱えながら 活動する——
こんな悪循環が生まれ、その結果として、多数のアンチPTAを輩出している訳です。
このPTAの同調圧力について、視点は逆だけど私と同じ感性の人がいたのでリンクしておきます。
「自分が楽しい」を原動力とするPTA活動の本質と好循環
>私の原動力は「自分が楽しいから」
では、私はなぜ長年、PTA本部に関わり続けているのか。
それは、自分が楽しいからやっている——
ただそれだけです。
「子どもたちのため」よりも、むしろ「自分が楽しいから」。
これが私の本音で あり、原動力です。
行事を企画するワクワク感、保護者同士で協力して何かを作り上 げる達成感、子どもたちが喜ぶ姿を見たときの充足感。
それと、これは私だけかもし れませんが、不効率にまみれたPTA運営を如何に無理なく無駄なくこなせるように ITツールを作り上げる——
こうしたすべてが、私自身の「楽しい」につながっているの です。
こうした話をすると、こんな反応が返す阿呆が存在します。
「子どもが楽しくなくても、自分のためにやるのか?」
「それは自己満足じゃないのか?」
しかし、そんなことはありえません。
PTAがいじめになっていないか
もし、自分が楽しくて相手は嫌がっている——
そんな状況があるとしたら、それはボランティアと言いません。
はい、そうです。いじめです。
PTA活動も同じです。
自分だけが満足して、子どもたちが苦痛を感じているのな ら、それはただの押し付けであり、自己満足でしかありません。
そんな活動に意味は ないし、続ける価値もありません。
私が大切にしているのは、子どもが楽しんでいるから、自分が楽しい という関係性です。
子どもたちが笑顔になる。
目を輝かせる。
「楽しかった!」と言ってくれる
その反応があるからこそ、私も心から「やってよかった」と思えるのです。
これが 私の原動力であり、活動を続けるモチベーションです。
つまり、「子どものため」と「自分のため」は対立しないので す。
むしろ、自分が心から楽しんでいるからこそ、その熱量が子どもたちにも伝わ り、結果的に子どもたちも楽しめる——
そんな好循環が生まれるのです。
PTAを「義務感」から「やりがい」へ変える持続可能な発想転換
「義務感」ではなく「やりがい」で動くPTAの実現
「本当はやりたくないけど、子どもたちのために頑張らなければ」という義務感で動くPTA活動は、長続きし ません。
保護者は疲弊し、子どもたちにもその疲れが伝わるでしょう。
一方で、「自分が楽しいからやっている」という保護者が増えれば、PTA活動はも っと明るく、前向きなものになるはずです。
無理をせず、得意なことを活かし、楽し みながら参加する——
そんな姿勢こそが、持続可能なPTAを作る鍵ではないでしょう か。
「子どもたちのために」を超える自然なPTA活動の目指す姿
誤解しないでほしいのですが、私は「子どものことを考えなくていい」と言って いるわけではありません。
ただ、「子どもたちのために」という言葉を”義務を強いる道具”として使うので はなく、自分自身が楽しみ、その結果として子どもたちも喜んでくれる ——
そんな自然な形でのPTA活動を目指すべきであり、そうでなければ続かないと訴えているのです。
「やらされている」ではなく、「やりたいからやっている」。
「我慢している」ではなく、「楽しんでいる」。
子どもが楽しんでいるから、自分が楽しい。
この純粋な気持ちがあれば、PTAが嫌われるはずがなく、行列のできるPTAはその先にあるのです。