PTA非加入者には別途料金で、、、っていうか連絡手段が無い

PTA 非加入問題の本質:卒業式で記念品を渡せなかった役員の苦悩

卒業式:PTA 非加入の子に記念品を渡せなかった現実

卒業式の朝、PTA役員が記念品を渡せなかったという痛ましい現実に打ちひしが  れている様子。PTA非加入の問題を象徴するような、胸を締め付ける写真。

あの子に記念品を渡せなかった。

辛い思いをしたのは、ボランティアの PTA だった。

卒業式の日のことを、今でも思い出す。

体育館には、六年間を駆け抜けた子どもたちの晴れやかな顔が並んでいた。

保護 者席には、カメラを構えた親たちの笑顔。

そして私たち、PTA の役員は、舞台の袖で 記念品の入った紙袋を前に、息をひそめていた。紙袋には 1 つ 1 つ児童たちの名前 が書かれている。

でも一人の子の紙袋は用意されていない。

渡せない。渡してはいけない。でも、目の前にいる。

あの時の感覚を、どう言葉にすればいいのか。

胸が締め付けられるとか、心苦し いとか、そんな言葉では全然足りない。

もっと重くて、やるせなくて、誰かに怒鳴り たいような、でも怒鳴れる相手がどこにもいないような。そういう感覚だった。

個人情報保護の壁:PTAは非加入者へ連絡できない

「PTA非加入者への連絡の難しさ」で頭を抱えるPTA役員の苦悩。個人情報保護  の壁と善意のボランティアのジレンマを表現。

「連絡する手段がない」という、誰にも見えない壁



私も再三、非加入問題について記事を書いてきた。

PTA非加入者の子どもに記念品は配るべき?感情論ではなく、論理的に公平と持続性から考える

PTA非加入世帯の児童生徒を区別/差別するの は違法なのでしょうか?

PTA強制加入問題について、めちゃ詳しく考えてみた PTAへの加入は義務?任意?



そして、PTA 非加入の問題は世間でにぎやかに議論 されている。

「同じ児童・生徒なのだから非加入者への差別はやめろ」
「子供自体は 非加入者ではない」
「いや、サービスを享受するなら費用を払うべきだ」。

SNS では 毎日、誰かが誰かの意見に噛みついている。

だが、実際にその現場にいる私たちは、別次元の悩みを抱えている。

というのも、議論の出発点にすら立っていないからだ。

「非加入者に実費をお知らせして、要否を問う」
「行事案内を別途送る」

理屈の上では正しい。


でも、どうやって?


PTA が持っているのは「加入届を出した人」の名簿だけだ。

個人情報保護法の壁があるから、学校から全児童の名簿をもらうことはできない。

つまり、「誰が加入していないか」を、PTA は公的に知る方法がないのだ。

現実解としては、学校で配布される名簿と照らし合わせて検証するほかない。

(しかし、ハードルが上がっていて、最近は、そもそも児童生徒に名簿を渡さない学校もあると聞く。)

じゃあ、名簿がある場合は 問題ないかと言えばそうでもない。

名簿と突き合わせれば非加入者を判別することはできる。

そうだ、物理的にはできる。

でも、それをやれば「名簿を目的外使用した」と批判されかねない。


誰がそのリスクを背負うのか。PTA はボランティアの、無給の、ただ「子どもたちの ために」と思って手を挙げた善意だけの人間だ。

全員配布案の矛盾と加入者への不公平感について

「全員配布」の矛盾により、PTA会費を支払ってきた保護者の信頼を裏切る状況  を表現した画像。PTA改革の不公平感。

「全員に配れば?」という無邪気な提案の、残酷な現実



そうなると「非加入者だけに実費をお知らせしたい」場合であっても、全家庭に案内を出 しかない。それでいいじゃないか、と言う人がいる。

考えてみてほしい。

すでに加入している保護者たちにも「加入していない方へ、実費のご案内です」 という手紙が届く。

その瞬間、何が起こるか。

「え、加入しなくてもよかったの?」
「加入しない人、どれくらいいるんだろう?」
「お金を払ってたの、ばかばかしい」。

善意で会費を払い続ける人たちの心に、 小さな火がつく。

PTA が自分の手で、自分の足元に油をまくようなものだ。

「寝た子を起こしたくない」というのは、保身でも隠蔽でもない。

必死に組織を 支えようとしている人間の、ぎりぎりの判断なのだ。

親の選択と責任:子供に罪はないという甘い毒

「PTAの負担に打ちひしがれる親の姿。PTA活動の重責と、そこからくる葛藤を  表している。」

「同じ子どもなのに」という言葉の、甘い毒

「子供に罪はない、加入非加入に関係なく平等に接するべきだ。」

他の記事で指摘している通り、PTA の役員にもそういう意見がある。

いや、むしろ、こういう平等主義者は PTA 会員にこそ多い(と言ったものの、そもそも非会員 と接する機会自体がないので、本当のところは分からない)。

私にはバカげた意見なのだが、たとえ話をしてみよう。

ディズニーランドの入り口で、親に連れて行って もらえないけど入りたそうにしている子がいたとする。

「この子も同じ子どもなんだ から、ミッキーに会わせてあげるべきだ!」と言う人は、いないだろう。誰もが「そんなバカな」と笑うはずだ。

なぜ PTA の記念品になると、全く違う話になるのか?

なぜ「教育の場だから」「 子どもは平等に」という言葉が、魔法のように論理を曲げてしまうのか?

加入・非加入を決めるのは、親の権利だ。

それは誰も否定しない。

でも権利に は、必ず責任が伴う。

「加入しない」と選んだなら、その結果として何が変わるのか を、自分の子に、自分の言葉で説明するのは、親の仕事のはずだ。

泣きたいのは子供じゃなくてPTAです!

卒業式の話に戻る。

記念品を受け取れなかったその子が、どんな顔をしていたか。

私には見る勇気が なかった。

ただ、会場をあとにする人の波に紛れながら、「ごめんな」と心の中で繰 り返していた。

謝る相手も、謝る理由も、本当は違うはずなのに。

なんで私たちがこんな想いをしなきゃいけないのか?

笑えない。本当に笑えない。

もう、限界だ。

現場の役員たちは、悲鳴を上げている。ただ、声にならないだけなのだ。

「応援したい人が、応援できる範囲で支える」。

PTA の本来の姿は、そういうシ ンプルなものだったはずだ。

その健全な姿に戻るために必要なのは、難しい法律の改 正でも、組織の解体でもない。

自分の選択の結果を、自分で引き受けること。

ただ、それだけだ。

その当たり前の関係性を取り戻せる日が来るまで、今日もどこかで、名前も知ら れない PTA 役員が、泥をかぶり続けている。