PTAがないと運動会ができない?歪んだ学校運営を乗り切るサバイバル術とは

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PTA問題の深層:行政の不作為と現場の麻痺を乗り越えるサバイバル術 運動会の朝。グラウンドにテントが並び、放送機材が組まれ、プログラ ムの横断幕が張られている。これを設営しているのは、朝7時から出勤した教員と PTAの男性メンバーたち。女性メンバーは受付や自転車置き場への誘導、会場の警備 などの運営補助を担っている。毎年、当たり前の恒例行事として見られている風景 だ。 ここで問題を提起してみよう。すでに広まっている通り、PTAは学校とは 独立の任意の団体である。しかしこのPTAの協力を前提に学校のイベントが設計され ている状態は、制度として正常なのか。 冒頭のように、運動会の設営や受付・警備といった裏方業務をPTAに頼ら ざるを得ない状況は、現在の公立学校では当たり前のことになっている。しかし、本 来は任意団体であるはずのPTAの労働力がなければ行事が成立しないという学校の体 制こそが、実は大問題であるという認識を私たちはまず持つべきだ。 構造の解剖──行政の「不作為」と現場の「麻痺」 任意団体への依存という根深い構造 PTAは社会教育法第10条が定める「社会教育関係団体」であり、加入を義務付 ける法律は存在しない。国も「入退会は保護者の自由」と明言している。それなの に、学校運営の中にPTAの労働力ががっちりと組み込まれている。これが問題の根源 だ。 本当の問題は「PTAという存在そのもの」ではなく、「PTAがないと学校が困 る」という体制そのものにある。学校の人手不足を任意団体の労働力で埋めている構 造は、行政が負うべき責任を実質的に転嫁している状態にほかならない。 労働力にとどまらない財政的依存 さらに言えば、この依存は労働力だけにとどまらない。私の学校では、本来 は教育課程内として公費で賄うべき「出張授業」の経費まで、PTA会費から捻出して いる。本来、行政が負担すべきコストをPTAに頼っているのが現状なのだ。 放置される現状と現場の麻痺 行政側の姿勢 行政側もこの現実を分かっているはずだ。しかし、分かっていてあえて放置 している。報道を見ていればわかるように、問題が完全に顕在化して初めて、重い腰 を上げて予算をつけるような動きをする。 現場に広がる麻痺 何より根深いのは、学校もPTAもこの歪んだ仕組みを前提に長年動いてきてし まったために、もはや現場の誰もこれを問題にしていないという「麻痺」の現実であ る。 私自身このようにブログでPTA問題を深く考えるようになったからこそ、毎年 の出張授業の原資がPTA会費になっていることの問題点に気づいたのだが、学校もPTAもゆでガエル状態。問題が問題とすら認識されない現実があるのだ。 すぐに改善されない現実と、どう向き合うか なぜ問題が表面化しないのか 教員が本来やるべき行事ではあるが、人手が足りないからPTAに頼み、PTAの おかげでなんとかイベントが回っていて、PTAも子供たちのために必要だからまあい いや、と納得しているから誰もそれ以上の大きな問題にしない。 「PTAの協力がゼロだった場合」を想定した行事に設計し直すしかない。そん な考えもあるだろう。極めて正論である。 現場の知恵で生き抜くサバイバル術 しかし、現実を見渡したときに、公立学校を取り巻く行政の仕組みや予算措 置が来月からすぐに劇的に改善されることは期待できない。声を大にして行政の責任 を追及することは正論だが、体制が変わるのを待っている間にも、目の前の運動会や 行事はやってくる。 であれば、この「行政がサボって放置している」という歪んだ大問題を前提 とした上で、私たちは視点を切り替える必要がある。すぐに変わらない仕組みを嘆い て消耗するのではなく、いかにこの状況を現場の知恵で生き抜くかというサバイバル 術が必要なのだ。 つまり、「現体制が間違ってる、変えないと!」と主張するだけでは何も変わらない。 「『PTAの協力がゼロだった場合』を想定した行事に設計し直すしかない。」と考えている間に行事を迎えてしまい、通り過ぎることになる。 PTAの逆転発想──いかにこの状況を楽しめる組織にするか 「苦役」から「楽しむイベント」への昇華 すぐに体制が変わらないのであれば、今PTAに求められているのは、いかにこ の状況を義務ではなく「楽しむイベント」にできるかという逆転の発想だ。 「やらされる苦役」として運動会の警備や受付をするから、不満と疲弊が溜 まっていく。そうではなく、行政がリソースを放棄してしまっているマニアックな状 況を逆手に取り、保護者自身が「学校のイベントを裏から動かす当事者」として、そ のプロセス自体を面白がれるような仕掛けやマインドセットを作っていく。 全国で始まりつつある新しい取り組み すでに全国では、義務としてのPTAを解散し、やりたい人がその都度手を挙げ る登録制のサポーター制度などに移行し、結果として保護者の自発的な参加が増えた 事例も動き始めている。義務だから動く組織から、自発的に関わりたい人が楽しむ組 織へ。PTAという名前かどうかはともかく、無理無駄なくして楽しい集合体にしてい かなければならないのは再三繰り返している通りだ。 おわりに 世に蔓延るアンチPTAは、「活動が強制なのはおかしい」「無駄が多い」と批 判する。しかし、問題の根源はPTA自体ではなく、行政の怠慢だということにまで考 えがいたってないだろう。 学校行事の運営が「PTAがあるから助かっている」どころの話ではなく、「 PTAがないと困る設計になっている」。この行政の怠慢による構造的な問題に気づ に、中長期的に仕組みを疑い続けることは教員にとっても保護者にとっても第一歩と して不可欠だ。 しかし同時に、今この瞬間を生きる私たちが疲弊しきってしまっては意味が ない。変わらない行政の体制に潰される前に、まずは目の前の行事を「いかに楽しむ か」へ舵を切る。そのしたたかなマインドシフトこそが、結果としてこれからの学校 運営を柔軟に変えていく原動力になるはずだ。 続きを読む

子供の頃、運動会で一番盛り上がった競技、覚えてますか

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運動会PTA競技、めちゃ楽しかったなあ 運動会からPTAリレーが消えた訳 ガチンコ教員・PTA選抜リレーがもたらした運動会のハイライトと熱気 子供の頃、運動会で一番盛り上がる時間が何だったか、覚えているだろうか。 それは児童の競技でも、閉会式の成績発表でもない。プログラムの終盤に組まれ ていた「児童選抜・教員選抜・PTA選抜」による、ガチンコのリレー対決だ。 あの時間の校庭は、独特の熱気に包まれていた。スターターピストルの音が響い た瞬間、大人たちが文字通り「本気」で激突する。「あ、◯◯君のママだ!」「嘘、め ちゃくちゃ速い!」「あの先生、小学生の時、陸上で全国大会に出たんだって!」そ んな噂が応援席を駆け巡り、大人たちの意外な一面が次々と露わになる。普段は物静 かな近所のお父さんが、現役の陸上選手顔負けの猛烈なダッシュを見せる。 そして何より忘れられないのが、普段は保健室でおっとりしているはずの保健の 先生が、異次元レベルの爆速でトラックを駆け抜け、次々と前の走者をゴボウ抜きに し、大差をつけていった瞬間だ。「えっ、あの先生、あんなに早かったの!?」地響 きのような大歓声の中、バトンを繋いで一躍ヒーローになった先生の姿は、子供心に 強烈なスパークとなって脳裏に焼き付いた。大人が本気で走り、本気で笑い、本気で 悔しがる。あのドラマチックな空間こそが、運動会のハイライトだった。 安全第一によるリレー廃止と保護者役割の裏方労働力化の問題点 しかし、いつしかそんな光景は学校から消え去ってしまった。おそらく、普段運 動しない大人たちがアキレス腱を断裂するなど、けが人が出ることが多くて廃止され たのだろう。安全第一の観点から見れば、廃止の判断は仕方のないことだったのかも しれない。 だが、それと引き換えに、現代のPTA活動は決定的な何かを失ってしまったのでは ないだろうか。 今のPTA活動を見渡してみると、我ながら、どうにも面白くない。なぜなら、保護者が「ただ の裏方の手伝い」に終始してしまっているからだ。コーンを並べたり、受付をした り、撮影エリアのロープ際で見張りをしたり、学校外の見回りをするとか。義務感と雑務ばかりが先行し、行事を 「一緒に楽しむ仕掛け人」ではなく、単なる「無料の労働力」のようになっている現 状がある。まあ、子供の行事なんだから保護者が影子に徹するのは当然という考えもあろうが、これではPTA活動が敬遠されるのも無理はない。 リスク排除型PTA競技の提案|安全な玉入れで大人の楽しみを復活させる 事故ゼロを実現する現代版引き算競技の導入 だったら、PTA競技を復活させたらどうだろうか。 「いやいや、また怪我人が出たらどうするんだ」という慎重論が聞こえてきそ うだが、何も昔のように全力疾走するガチのリレーをやれと言っているわけで はない。怪我のリスクが全くない競技だって、探せばいくらでもある。 例えば、ただの「玉入れ」だ。 玉入れなら、運動神経の良し悪しは関係ない。足をもつれさせて転倒するリスク もゼロだ。それでいて、制限時間内にどれだけ入れられるか、大人が本気になってカ ゴに玉を投げ込む姿は、見ている子供たちにとっても間違いなく大盛り上がりするコ ンテンツになる。運動経験は不問、ルールも単純で誰もがヒーローになれるチャン スがある。チェッコリ玉入れ、保護者の部はダンスも加点要素、そんな運動会もあるらしい。とてもいい案と思いませんか。お父さんお母さんがお尻フリフリで弾ける競技、ただ1つあるだけでみんなの満足感は数倍になるだろう。リスクを完全に排除した、現代版の「引き算の競技」だ。 事前準備不要、当日参加型競技だってできるハズ 名簿作成・出欠確認・チーム分けを廃止した業務スリム化の手法 さらに言えば、「PTA競技を新設するなんて、事前の準備や調整が大変だ」「前例 がない」と学校や周囲から反対されるかもしれない。 これも、解決策は至極シンプルだ。事前の名簿作成も、出欠確認も、チーム分け もすべてやめてしまえばいい。 運動会の当日、プログラムの合間にマイクを持ってこうアナウンスするだけでい い。「今からPTAの玉入れを始めます!参加したい人は、どうぞグラウンドに集まっ てください!」 これだけだ。何も難しいことはない。事前の登録なんて考えるから仕事が重くな り、前例踏襲の壁にぶつかるのだ。 「やりたい人集まれ」一声で始まる地域共生型学校行事の未来 その場でやりたい大人がノリで集まり、ただ楽しく玉を投げて、終わったら解 散。この「徹底的な事前準備の排除」こそが、業務のスリム化を求められる現代の PTA改革において、最も必要なマインドではないだろうか。 学校行事は、子供たちだけのものではない。大人だって、地域や学校とつながっ て、本気で笑って楽しめる場であっていいはずだ。ただのつまらない裏方で終わる運 動会だからPTAが嫌われるのだ。 まずは次の運動会、PTA競技を提案することから始めてみませんか。 続きを読む

PTA嫌いは私立に行け?!PTA問題は公立学校特有の論点

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PTA問題の本質を法律と構造から解く:公立と私立の 決定的な違い 連日のようにネットやニュースを賑わせているPTA問題。強制加入の是非や、会費の不透明な使い道、保護者同士の人間関係など、 その多くがネガティブな文脈で語られています。しかし、こうした議論を見るたび に、ある決定的な前提が抜け落ちていると感じざるを得ません。 それは、世間で騒がれているPTA問題のほぼすべてが、公立学校 を前提にした話であるということです。 公立と私立では、その存在の根底にある仕組みがまったく異なります。ここを混 同したまま一様な感情論で語っても、問題の本質的な解決には至りません。両者を分 かつ決定的な違いはどこにあるのか、法律と構造 の視点から紐解いていきます。 私立学校のPTAは教育契約に基づくサービス提供:非加入という選択肢が存在し ない構造 まず、私立学校について考えてみましょう。昨今、私立高校の授業料無償化が全国的に広まり、公立私立の垣根が大きく下がって、自覚のない保護者も多くいるのかもしれません。しかし、私立学校の本質は、一言で言えば教育をサービスとして提供する契約関係、つまり営利企業的な側面を持っているということです。つまり、私立学校は教育をネタにした金儲け会社というのが私の分類です。夢の時間を売るディズニーランド、教育を売る私立学校、売っているものが違うだけで営利団体という本質は同じということです。 さて、私立学校において、保護者はその学校独自の教育方針や運営ルール、校風に同意し、納得した上で入学という契約を結んでいます。そのため、学校側がどれほどの金額をどう集めて何に使うか、基本的には学校側の自由です(それに納得した人だけ来てね、という話です)。 たとえば、暖房費として保護者に一定の金額を均一に負担させるようなことがあったとすると、公立学校では大問題ですが、私立学校の場合、何の問題も生じませ ん。 さらに言えば、集めた費用が実際にいくらかかり、差額がいくら出たのかといっ た詳細な決算報告や情報開示をする必要性すら、そもそも存在しません。 さらに言えば、 余った暖房費を忘年会の補助に使っちゃった、そんなことがあったとしても(ある、とは言いません。私は私立に行こうと思った事すらないので興味もありません)、なんら法律上の問題はないのです。 「平等論」が通用しない私立学校の契約関係 近年、PTA問題の議論の中で「非加 入者の子供も平等に扱うべきだ」という主張がよく見られます。しかし、私立学校においてこの平等論を持ち込むのは、ビジネスで言えば、契約の対価を支払ってい ないのにサービスだけは均一に受け取らせろという、全くの無理筋な要求と同じです。 平等病にかかった人は「代金を払ってない人にはモノをあげられません」という当たり前のことが理解できないので困るのですが、私立学校においては、そもそも非加入という選択肢自体が想定されていません。 「ウチのPTAにはこんなことをやって頂きます」と保護者に課すルールに同意できないのであれば、そもそもこの学校に来 ないでくれ、嫌なら辞めてくれればいいという、明確な選択の自由と自己責任の建前 がどこまでも徹底されているのです。無論、子供を入学させてみてはじめて実態が分かった、ということは当然に起こり得ます。 公立学校でPTAが問題化する最大の原因:地方財政法の大原則と公費負担の構造 これに対して、話が泥沼化するのが公立学校です。なぜ公立の PTAだけがこれほど揉めるのか。その最大の原因は、人間関係の拗れなどではなく、 地方財政法という法律の厳然たる大原則があるからです。 地方財政法には、公教育に関わる費用は住民に直接負担させてはならないという 大原則があります。つまり、公立学校を維持・運営するために必要な費用は、すべて 設置者である自治体が公費、すなわち税金で賄うべきであるというのが法的な建て前 なのです。 この大原則があるからこそ、本来なら公費で出すべきものを、なぜ保護者の財布に頼るような構造になって いるのかという、根深い問題が生まれます。 教員が公務員であることが招く自由度の低さと予算制約の限界 さらに問題を複雑にしているのが、教員が公務員であるという身分の前提です。 公立学校は税金のみを財源として運営されているため、お金の使い道は極めて厳 格に制限されています。予算を請求するにも非常に煩雑な手続きが必要で、現場の裁 量で自由に使えるお金がほとんどないという現実があります。 私立学校のように、現場の判断で柔軟に費用を徴収したり、独自の意思決定を下 したりすることは認められません。こうした予算制度の硬直性と、変化する現場のニーズとの間で、公務員組織としての仕組みが限界を迎えている。これが公立学校の 抱えるもう一つの壁です。 感情論を超えて法律と構造からPTA問題を捉え直す:公立と私立の本質的違い 任意なのに強制された、役員決めが苦痛だといった運用面の不満や愚痴は、あくまで表面に見えて いる症状にすぎません。本当に目を向けるべき病根は、地方財政法 や公務員制度という、公立学校が抱える構造的な制約に あります。 契約関係で成り立つ私立と、法と税金で縛られる公立。 この両者のアプローチの違いを正しく理解することこそが、感情論に振り回されずに本質的なPTA問題を捉え直すための、最初の一歩になるはずで す。 https://youtu.be/1CYl4BEZsFs 続きを読む

教員がPTAのプリントを配ったら法律違反!ってホント??アンチPTAを一刀両断

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教員がPTAのプリントを配ったら法律違反!って正気ですか?? PTA業務と職務専念義務:地方公務員法第35条をめぐる批判の矛盾と学校運営の現実 先日、ネットでこんな主張を目にしました。学校の職員が勤務時間中に 学校とは独立の任意団体であるPTAの業務に関わるのは、地方公務員法第35条の職務に専念する義務、いわゆる職務専念義務に違反している、という指摘です。具体的には、学校側がPTA会費 の回収を代行したり、銀行口座への振り込み手続きを行ったり、あるいはPTAからの 手紙や配布物を子どもたちに配ったりする事務作業が、すべて法律違反にあたるという言い分です。たとえばこんなの。法律の条文まで持ち出されると、一見すると筋が通った正しい批判のように思えるかもしれません。 しかし、現場の実態や論理の整合性を少しで も考えれば、この主張がいかに愚かでナンセンスであるかがすぐに分かります。 1. 職務専念義務違反主張の本質:法律論に隠されたアンチPTAの真意 地方公務員法第35条を盾にした学校批判の実態 職務専念義務という言葉に隠された本音 地方公務員法第35条という具体的な法律名が出てくると、いかにも知的な議論が 行われているかのような錯覚を覚えます。 しかし、この言葉を盾にして学校を叩いて いる人たちの本音は、決して法律の厳密な運用を求めているわけではありません。 彼らの目的はただ一つ、PTA活動そのものを否定したい、あるいは学校のや り方にいちゃもんをつけたいというアンチPTAの姿勢が先にあるのです。 PTAの強制加入・任意加入を巡る議論などでも見られるように、自分の嫌 いなものを攻撃するために、ちょうど都合の良さそうな法律の条文を引っ張ってきた に過ぎません。 目的と手段の逆転が生む論理の破綻 目的と手段が完全に逆転しているからこそ、彼らの主張は一歩踏み込むと、自ら 引き起こした矛盾で完全に破綻してしまいます。 2. 極端な職務専念義務解釈が招く矛盾:教員の日常業務との比較 「雑談も法律違反?」極端な適用の不合理性 「昨日のテレビ見ましたか?」が法律違反 職務専念義務というのを少し分かりやすく言うならば、公務員は税金から給料をもらっているのだからその勤務中に職務以外のことは一切するなというものです。 もしも、職務専念義務というものを彼らが言うように極端に突き詰めるのであれば、教 員は勤務時間中に一言の無駄話も雑談もしてはならない、ということになります。 昨日のあのテレビ番組面白かったですね! このニュース、知ってますか? 芸能人の●●が浮気してたらしいですよ 昨日、大谷翔平がまたホームランを打ちましたね! 職員室や廊下、給湯室などで、教員同士がそんな世間話を交わした瞬間、それは職務に関係ない事に時間を使った、として法律違反になってしまうのでしょうか。 そんな職場が地球上に存在するはずが ありませんし、人間が働く環境として完全に狂っています。日常の些細な雑 談すら違法にしなければ成り立たないような極端な理屈を、なぜかPTAの業務に対してだけは平気で適用しようとする。 そんな自らの論理破綻にすら気づかないまま、知的な言葉のメッキを貼って大騒ぎしている姿は、滑稽としか言いようがありません。 微々たるPTA事務と社会通念上の職務範囲 微々たるPTA事務の手伝いは、むしろ学校業務の遂行に必要な事項である 教員が日常の中で費やしている雑談の時間と、PTAに関わっている時間。 これらを足し合わせて比較すれば、圧倒的に前者のほうが長いはずです。PTAに関わる時間な ど、全体の勤務時間から見れば完全に微々たるものでしかないはずです。学校がPTAのために行う作業といえば、会費引き落としのための名簿作成や、PTA関連書 類の配布、あるいはPTAのイベントや会議のために打ち合わせをすることくらいです。 特に学校からPTAへの名簿提供に関わる個人情報保護法の問題なども昨今よく 指摘されますが、これらはどれも、教員の年間総労働時間を脅かすような重労働とは思えません。そもそも、PTAは学校業務の運営を強力に手伝ってくれるパー トナーです。 学校という組織を円滑に運営する上で、その重要なパートナーの事務をほんの 少しサポートすることは、外部のボランティアに媚びを売っているわけでも、法律を犯しているわけでもありません。 むしろ、学校本来の業務を滞りなく遂行するために 必要なプロセスであり、当然職務に含まれるべき事項と考えるのが妥当です。 先ほどの雑談の例も円滑な業務遂行に必要なコミュニケーションとして、社会通念上妥当と言える範囲において、職務の範囲に含まれると解釈することが許されるわけです。 3. 学校運営におけるPTAとのギブ・アンド・テイク:圧倒的な相互支援の現実 運動会・行事運営におけるPTAの人的サポート 学校公開や運動会の受付すら代行。圧倒的なギブ・アンド・テイクの現 実 実態を言えば、学校側がほんの少しの事務作業を負担している何倍、何十倍もの恩恵を、学校はPTAから受けています。 例えば多くの学校では、運動会をはじめ、大きな行事の際の受付や周囲の警備業務を、PTAの保護者たちが代行している 例が多くあるのではないでしょうか。 本来であれば、これらはすべて学校の教員が総出で対応、もしくは学校の経費で警備員を手配しなければならない業務です。 しかし、深刻な教員不足や人手不足、予算不足に悩む学校のために、PTAがその貴重な人手を無償で差し出し、来校者の誘導や防犯の役割を買って出ているのが現実です。 これまでもそうだったし、これからも部活の地域移行問題な どでも見られるように、行政や学校が保護者のボランティア労働に依存している構造 は年々強まっていきます。 このこと自体に問題があるのは確かですが、現実問題として「PTAの手伝いが無ければイベントが成り立たない」学校は数多くあります。 地域見守り・準備片付けなど多岐にわたる協力体制 他にも、地域の見守り活動、行事の準備や片付けなど、PTAが学校のマンパワーを補っている事例を挙げればキリがありません。これほどまでに学校運営の根 幹を支えてもらっているのですから、その対価として、学校側が会費の引き落としを 代行したり、お便りを配ったりするくらいのことは、お互い様として全く当然の対応であり、 健全なギブ・アンド・テイクです。それもPTA側のギブが圧倒的に多いはずです。 4. 建設的な学校・PTA協力関係を維持するために:表面的な法律論に惑わされな い知性を もはや呆れる他ない、「批判することが目的」の自己矛盾 PTA叩きもここまでくれば、もはや呆れるしかありません。 そもそも、学校で配られるプリント類には、保険の案内(広告)なんかもあったりします。普段の学校活動に全く貢献していない保険代理店の利益のためにチラシを配る方がよほど大問題だというべきです。 そんなことも分からずに「PTAのプリントを配るな」などという主張はもはやPTAの批判だけが目的になっているトンチンカンと言わざるを得ません。 一部の批判派 が振り回す「職務専念義務違反」という論調は、現場の泥臭い助け合いや学校運営の現実を一切無視した、中身のない言葉遊びです。 そればかりか、PTA反対という自分 の主張を通すために「すべての雑談も違法である」という、常識的に考えて首肯しが たい結論を肯定せざるを得なくなる、そんな巨大な自己矛盾を抱えています。 PTAが学校を支え、学校がPTAの事務を少しだけ手伝う。もちろん、過度な学校への寄付の強要などは別問題として対処すべきですが、日常的な事務レベルでの協力は、円滑な学校運営において欠くべからざる要素です。 このごく当たり前で 建設的な協力関係があるからこそ、子どもたちの豊かな学習環境が守られています。 表面的な法律論のメッキや、自己矛盾だらけのナンセンスな批判に惑わされ ない知性を身につけたいものです。 https://youtu.be/2JBi5-O7yfk 続きを読む

部活の地域移行はなぜ失敗するのか?PTAが犠牲になる黒い真実

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部活地域移行の「ドス黒い真実」——公教育を破壊する令和の棄民政策にモノ申す 部活地域移行政策の構造的問題とPTAへの影響 はじめに:PTAと部活、何の関係があるの? 今回は、すべての保護者、そしてPTA運営に関わる私たちにとって、決して他人事 ではない大きな社会変化についてお話しします。 それが、文部科学省やスポーツ庁が 進めている「中学校の運動部活動の地域移行」です。 私が関わる都立高校でもその動きが出始め ており、今後、公教育の現場ではこれが一般的になっていきます。 「え?部活の話でしょ?PTAと何の関係があるの?」と思ったあなたにこそ、ぜひ読んでいただきたい内容です。 なぜなら、この部活改革の構造は、私たちが直面して いる「昭和から抜け出せないPTAの課題」と、驚くほどそっくりだからです。 具体的に言いましょう。PTAの最大の病根とは何か。 「やってくれる人」が見つか れば何とかなる、という属人的なボランティア依存であり、タダ働きが「子供のため 」という美名のもとに当たり前として制度に組み込まれている構造です。 断れない善意の人にだけシワ寄せが集まり、疲弊した人が抜けても、他の正義感の強い誰かが犠牲になる ——この悪循環こそが、PTAが何十年も変われない根本原因です。 部活の地域移行は、まったく同じ失敗を、より大きなスケールで繰り返そうとし ています。そして何より、この改革の行き着く先には、PTAがその「都合の良い受け皿」として真っ先に利用されるという最悪のシナリオが待ち受けているのです。 そもそも「部活動の地域移行」とは何か 国が提示している資料によると、これまで学校が主体となって担ってきた部活動 を、今後は地域が主体となる「地域クラブ活動」などへ段階的に移行していこう、という大きなパラダイムシフトが進んでいます。 まずは「公立中学校」の「休日」の「運動部」から優先的に進める方針が示され ていますが、その背景には主に2つの深刻な理由があります。 少子化による部活の維持困難:生徒数が減り、単独の学校で はチームを組めない、やりたい競技の部活が存在しないという機会の不均衡が起きています。 教員の長時間労働・過酷な負担の軽減:人手不足のため、土 日を返上することもありますし、そもそも経験のない競技の顧問を担当せざるを得な いこともあり、教員の労働環境が限界を迎えています。 建前はこうです。 「子供たちのスポーツの機会を守りつつ、先生方の働き方改革 を同時に進める。」しかし、この美しいビジョンの裏に、国も自治体も絶対に口にしない「ドス黒い真実」が隠されています。 自治体・教育委員会の保身主義と現場無視の制度設計 「自治体・教育委員会」の本音は「部活に関わりたくない」 そもそも、なぜ急に国を挙げて「部活を学校から切り離そう!」と言い出したの でしょうか。教員の働き方改革?子供たちのための多様な選択肢? 半分は本当でしょうが、現場の動きを見ていると、もう一つのドス黒い動機が見え隠れします。 それは自治体や教育委員会の「これ以上、部活のトラブルに関わりた くない(批判されたくない)」という、あからさまな保身です。 近年、部活動におけるイジメはもとより、指導者の暴言・体罰、過酷な練習によるケガ、保護者間の 人間関係トラブル、移動中の事故など、何かあるたびに教育委員会や自治体がはげしく批判されてき ました。 部活動は公立学校において、オマケの位置づけでしかないはずなのに、ちょくちょく事件を招くわけです。かと言って部活動をなくす、というのは体裁が悪いから言えるわけがない。 「素人教員に無理やり顧問をさせるな」という世論からの突き上げも限界に 達しています。 だったらどうするか。 「部活を学校の外の組織(地元の地域クラブ、社会人チー ム、有志など)に丸投げしてしまえば、部活関連で何かあっても自分たちの責任にはならない」——そう、これは「子供たちにより良い部活動の機会を提供する」などという大義名分を借りた、壮大な「責任逃れ」の仕組みづくりに 他なりません。 彼らが制度設計において何よりも最優先にしていること。 それは子供たちのス ポーツ環境の充実でも、教員の負担軽減でもありません。 「自分が、そして自分の 組織が、絶対に非難されないこと」、それが最優先事項なのです。 彼らの本音では、部活動な んてスポーツごっこ、事件が起きれば面倒に巻き込まれる、そんな扱いです。 トラブルの責任を学校から切り離し、自分たちの任期中に問題が起きなければそれでいいという、究極の保身ファーストが生んだのがこの制度です。 「地域一丸で子供に運動環境をあたえよう。」 美しく聞こえる 「地域へのバトンタッチ」の正体は、単なる行政の「保身の仕組み化」に過ぎませ ん。 部活の意義も知らない似非エリートが作った机上の空論 この地域移行という制度をドヤ顔で考えている官僚や有識者会議の連中は、学生 時代に部活に全力で打ち込んだ経験が一度でもあるのでしょうか? そもそも教育行政を動かしているのは、東大・京大といった本当のトップ層では なく、「それなりの大学を出た二流官僚」が大半です。エリートのふりはしています が、勉強も運動も中途半端。そのくせ、数字と建前だけで現実を動かせる特権階級だと本気で思い込んでいるのです。 仲間と泥まみれになって汗を流し、限られた設備の中で工夫し、顧問の先生とぶつかり合いながら成長していく——そんな現場の熱量や、部活が持つ「教育的価値」を、彼らはこれっぽっちも理解していません。 彼らにとって部活とは、データ上の「教員の労働時間」であり、削減すべき「コスト」でしかないのです。しかも、トラブルメーカーだってことですから縁を切りたいと考えるのは無理からぬことです。 だからこそ、冷房の効いた部屋で数字と理屈だけをこねくり回した末に、「部活は地域のボランティアに任せれば解決」などという、現場の人間からすれば失笑モノの絵空事を平然と資料に書けるわけです。 現場を知らない、半端なプライドだけは一人前の二流官僚が、数字の辻褄合わせだけで作った制度が、まともに機能するはずがありません。 「地元の経験者やPTAに任せればいい」という絶望的な勘違い 学校から切り離すとなれば、代わりに指導する人が必要になります。 そこで自治体や偉い人たちが平然と口にするのが、次のようなお気楽なセリフです。 「地元企業のスポーツクラブや社会人チームに委託すればいい」「PTAの中にもスポーツ経験者がいるはずだから、協力してもえばいいじゃないか」 ……正気ですか?と声を大にして言いたいです。 資料の上では「有料化も視野に」なんて書かれていますが、実態として提示される予算は「基本ボランティア」に毛が生えた程度の謝礼だろうことは容易に想像がつきます。良くて交通費程度、下手をすれば完全無償のボランティア活動を想定(正しくは「期待」)しています。 ここで一度、冷静に考えてみてください。今の時代、平日は仕事でヘトヘトにな り、貴重な土日を潰してまで、他人の子供のために「ボランティアで熱心に部活を教えてくれる、指導力のある大人」が、そこら中に転がっているでしょうか? そもそも、運動経験があることと、思春期の中学生を安全に正しく指導できることは全くの別物です。 そんな都合の良い神様のような人材が、ボランティアベースで自発的に、毎年継続的に集まるわけがありません。 結局は、また一部の「断れない善意の保護者(PTA)」や「地域の熱血おじさん」 にシワ寄せがいき、属人的な自己犠牲に依存するだけの、旧態依然としたPTAと同じ失敗を繰り返すのがオチです。 歪んだ予算配分が招く公立教育の衰退と教育格差の拡大 「私立無償化」の前にやることがあるだろ——歪んだ予算配分の謎 百歩譲って、本当に教員の働き方改革を進め、持続可能な部活を目指すというの であれば、国や自治体が出すべきものは一つしかありません。 そう、「予算(お金 )」です。 民間委託するにしても、プロの指導員を雇うにしても、正当な対価を支払うだけ の予算が担保されていれば、問題は大きく変わります。 しかし、現場に降りてくるの は「基本的にボランティアを前提に進める」という、相変わらずの現場任せです。 ここで大きな矛盾に気づきませんか? 世間では「私立高校の実質無償化」が華々しくアピールされ、政治家・議員の人気取りのために莫大な予算がジャブジャブつぎ込まれています。 しかしその結果、私立学校にお金が回る一方で、公立学校の設備は老朽化したまま放置され、部活の指導員を雇うお金など当然のようにケチられてきたのが現状です。 本来、優先してお金を使うべき場所はここ、すなわち公教育の現場改善ではないでしょうか。 雨漏りする体育館や、ボロボロの部室といった「公教育施設の設備充実」 ボランティア頼みではない、プロ(じゃなくても相応の)の指導者を適正な対価 で雇うための「部活指導員の予算確保」 地域のインフラである「公立学校」の足元を固めることこそが、本来のスジのはずです。にもかかわらず、基礎となる公教育の予算をケチり、現場をボランティアという名の奴隷労働で 回そうとしながら、見栄えの良い授業料無償化だけに大金を投じる。 この歪んだ 予算配分のせいで、地方や公立の教育環境はどんどん干からびています。 義務教育の土台である公立中学校をスカスカにしておいて、一体何のための無償化なのか。順番が完全に狂っています。 待ち受ける未来:「公立の衰退」と「私立の超隆盛 」という冷酷な現実 この無責任な丸投げ改革が突き進んだ先には、一体何が起きるでしょうか。 予測される未来はあまりにも残酷です。 公立中学・高校の運動部(そのうち文化部も)の壊滅的な衰退。 指導者が集まらず、活動日は激減。大会に出るための調整や引率も誰もやらないため、部活としての体をなさなくなります。「名もない公立高校が強豪私立か ら逆転の大金星!」そんな光景は、もはや万が一にも起こらなくなるでしょう。甲子園の予選では公立高校が50対0、そんな無残なコールド負けをくり返すことになります。となれば、もはや部活動は教育意義など失い、単なるスポーツごっこ、自己肯定感を下げるだけの無用の長物です。 一方、お金のある家庭の子供は、最新の設備とプロの指導者 が揃った私立中学校・高校や、月謝が数万円する民間の本格的なクラブチームへ流れます。 そしてお金のない家庭の子供は、スポーツをやりたくても「 受け皿がない」「民間の月謝が払えない」という理由で諦めざるを得なくなります。 結果として生まれるのは、経済力によって規定される強烈な教育格差です。 「私立に行ける裕福な家庭の子だけが、まともなスポーツや文化活動を楽しめばいい」 ——今回の改革を進める連中の本音は、結局そういう冷酷なビジョンに行き着くので す。これはまさに「令和の棄民政策」と呼ぶほかありません。 まとめ:PTAは行政の「予算ケチり」の生贄になってはいけない 教員の負担を減らすこと自体には、私も賛成です。 スポーツ素人の教員たちを縛り付けるのは今すぐやめるべきです。 しかし、自治体や教育委員会が自分たちの責任を回避するために、十分な予算も 受け皿の担保もないまま「あとは地域でよろしく!PTAも利用できると思うよ!」と 放り出すのは、あまりにも無責任です。職務放棄と言っても過言ではありません。 私たちPTAは、学校をサポートする組織ではありますが、行政の失策や予算ケチりの穴埋めをする便利屋ではありません。 このままでは「伝統のチームだから」「子供のためだから」とPTAメンバーが監督やコーチに駆り出されることも視野に入れる必要があります。 この同調圧力に負けて、部活指導のボランティア化の波に巻き込まれないよう、私たち保護者は冷徹に、批判的な目を持ってこの動きを監視し続ける必要があります。おかしなことには「おかしい」と声を大にして、NOを突きつけていきまし ょう。 ポンコツ役人の言う「新しい当たり前」に、これ以上騙されてはいけません。 https://youtu.be/13eZphC8rXA 続きを読む

学校がPTAに名簿提供するのは「違法」?個人情報保護法にどう対処する?

提言

学校がPTAに名簿提供するのは「違法」?個 人情報にどう対処すべきか 静岡市個人情報流出事件の概要と「黙示の同意」の 法的問題点 ニュースを見て、思わず「え、なんで……」と声を漏らした役員の方も多いのではな いでしょうか。 【事案】 2026年4月、静岡市内の小中学校で約9,200人分の児 童・保護者の個人情報が、本人の同意なしに学校側からPTAへ提供されていたことが 発覚。 教育委員会が「同意なしの提供はダメ」と手引きを作成していたにもかかわら ず、現場の学校長たちは「今まで通りでいいだろ」とスルーしてしまったようです。 PTAは学校とは別の「任意団体」であり、個人情報の取り扱いについては企業や一 般団体と同じ法的ルールが適用されます。 今回の件は、学校文化と法制度(個人情報 保護法)の乖離が改めて浮き彫りになった形です。学校長にも「PTAは無料で学校行 事の手伝いをしてくれる便利な人たち」という考えが抜けない人がいて、名簿くらい は渡してあげないと困るだろう、という発想になるのは無理からぬことなのでしょ う。 しかし、この問題はなにも一部の地域の特別な話ではなく、全国の校長・PTA役 員にも心当たりがある人は大勢いるはずです。 「黙示の同意」は個人情報保護法で通用しない 学校側がよく使う言い訳に「反対の申し出がなかったから、同意したものとみな した(黙示の同意)」というものがあります。要するに、反対を表明しない限りは加 入とみなす、という考えです。 しかし、現在の個人情報保護法において、これは通用しません。 国も「PTA加入は任意」であることを一貫して説明しており、本人の明確な意思 表示がないまま名簿を渡すことは、法的に極めてグレー、あるいは今回の事案のよう にアウトと判断されます。 学校の言い分: 「みんな入るもんだと思ってたし、いちいち 聞くのは面倒」 法律の言い分: 「任意団体であるPTAに情報を渡すなら、本 人の『いいよ(オプトイン)』という同意が必須」 このギャップが、9,200人という大規模な「無断提供」を生んでしまったのです。 この記事の対象者と得られる知見 静岡市のニュースを見て「うちの学校の管理体制は大丈夫?」と冷や汗をかいて いるPTA役員の方 「学校から名簿をもらえないと活動が詰む!」と頭を抱えている本部の方 個人情報保護法と「運営の簡素化」の板挟みで、PTA運営に限界を感じている方 静岡市で起きた個人情報提供問題の「法的アウト」なポイント なぜ学校は「黙示の同意」という名の思考停止に陥ってしまうのか 名簿に頼らない、泥臭くも健全な「令和のPTA名簿」運用のすすめ 学校とPTAの個人情報管理における構造的課題と現場 の絶望 以前の記事「 PTA非加入者には別途料金で、、、っていうかそもそも連絡手段が無い」でも書 きましたが、PTAが学校から名簿をもらえないことは、現場の役員にとって 「透明な壁」にぶつかるような絶望感を与えます。 非加入者に実費案内をしたいけど、そもそも誰が非加入かわからない。 という本末転倒な状況に陥るのです。 「情報を守れ」という正論と、「面倒くさい」という現場の悲鳴。この板挟みで 泥をかぶるのは、いつもボランティアの役員たちです。 最近は、名簿を教室等に掲示 するにとどめ、配布しない学校も増えてはいるものの、名簿を役員がこっそり突き合 わせれば判別できるのですが、それは「名簿の目的外使用」という新たなリスクを役 員が背負うことになります。 任意団体であるPTAと学校の関係性の見直し 静岡市の件は、決して学校長を責めるような問題ではないと考えます。 ただ「今 までこうだったから構わないだろう。 名簿がないとPTAの皆さんも困るだろうから 」という甘えがあったことは否めません。 これは学校とPTAを取り巻く構造 的な問題です。 令和のPTA運営:名簿に依存しない情報収集とデジタ ルDX活用 静岡市の件を受けて、今後ますます学校側のガードは固くなるでしょう。 これか らのPTAがとるべき唯一の道は、「学校に依存しない情報管理」へ のシフトです。つまり、加入届を提出してもらうことです。 ここでも2つの方法があります。 加入届に、住所や口座情報などを組み込んでしまう 「学校から必要な情報を共有してもらうことに同意します」だけで済ませる 1.は加入届の回収率を下げることになるので、2.でも良いとは思いますが、この あたりは各学校の状況にも依存します。 オプトイン方式とデジタルツールによる名簿管理の 自動化 「加入届」の徹底(オプトイン方式)自動的に強制加 入、はもはや時代に逆行しています。Googleフォームなどを活用して、保護者から直 接「PTAに加入します」という同意と共にデータを集めましょう。 デジタルツールでの自動化私が提言している「委員会名簿を全自動で作るDX術」 を応用すれば、集まったデータから重複を削除した名簿を作成するのは一瞬で す。 手書きの名簿を打ち込む「昭和の苦行」からも解放され、転記ミスも防げます。 「名簿を作らない」「情報は絞る」という選択そもそ も、PTA加入者全員名簿が必要な場面は限られますので、名簿が必要なのかな検討余 地があります。 また、名簿に住所・電話番号・メールアドレス・兄弟などの情報は本 当に必要でしょうか?もしも、「毎年作っているから」が理由ならそれはくどいです が、思考停止 かも知れません。 「連絡はLINEなどのツール経由で」「必要な時だけ個別に」 と、収集する情報を最小限に絞る勇気も必要です。 静岡市の事例から学ぶ合规なPTA名簿運用と加入促進 のすすめ まずは同意書を取得していないなら、それをルール化することです。 「加入率が 下がるんじゃないか」と、ズルズルと同意書を先延ばしにしているPTAもまだまだ多 いですが、加入同意書とあわせて必要な個人情報を収集することから始めましょう。 私も途上ですが、PTA加入の意義を訴え、進んで加入したい PTAに方向転換していきましょう。 他山の石として活かす個人情報保護とPTA運営の両立 静岡市のニュースを「他山の石」に、各学校・各PTAが個人情報保護法を遵守しつ つ、運営の簡素化も両立させるための第一歩を踏み出しましょう。 名簿提供の「違法 」リスクを回避し、現場の「絶望」を解消する、持続可能なPTA活動の構築が求めら れています。 https://youtu.be/e-IbPNYKXx8 続きを読む

消防団操法訓練で見えた、PTAの可能性

効率化

消防団操法訓練の実態にみるPTA改革の可能性 消防団操法訓練における安全靴着用と怪我の必然 今回は一見、PTAと離れた所から話が始めよう。 同じボランティアなら手当が支給されるほ うがいいじゃないかってことで地元消防団に加入したのが1年ほど前のこと。 消防団には春の大イベントがある。今回は消防団の代名詞ともいえる「操法訓練」の実態についての話だ。 消防庁が持っているデータによれば、消防団の活動で最も怪我が頻発するのは、 実際の火災現場ではなく、この操法訓練の練習中だという。 大半が下肢、特に足首や ヒザのケガ。しかも、その原因まで特定されている。それは「安全靴を履いていること」 だ。まあ、ここまでは傍目で見ているだけで簡単に想像がつく。 安全靴で走らせるなんて、、、どうかしてるよ 本来、安全靴は重量物の落下や熱、危険物から足を守るためのものであり、その 設計思想は「運動機能を制限してでも安全確保に特化すること」にある。 関節を固定 して保護する靴は、当然ながら激しい運動や機敏な動きには向いていない。おおよそ歩けないスキー靴 よりは歩きやすいというレベルの靴だ。 そんな靴を履いて全力で走り、急に振り向 く、あるいは急停止するといった動作を繰り返せば、逃げ場を失った衝撃が足首や膝 に集中する。 足首を痛める可能性が極めて高いのは、構造上、必然なのだ。 役所マインドと前例踏襲が招く組織の硬直化 消防団員のケガ第一位の原因は分かっており、データも揃い、物理的な無理も明白。 それなのに、操法訓練を中止しようとか、スピード優先の評価ルールを変え ようという動きにはならない。 これこそ、このブログでも再三繰り返していることだ が、日本の組織に深く根を張る「前例踏襲」の正体である。 「過去の否定」を恐れるメンツ優先の思考回路 なぜ変えられないのか。 その最大の障壁は、合理的な判断基準ではない。 「やり 方を変えることは、これまでの自分たちのやり方が間違っていたと認めることになる 」という、いかにも役所的な発想だ。 特に役所という組織において、前例を覆すこと は「過去の担当者や責任者を否定・非難することになる」と捉えられかねない。 多くの団員 が怪我をしているという「事実」よりも、組織の「メンツ」が優先される。 この硬直 した思考回路が、不合理な訓練を延命させている。 操法訓練という名の「体操競技」 この「分かっていても言えない、変えられない」空気は、今に始まったことでは ない。 かつての戦争中、特攻隊のような無謀な作戦に対して「馬鹿げている」と感じた人は多くいたはずだ。 しかし、それを口に出せば「非国民」と非難され、和を乱す 存在として糾弾された。 結果として、無駄死にした命が6000人以上にのぼったのだ。 誰もその責任を取ることもなく。 特攻隊からコロナ禍、消防団現場まで繰り返される「和を乱すな」の檻 この構造は、数年前のコロナ禍でも繰り返された。連日、テレビが「昨日は1000人以上です」「Aさんが死にました」と大騒ぎする中、私は 「騒ぎすぎだ。インフルエンザと同じじゃないか。 数年もすれば『何であんなに大騒ぎしていたのか』と振り返ることになるよ」と言い続 けた。 しかし、周囲からは猛烈な非難を浴びた。今、操法訓練の現場で起きていることも、その縮図に過ぎない。 感情論が支配する「真面目な過去への配慮」と目的のずれた操法 不条理を指摘しようとすると、決まって「これまで真面目に訓練に取り組んできた人たちに対して失礼だ」という感情論が湧き上がる。 実は非難する側も、心のどこ かでは「おかしい」と薄々気づいているのかもしれない。 しかし、それを表立って明 言されると、自分の拠り所が揺らぐため、かえって激しく反論したくなるのだ。 そもそも操法訓練は、本番の消火活動でそのまま再現されるものではない。 「気を付け!」の姿勢で腰が曲がっていただの、敬礼の腕の角度が90度じゃないだの、列がほんのちょっとズレていただの、靴に泥がついているだの、足幅が広いだの狭いだの、指先がまがってるかだの、、、そんなことで減点される。要するに体操競技と同じ仕組みなのだ。もちろん、火事の現場ではそんなことはどうでもよく、現場で再現されることはおおよそ想定されていない訳だから、いわば「訓練という名前の競技」であり、競技自体が目的化している。 安全靴の特性を無視 し、怪我のリスクを承知でスピードを競う。 そんな消防組織が安全講習で「ケガを防ぐために、ケガの要因を排除しましょう」なんて講義をしてるんだから二流のブラックジョークである。 私自身、訓練自体は否定しないが、とりあえず言いたいの は、安全靴を使うならスピード競争にするべきではないという、ごく当然のことだ。 だからPTA改革には光がある さて、こうした消防団の絶望的な状況を整理したところで、改めてPTAの改革につ いて考えたい。 私は、PTAにはまだ大きな希望があると考えている。なぜなら、PTAが 前例を踏襲し続けている最大の理由は、消防団のような「おかしいという自覚はある けど、メンツがあるから(忖度しなきゃいけないから)止められない」ではなく、単 に「不合理なことをやっているという自覚がない」だけだからだ。 消防団との決定的な違い:自覚的拒絶か無自覚か 「分かっていないから変えない」のと「分かっているのに変えない」のでは、その差は天と地 ほどもある。 PTAの場合、多くの参加者は1-2年で入れ替わり、それが不合理だと気づ いた時には任期が終わっている。つまり、「問題があるという自覚が無いから変わらない」のである。 私の ように、カイゼン・改革が大好きでかなりのスキルをもつ激レアなタイプでも、1度イベントを体験してはじめて不合理に気付き、翌年カイゼン、でそのまた翌年、更にカイゼン、でやっとなかなかの結論にたどり着くことが少なくない。 大半のPTA役員はとりあえず目の前の イベントをそつなくこなすことで精一杯、カイゼンする気もないまま引退する。 だか ら、多くのPTAが変わらない・変えられないのは以前に述べた通りだ。 IT活用と可視化で動く組織変革の最初の一歩 しかし裏を返せば、ITの活用や効率的な仕組みを提示し、その「不合理」を可視化して気づきさえ与えられれば、変わる余地は多分に残されている。 無論「去年通り を真面目にやればOK」「新しいやり方を考えるなんて面倒と思われる」という同調圧 力は強い。 「現状、不合理なのかもしれないけど新しい改善策を考えるほうがもっと面倒くさいのでこのままでいい」という人も多い。 だから、「来年以降、ラクになる ように仕組みを作ろう」そんな気概をもったリーダーがいれば変われる余地は多分に あり、そんなPTAを応援したいのだ。 https://youtu.be/FA_Cy9N5-8w 続きを読む

「PTA絶対やりたくない」そんなあなたにこそおススメしたい高校PTA

雑学

「PTAなんて絶対イヤ」なアンチ保護者にこそ薦める高校PTA 小中学校のPTAで、アナログな作業や終わりの見えない会議、過剰に密な人間関係(それが思わぬトラブルに発展することも…) に疲れ果て、「もう二度と役員なんてやらない」と心に決めている、そんな方は多い のかも知れません。 しかし、その「食わず嫌い」で高校のPTAまで避けてしまう のは、もったいない事です。 正直に言えば、もったいない、どころか「気の毒」ですらあると思っているのです。 多くの学校がそうであるように、私が会長になっている高校でも年度 初めの委員選定は難航します。そもそも保護者会に参加している保護者がクラスの半数以下、いや1/4だったこともあります。 「学校が遠いから、わざわざ行けない 」「仕事が忙しくて、そんな時間はない」「親の介護があって、家庭のことで精一杯 だ」「下の子の世話があるから無理」 いろんな理由を挙げて役員・委員を回避したい人が大勢います。 実際、事前アンケートの結果はほとんどがそうです。 当ブログに掲げている通り、私は「できる人が できることを できる時に」という考えですから、そうしたやりたくない人を責める気は一切ありません。 ただ、そのまま距離を置き続けるのは、食わず嫌いでもったいない、、、いや本当に「損」だと思っています(参考:「PTA本部役員、やってよかった」と言ってほしいので頑張ってる)。 なぜなら、高校のPTAはそのような悩みのほとんどをはじめから織り込み済みで設計されているからです。 実は高校のPTAは、あなたのイメージを覆すほ ど「合理的」で「実用性」に満ちた場所なのです。 だから、「誰も立候補しないので渋々引き受けた、、、」はずなのに、居心地良過ぎて翌年も、という人がちょいちょいいるわけです(無論、私のリーダーシップの影響も少なくないと思いますけど。役員の負担を減らす共同会長制などの工夫を取り入れている学校もあります)。 高校PTAは効率設計 距離が遠い、仕事、介護、、、が前提 通学距離の遠さが生み出す劇的な時間効率化とオンライン会議の徹底 学校までの物理的距離が貴重な保護者の時間を防壁として守る理由 小中学校と決定的に違うのは、学校までの距離です。 地方だと状況が変わるでしょうが、都内だと、地元の公立小中学校であれば徒歩 5分~10分で集まれるのが普通でしょう(ちなみに昔の私自身は片道徒歩1時間の小学校でしたけど)。 他方、公立小中学校と違い、気軽に集まれる環境ではないため、高校には「ちょっと集まろう」という文化が そもそもありません。 実際、私の場合だと、小学校までは歩いて3分、走れば1分もかかりませんが、もう一つの都立高校までは電車を複数乗り継ぎ、片道1時間半~2時間もかかります。 いくらPTA会長だからとはいえ、ちょっと打ち合わせ、、、のために行ける訳がありません。 「わざわざ電車に乗って集まるのは非効率」という共通認識があるため、会議は極力LINE上、もしくはオンラインZOOMで完結させることが基本路線です。こうしたオンライン会議などを活用した徹底的な効率化が、高校PTAではごく当たり前に機能しています。 そもそも、高校ともなると授業参観があるわけでもない(たいていの人は聞いてもチンプンカンプンでしょうし)ので、保護者が関わるようなイベントは入学 式・卒業式・体育祭・文化祭と、数えるほどしかなく、学校に行く拘束時間は徹底的に排除されて います。 物理的な距離が、あなたの貴重な時間を守る「防壁」になっているのです。 フルタイム勤務や介護事情を前提とした柔軟な高校PTA参加体制 全員参加圧力のない「できる範囲で参加」が根付く合理的な運営設計 高校になると、子供に手がかからなくなることもあり、フルタイムで働くお母さんもグッと増えてきます。それ以外にも、親の介護を抱える保護者、きょうだいの世話をしながら時間をやりくりしている保護者など、みんながそれぞれ「事情持ち」です。 だからこそ、「来られる人が来られる時に、できる範囲でやる」 という空気が自然に根付いています。小中学校のように「全員参加」「皆勤が美徳」 という圧力は、ここにはありません。「子どものために」という言葉が生む過度な義務感や同調圧力から解放されているのも、高校PTAの大きな魅力です。 欠席しやすく、オンラインで参加しやすく、役割の負担も比較的軽い。「自分には無理」と思っていた条件が、案外クリアされてい ることに気づくはずです。 情報断絶状態の保護者を救え PTAは重要な情報収集ルート 高校生男子の情報封鎖を突破するPTA活動の唯一性と安心材料 子供が話さない学校行事や進路情報を把握する保護者にとってのオアシス 特に男子の保護者の皆さんは共感していただけるはずですが、高校生ともなる と、子供は親に学校のことをほとんど話さなくなりますよね。 プリントは鞄の底で地層になり、 重要な行事や進路の話題も「別に」「忘れた」の一言で片付けられてしまっているのではないでしょうか。 私自身、高校時代に学校の行事を親に話した記憶は全くありませんし、親が学校に来た記憶もありません。 そんな「情報断絶」の状態において、PTAは唯一のオアシスです。 学校の内部事情や、公 式ホームページには載らない「今、現場で起きていること」を把握できる唯一のルートであり、親にとってこれ以上ない安心材料になります。 地域密着型ではない高校ならではの先輩保護者の生きた情報武装 受験費用や修学旅行準備など切実な悩みを相談できるリアルな情報網の構築 特に価値があるのは、経験者である先輩保護者が持つ「生きた情報」です。 「受験費用としていくらかかったか?」「体育祭で準備したものはあるか?」「修学旅行には何を持たせたか?」「卒業式の衣装はどこで準備したか?」 こうしたデリケートかつ切実な悩みは、同じ学校に知 り合いが少ない保護者は、誰にも相談できず孤立しがちです。 インターネットでどんなに調べようともドンピシャな情報に出会うことはおそらく無いでしょう。 子供たちの情報網とPTAの情報網は質が違います。PTAで聞いた情報が子供との会話のきっかけになることもあります。 「ねえ、知ってる?卓球部がテレビに出るらしいよ!」「吉田先生って、この近所に住んでるんだって」 当校PTAにも非加入者が一定数いるのですが、アテにできる情報源は子供と教員くらいしかいない訳で、いったいどうしてるのでしょうか、、、正直言って「ざ◯あみろ」という気にもなってしまいます。 PTAという場で、 先輩保護者と繋がれることは、もはや情報収集という名の「武装」に近いメリットが あります。 地域密着の小中学校と違って、高校の場合、近所のスーパーで同じ学校の 保護者に出会って耳寄り情報を教えてもらえる、なんてことはあり得ないのです。 学校の近くならまだしも、「学校が遠いからPTAなんて無理」と思っていたあなたの場合、それこそ情報源はゼロなわけで、実は高校PTAは最もフィットしていると思うのです。 高校PTAは親として関わる最後の学校運営機会 役員経験者のノウハウが活かされる初心者に優しい高校PTA人間関係 深入りせず必要に応じて頼れる「大人のPTA」の心地よい距離感コントロール 「でも、やっぱり人間関係が面倒そう」と不安に思う必要はありません。 でも高校 PTAには、小中学校の役員を歴任してきたような「達人」がちょくちょく混じってい ます。彼らは運営のコツを熟知しているため、初心者はその流れに乗るだけでスムー ズに活動できます。 イベントが少ないため深入りしすぎず、それでいて必要な時 には頼りになる。 自分がどこまで深く関わりたいか、その距離感を自分でコントロー ルできるのが「大人のPTA」の心地よさです。 子供が自立する時期に訪れる人生最後のPTA参加の意義と実利 食わず嫌いを捨てて飛び込んでみたら、合理的で実利に満ちた高校PTAの世界 もし下にお子さんがいないのであれば、高校PTAはこれが人生で最後となる学校運営への参加機会になります。 子供が自立し、親の手を離れていく時期だからこ そ、最後にもう一度だけ学校の内側を覗いてみませんか? これまでの「食わず嫌い」 を捨てて飛び込んでみた先には、かつて不快に感じたPTAとは全く違う、合理的で実 利に溢れた世界が広がっています。 https://youtu.be/Tz9pP6VNX5U 続きを読む

PTA改革におすすめ ニックネームで呼んでみよう 心理的安全性が生む改善提案

提言

PTA改革の最初の一歩:ニックネーム制導入で上下関係のないフラットな組織へ 「PTAの役員って、ボスがいて上下関係が厳しそう」 「前例踏襲ばかりで、新し い意見が言いにくい空気がある……」そんなイメージを根底から覆す、最初の一歩があ ります。それが「ニックネーム制の導入」です。 「〇〇君のママ」からの脱却とPTAニックネームによる心理的安全性の構築 保護者を子供主人公から一人の「大人」へ位置づける 権威勾配の解消と対等な対話が生まれる土壌作り 「〇〇君のママ」「■■ちゃんパパ」幼稚園・保育園ではかなりの割合でこのよう な呼び方をされることが多いでしょう。 小学校でもこのような呼び方をされることがあります。 しかし、これって〇〇君、■■ちゃん、つまり子供が主人公です。 PTAにおいて主役は子供ではなく、保護者である私たち自身であるべきです。 かといって、吉田さん、中村さん、だと距離が埋まらない。できることなら最初 の顔合わせで、名札に「自分を呼んでほしい名前(PTAネーム)」を書き込む。 会長 も新人も関係なく、ニックネームで呼び合う。 この小さな変化が、大きな効果をもたらします。 慣れないと、ちょっと気が引けるんだけども、そのうち「吉田さん」「中村さん」のほうが他人行儀でムズムズしてきます。 で、このPTAネーム制は単に仲良くなれるだけでなく、PTA改革にもっと重要なインパクトがあるんだってことを言いたくてこの記事にしました。 「重要なインパクト」、それは呼称によって無意識に形成される「権威勾配」を崩し、誰もが対等に意見を言える「心理的安全性の高い土壌」が整うのです。 前例踏襲の打破とPTAのアップデート:新人の「違和感」は改革の宝物 ベテラン経験への依存からの脱却とフラットな組織運営 先輩後輩の壁を越え素朴な疑問をPTA改革の起爆剤に PTAは長く関わっている人ほど、前年の経験にとらわれ、視野が狭くなってしまう ことがあります。 「去年はこうだったから」は、スムーズに物事を運びやすい反面、時に改革のブレーキになることは再三繰り返してきた通りです。 私自身、「改革」「効率化」を大きな看板として掲げているものの、過去の経験から「このやり方がベスト」そう思い込んでる面も無いとは言えません。 本来、PTAは年齢もマチマチ、子供の学年もマチマチで、偉い・偉くないは無く、先輩・後輩もないフラットな組織です。 ニックネームで呼び合える関係性があれば、新人さんは遠慮なく「新たな視点」を投げ込めます。 「どうしてこんなやり方 してるの?」「こうした方がいいんじゃないの?」。 新人ならではの、その「素朴な 違和感」こそが、PTAを時代に合わせた形へとアップデートする、貴重な改革案にな るのです。 PTAはあなたのサードプレイス:義務の場所からメンバーが輝く場所へ 強制される労働の場でも逃げ場のない家族でもない第三の居場所 役職名を捨てPTAネームで呼び合う距離縮小と活動の本質 PTAは、強制される労働の場ではありません。かといって、逃げ場のない家族でもありません。   ボランティア精神に溢れた人たちが、自分の意思で集まる「サードプレイス(第三の居場所)」です。   アンチPTAが跋扈する中、私をはじめ、PTAが楽しくてやめられない人は少なからずいて、そういう人はこの居心地の良いサードプレイスだと感じているのです。   上下関係のないフラットな組織で、一人の大人として尊重されながら、自分たち の手で活動をアップデートしていく。   「役職名」を捨てて「PTAネーム」で呼び合う ことは、PTAを「義務の場所」から「メンバーが輝く場所」へ変えるための、そして 何よりもメンバー間の距離をグッと縮める強力な一歩です。 https://youtu.be/G0GQeDycDE8 続きを読む

ロボットが自動で名簿を作成し、PTA活動を楽しむ会長

賢いPTAのDX化第一歩!委員会名簿を全自動で作ってしまおう

効率化

今回は全国のPTAを救う超実践的な内容です。ぜひ一緒にやってみて下さい。 PTA効率化を始めよう 委員会名簿を自動作成!AI時代の「頑張らない」名簿作成術 対象者:IT活用でPTA事務を効率化したい人 前提スキル:基本的なアンケートフォームを作れる/スプレッドシートで表を作れる/フィルターとか並び替え機能も使える必要なマインド:「全自動」という言葉に心がときめく副作用:「もしかして神!?」と称賛され、他の業務自動化を依頼されてしまう、もしくはあれもこれも自動にしたくなってしまう 新年度のPTA活動、最初の大仕事の1つとして、各委員の選出 & 委員会名簿の作成 があります。 「委員が決まるまで帰れません!」の是非はともかくとして、、、今回はその後の名簿作成がテーマとなります。新任の委員に書いてもらった用紙を見ながら、慣れないパソコンへの入力。それをコピペして、委員会ごとに振り分けて……。時間はかかるし、当然うっかりミスもあるので手分けして再チェック、修正依頼があれば別途対応。。。結局、名簿作りで本日終了。。。なんてことはもう終わりです。ボランティアなのに、ここで膨大な時間と精神を削られるのはもったいない! 「時間をかけず、ミスなく、スマートに」全て全自動で終わらせる! これを実現するために、Googleフォームとスプレッドシート、そして易しいプログラミング言語であるGAS(Google Apps Script)を使いましょう。10年前なら、全部紙に書いてもらって、本部役員がエクセルにピコピコ入力していた作業ですが、いまや各委員はスマホを持っている訳で、入力は各自でやってもらう仕組みが簡単に導入できます。本人が入力するんだから、名簿の漢字を間違えちゃって気まずい、、、なんてことは起こりません。プログラムを書くにしても、私ですら参考書籍を手元に、なんだかんだで1週間かかっていた仕事ですが、今や、AIが数秒でプログラムを書いてくれるので、あなたは難しいコードを勉強する必要はありません。といっても、ChatGPT「AIにどんな指示をすればいいかが分からないのよ!」というのがPTA本部役員の大半でしょう。そうです。「AIを使えば何でもできる」はかなり正しいですが、「どんなAIに、どんな指示を出すか」という最初の一歩がネックになるのです。そこで、AIに的確な指示を出すために、GASプログラミング専用のAIと具体的な手順書を用意しました。自校の状況に合わせて、手順書をほんの少しカスタマイズするだけで、AIがあなたのPTAで委員会名簿を自動生成するためにプログラムを書いてくれます。 順番通りに進めるだけで、誰でも自動名簿作成ツールが作れますので是非トライしてみて下さい。 誤解のないように今一度強調しておきますが、これから作るのは「名簿」ではありません。それだと、追加や変更修正があるたびにやり直しが生じます。もちろん来年も同じことをしなければいけません。 そうではなくて「自動で名簿を作る」仕組みを作っていきます。委員が追加になった、登録情報が訂正になった、こんな場合にも全て自動でアップデートしてくれるツールです。仕組みなので、一度作ってしまえば、来年・再来年・その後も、やることはほとんどありません。一度やってツボがわかれば、総会決議の集計とか交通費の管理とか委員の希望アンケートとか、他の業務にも応用が効きますので、PTA改革の第一歩におススメします。 必要なもの: パソコンとGoogleアカウントお金は全くかかりません全体像:1.各委員に、Googleフォームから回答してもらう↓2.重複するデータは削除して並び替え↓3.委員会ごとの名簿を作成回答が追加される都度、2・3を自動で行う それでは、実際に仕組みを構築していきましょう。是非、パソコン前に移動して一緒にやってみて下さい。想定所要時間はまるっきりの初級者で15分、PC操作に慣れてる方なら5分です(フォーム作成時間は除く)。 ステップ0:各委員に登録してもらうためのフォームを用意する 0-1.入り口となるGoogleフォームを作成 どんな内容のアンケートフォームにするかは各PTAにお任せですが、標準的な項目を列挙します保護者の名前、フリガナ、子供の名前、学年、クラス、メールアドレス、委員抜けてしまいがちなのがフリガナ。50音順に並べるなら必須です。逆に、不要な情報は極力そぎ落とします。ありがちなのは出席番号。入力する側は調べるひと手間が生じる一方、経験上、PTA業務で出席番号不明で困ったことはありませんから使うことのないデータです。何度も繰り返している通り、「念のため、、、」「去年も書いてもらってるから、、、」こういう、考えることを放棄したおバカが嫌われるPTAの元凶です。入力項目を極限まで絞ったほうが反応が良い、というのはネットマーケティングの世界では常識なので、ラクに入力させられる方法は?と考えて設計します。、、、かなり脱線しましたので戻ります。 フォームはこんな感じで作りましょう。 0-2.回答用リンクを取得 フォームを公開したら回答用のURLを取得します。フォームの扱いに慣れてる人にとっては言うまでも無いのですが、ありがちなミスは編集用URLを相手に送ってしまう事。相手(新任委員)に渡すURLは回答者用リンクです。これに限らず、本部外へURLやQRを公開するに当たっては、必ず配布する前に本部内で複数人でリンク先/誤字脱字/閲覧権限のチェックを経るステップを入れましょう。確認が済んだら、URLは配布してどんどん各自に入力してもらいましょう。この後の作業は、実際の回答データがある程度溜まってから進めるほうが分かりやすいです。 0-3.回答の集計用スプレッドシートを入手 回答の一覧をみれるスプレッドシートを入手します(念のために一応書いておくと、見た目は同じでもエクセルとは全く別物です)。既に回答のスプレッドシートがあるならそれを使います。 回答タブから 「スプレッドシートで表示」 デフォルトではフォームと同じフォルダにスプレッドシートが作成されます。 0-4.スプレッドシートを加工 デフォルトだと、シートは「フォームの回答」のような名前になっていて冗長なので「回答」に変更(余計なスペースが残っていないか確認)新しくシートを追加して名前を「編集」に変更 ポイントは、回答用のシートと編集用のシート(例では「編集」)を分けることです。フォームから直接入ってくるデータは聖域として改変せずに回答用シートに残しておき、それをまるっとコピーして「編集」シート内で重複削除や並び替えといった加工を行うように設計します。これにより、万が一の誤操作でも元データ(アンケートの回答)が消える心配がありません。 次に、白紙の委員会別名簿(枠だけ)を作成します。1つ作ってからシートをコピーすればあとは名前を変更するだけ、簡単なはずです。ここではシンプルなものにしておきます。 ここでは、4つの委員会シートを作成した想定で進めます。全部でシートは6枚になりました。 ステップ1:重複を削除して並び替え ここからが今回のメインテーマです。それでは名簿作成を順を追って進めていきます。ある程度、入力データが溜まっていないと、正しく動作してるのか分からないので、データが集まってから(もしくはダミーデータを用意して)進めましょう。まず最初にやるのは重複の削除です。フォームでのアンケート回収をやったことがある人ならよく知っているはずですが、「送信できたか心配」「間違えて登録したかも」と繰り返し登録する人が少なからずいて、集まったデータには、必ず「重複登録」が含まれますし、場合によっては「表記のゆらぎ」が含まれます。「山田 太郎」「山田太郎」は人間にとっては同一人物ですが、スプレッドシートには別人と判断されます。こういう、「同じなんだけどちょっと違う」をここでは「ゆらぎ」と呼んでいます。表記がちょい違う場合がある(ゆらぎ)があることを考慮して、氏名から全角・半角スペースをすべて取り除いてから比較します。これにより「山田 太郎」「山田 太郎」「山田太郎」は全て「山田太郎」に統一され、スプレッドシートにも同一人物として判定されます。同じ人が重ねて登録した場合にどうするか?、ですが、訂正があったとみなして、新しい回答だけ残して旧回答は削除するというのが妥当な考えなので、その方針で進めます。 もしかしたら、こんなことをしなくても「姓名の間にスペースを入れないで下さい」と書けば済む話じゃないか、と思った人がいるかもしれませんが、そういう人に言っておきます。「あんた、やったことねぇだろ。やってみればわかるよ。」(画像は全部ダミーデータです) AIに渡す「自動化レシピ(プロンプト例)」 ここでは’編集’シートの構成が以下だとして話を続けます。A:タイムスタンプB:メールアドレスC:保護者名D:ふりがなE:学年F:クラスG:子供名H:電話番号I:所属委員会J:伝達事項 このステップ1でやりたい手順を改めて整理すると 1.ゆらぎ対策として名前の空白を削除(C/D/G列) 2.保護者名で並び替え、重複するものがある場合、古いものを削除(C→A) 3.学年-クラス-名前の優先順位で並び替え(E→F→D) 以上を実現するために、AIにプログラムを作ってもらう際は、私が作成し、毎日のように愛用している GASプログラム制作の専門AI(GASマスター)に実行したい事を伝えればOKです。 GASプログラム制作の専門AI(GASマスター) 今回は以下のようになります。当然、アンケートの内容や項目によってご自身のフォーマットと列は異なるので、適宜変更して下さい。 ’編集’シートの内容を全てクリア’回答’ シートのA-J列を全てコピーして’編集’シートに値貼り付け’編集’シートの C、D、G 列から空白を削除。 空白には全角スペースと半角スペースがあることに注意。’編集’シートを並び替える、先頭行はタイトル行のため、並べ替えの対象から外す。第1キーは C列昇順、第2キーはA列昇順。C列に重複するデータがある場合、古いものは削除。 ’編集’シートを並び替える、先頭行はタイトル行のため、並べ替えの対象から外す。第1キーは E列昇順、第2キーはF列昇順、第3キーはD列昇順’編集’シートをアクティブにする完了の確認メッセージは不要関数名は’step1’とする AIがすぐにプログラムを書いてくれますので、それをコピーします。エクセルなどに慣れてる人には「これを関数と呼ぶの?」と違和感があるでしょうけど、ここでは関数・プログラム・スクリプト、これらは全部同じ意味です。 これをシート内に埋め込みます。拡張機能メニューからAppsScriptをクリック。 もともと入力されている文字を消去して、step1のプログラムを貼付け、保存をクリック 早速動かしてみます。上部からstep1を選んで実行ボタンを押します。 実行ボタンを押すと、最初は承認が求められます。 承認のやり方を知らない場合は、初回認証プロセスの進め方をご覧下さい。この手順は今後、スプレッドシートの自動化をかじってみるなら何度も出てくるので必須です。一度やれば覚えます。 的確に指示が伝わっていれば、編集シートが並び替えされた状態になります。 (画像は全部ダミーデータです) ココまでで、重複削除&並び替えが自動で動作確認したい方は、同じ名前で再度フォームに登録して、古いデータが削除されているか、新しい名前で登録して並び替えが機能しているか、など試してみて下さい。 ステップ2:委員別のシートに逐次転記 ここまでで整列が終わったデータを、いよいよ各委員会の専用シートへ振り分けます。関数に詳しい人ならFILTER関数を使うことを考えてもよいですが、ここでは関数無しで、すべてテキストを打ち込んでいくことを自動化していきます。特に、他の人が使う場合は、数式は使わずにテキストにしておくほうが無用なトラブルがありません。それでは、上の編集シートと委員会別のシートを見比べて、これから実行する手順を考えてみて下さい。 プログラマーの視点では以下のようになります。 各委員会シートの3行目以降の値を全てクリア(いったん名簿を白紙にする) 編集シートの委員会の列(I列)を下に向かって1行ずつ確認。 同じ行の保護者名・生徒名・学年・クラスのデータをそれぞれの委員会シートの3行目から下に順次転記。 編集シートの最終行まで繰り返す。 どうでしょうか?最初の部分に違和感を持った人がいると嬉しいのですが、実はここ、プログラミング的な発想が求められます。ちょっと考えてほしいのですが、もし、手作業で名簿を作っているとして、追加のデータがある場合、どうしますか?追加分がどこに入るべきかを目で調べて行の挿入をするでしょう。「既に入力されている表をいったん全部クリアして、初めからもう一度やり直し」なんてことはしないはずです。しかし、これは人間の場合。このやり方だと、追加データがどのシートに行くべきか、何行目に入るか、を毎回調べるステップが必要になります。決まったルールにするのは無理ではないでしょうが、なかなかハードルが高いです。プログラムではシンプルなルールが最優先ですので、以下のように考えるのがセオリーです。いったん、入力済みの名簿を白紙に戻して、編集シートの上から順番に委員ごとに振り分けるこの発想は、他の業務であっても自動化を進める際に非常な重要な視点になりますので慣れて頂きたいところです。次に難しいのは、AIが誤解なく、この手順をしっかり理解できるような指示文にすることです。先程のAI(GASマスター)に続けて、下記の指示を送ります。先ほど同様、自PTAのアンケート結果/名簿のスタイルなどに応じて適宜変更が必要です。 ’学年委員’シートをアクティブにする'学年委員''校外委員''環境委員''広報委員'各シートの3行目以降の値をすべてクリア’編集’シートのI列に委員会名があるので下に向かって1行ずつ確認する。’編集’シートの同じ行のC列、G列、E列、F列の値をそれぞれ委員会名シートのB,C,D,E列の最下段に順次転記。’編集’シートの最終行まで繰り返す完了の確認メッセージは不要関数名は’step2’とする AIがプログラムを書いてくれたら、GASの画面に移動し、step1プログラムの後に貼り付けます。上書き保存したらstep2を実行してみましょう(step2を選んで実行をクリック)。シンプルな手順なので事故は起こらないと思いますが、もしも、期待してるのと違う結果になるようならGASマスターに聞けば解決してもらえるでしょう。 この段階でフォント種類やサイズを設定しておけば名簿を更新しても引き継がれます。(画像は全部ダミーデータです) ステップ3:ついに全自動化へ さてここまでで、step1・step2のプログラムを順に実行することで、いつでも最新の各委員会の名簿ができあがるようになりました。もちろん、これはこれですごい事なのですが、問題が2つあります。1つ目。step1・step2を順に実行するのは二度手間なのでまとめて一回にしたいところです。AIに続けて聞いてみましょう。 step1、step2を順に実行するプログラムが必要です。関数名は 'stepAll' にして下さい 作成してもらった'stepAll'のプログラムをGASの画面に追加します。stepAllは、「最初にstep1を実行し、それが終わったら次にstep2を実行する」というプログラムです。これで、stepAllを1度実行するだけでstep1・step2が順に実行されます。当然ですが、「順番に」が重要です。 さて2つ目です。気づいているでしょうか?何よりも問題なのは、これだと都度、あなたがstepAllのプログラムを実行しないと最新版になりません。つまり「全自動」ではありません。だから、パソコンが勝手にこのプログラムをやってくれると嬉しいわけです。GASには、自動実行が簡単に実装できるトリガー機能があります。このトリガー機能により、「月曜になったら」、「夜中の0時になったら」と、いろんなタイミングで自動でプログラムを実行させることができます。ここでは「誰かがフォームに登録したら、自動的にstepAllが実行される」ように設定します。これが最後の設定です。GASの画面左からトリガーを選択し、画面右下の「トリガーを追加」をクリック フォームが送信された時、stepAll が実行されるようにするには、以下のように登録します。認証が求められたら、これまでと同じ手順で進めて下さい。 どうだったでしょうか?これで、たとえ夜中でも早朝でも、誰かからフォームに回答が送信された次の瞬間に名簿が更新されるようになります。今回は委員会名簿作成を例にしましたが、他の自動化にも是非トライしてみて下さい。一応、補足なんですが、先ほど、「パソコンが勝手にこのプログラムをやってくれると嬉しい」と書きましたが、これは不正確です。GASのトリガー機能はパソコン内ではなく、クラウド上で実行されますので、パソコンの電源が入っていなくても大丈夫です。エクセルにも自動化の機能はありますが、当然ながらPCが起動していないと何も起こりません。かつて、最大手金融機関でエクセルの魔術師と呼ばれた私がエクセルを使わなくなった理由の一つです。 実は万能じゃない、という話 最後に一言、残します。仕組みとしては完成なのですが、実は、致命的というか構造的に仕方ない欠点があります。気づいた人がいると思いますが、以下のような限界があることは承知しておいて下さい。入力する人が間違えてもノーチェック:よくあるのは大人と子供で名前を逆にしている、性と名に分けて入力している、フリガナ欄に漢字で書く、など。学年を間違えてる、というのもよくあります。委員選出は年度初めにあるので、ついうっかり旧学年で登録してしまうということなのでしょう。ともかく、間違えて入力されるとどうしようもないというのが欠点です。このように入力が間違っている場合でも。今回の仕組みだとそのまま名簿になってしまうので➀再登録を促す➁代理で登録する③最終手段として回答シートを直接変更するのいずれかの対応が必要になります。ただし、仕組みは整っているわけで、名簿が違うとしたらそれは100%本人のミスが原因なので、役員のせいではありません。同姓同名がいた時に困る:今回は名前の一致があれば同一人物と判定しています。多くは無いでしょうが、同姓同名がいる可能性はゼロではありません。このような場合は例えば、「学年・クラス・名前のすべてが一致する場合」に同一とみなすとか「電話番号で一致を判定する」などの代替案を検討することで解決することは不可能ではありません。 おまけ:並び替えパターンを複数用意 委員会名簿はこれで全自動化されましたが、せっかくなので編集シートに追加の機能を入れる方法をご紹介しておきます。重複を削って綺麗になったデータを、クラス順や委員会順、あるいは五十音順に整列させるようにしておくと便利です。並び替えにはいくつかのパターンを用意しておきます。こうすることで名簿の使い勝手が劇的に向上します。もちろん、並び順は利用目的に応じて自由に変更して下さい。1.クラス別(学年順-クラス順-50音順)2.委員会別(委員会別-学年順-50音順)3.50音順例によって、それぞれAIにお願いするだけです。 ’編集’シートを並び替える、先頭行はタイトル行のため、並べ替えの対象から外す。第1キーは E列昇順。第2キーはF列昇順。 第3キーはD列昇順。’編集’シートをアクティブにする完了の確認メッセージは不要関数名は’classbetsu’とする ’編集’シートを並び替える、先頭行はタイトル行のため、並べ替えの対象から外す。第1キーは I列昇順。第2キーはE列昇順。 第3キーはD列昇順。 ’編集’シートをアクティブにする 完了の確認メッセージは不要 関数名は’commitbetsu’とする ’編集’シートを並び替える、先頭行はタイトル行のため、並べ替えの対象から外す。キーはD列昇順。 ’編集’シートをアクティブにする 完了の確認メッセージは不要 関数名は’abcde’とする これまで同様、これらをGASの画面に追加します。でもこれを実行するにはGASの画面に移動して、関数を選んで実行する必要があります。。。ここまでやったアナタは大丈夫としても、PCは苦手、、、が普通のPTAメンバーですから、それはかなりハードルが高いってことは想像できます。それにあなたもいちいちGASの画面を開いて、関数を選んで、、、というのは面倒です。そこで、メニューバーから並び替えを実行できるようにしておきましょう。もちろんAIにお願いします。 ’classbetsu’’commitbetsu’’abcde’の3つをメニューから実行できるようにしたい。他の関数は無視して下さい これまた、GASの画面に追加し、スプレッドシートを再度開くと、画面上部にオリジナルのメニューが表示され、誰でも簡単に並び替えプログラムを実行できるようになります。 はじめて実行する人は例の承認画面が出るので、そのやり方を教えてあげて下さい(初回認証プロセスの進め方)。さて、いかがだったでしょうか?実際触ってみれば、翌年にも使うにはどうするんだろう、とか2026を書き換えるのすら面倒だ、せっかくだからメニューの表記を変えたい、とかちょっとした疑問や課題が出てきます。そんなのを解決していくことで急速にITリテラシーが高まっていくでしょう。名簿作りなんてのは、PTA活動において運営に必要な「手段」になることはあっても「目的」ではありえません。 自動化によって浮いた時間は、子どもたちのための活動を考えたり、メンバー間の懇親を深めるために使ってください。「ボランティアだからこそ、AIとGASを頼って徹底的に楽をする」。この春、あなたの学校でも「スマートなPTA」の第一歩を踏み出してみませんか? 続きを読む

PTAの情報共有どうしてる? Googleアカウントを共有したい?ログイン地獄を脱出する唯一の解決策とは

効率化

  PTAでGoogleアカウントを共有したい場合の最善策:アカウント凍結リスクを回避する権限共有の完全ガイド 最悪、アカウントが強制閉鎖されちゃうか も! 「やべ、またログインできないや……」夜中の11時。子どもをようやく寝かしつけて、冷めたお茶を片手にPCを開く。今夜こそ、先週から 積み残しにしていた運動会のしおりを仕上げてしまおう。そう決意してPTAの Googleアカウントにログインしようとした、その瞬間——。『2段階認証コードを入力してください』画面に浮かんだ文字。「きっとあの人だろうな」思わずため息が出る。頭の中では、すでに次の展開が見えていた。前任の会長 ——子どもがもう中学生になってるあの人——のスマホに、今この瞬間、認証コードが届いているはず。でも、もう夜の11時。PTAを退任した人に、こんな時間にLINEを送れないよね。。。こうして今夜も、資料作成はあえなく「お預け」。PCをそっと閉じて、言いようのない疲労感とともに布団に入る——。そんな場面に、心当たりがあるなら最善の解決策をお伝えします。 PTAのGoogleアカウント共有で直面する二段階認証の課題とバックアップコード の誤解 「認証コード届いたら教えて!」の不毛なやり取りが役員負担を増大させる とっても困る、Googleアカウントの二段階認証。「今さら連絡するのも申し訳なくて……」「以前、深夜に送ったら既読がついたまま朝になって、気まずくなったし……」「そもそも、連絡先を知らないメンバーもいるし……」 「ログイン認証の通知が来たけど、誰がログインしようとしているのか分からない」PTAの役員をやっていると、この「Googleの二段階認証の壁」にぶつかります。そしていい方法はないのかと必死に考えた末、「PCが得意な賢い人」ほどたどり着く答えが、「バックアップコードを全員で共有する」という方法です。「これで解決!」——そう思ったあなたの気持ち、すごくよく分かります。なぜなら私自身も、まっ たく同じことを考えたからです。でも少し待ってください。その「妙案」が数年分の大切な資料をすべて消滅させる引き金 になるかもしれないとしたら??その自覚が無いなら是非最後まで読んで正しい対応を学んでください。 そもそも「バックアップコード」って何?二段階認証の緊急手段を正しく理解す る Googleのバックアップコードとは、一言で言えば「2段階認証ができない時のための救急処置」です。ログインには「パスワード」に加えて「スマホへの通知」や「SMSでの認証」 が必要になる場合があります。しかし、「スマホを失くした」「電話番号が変わった」「古いメールアドレスで登録したので受信できない」といった、2段階認証の通知を受け取ることが出来ない事態が生じることが無いとは限りません。そんな緊急事態に備えて、Googleは事前に8桁の数字が10個並んだリストを発行してくれています。それがバックアップコードです(バックアップコードを知らない人はコチラ)。これを使えば、スマホが手元になくてもログインができる!!!!実を言うと、私自身も「これを使えば2段階認証をスルーして、役員全員でアカウントを使い回せる裏ワザを発見!オレってすげぇ!」と考えていました。しかし、現実はそう甘くありません。実はこの方法、ログインできないだけではなく、長年、資料を作り貯めたアカウントごと閉鎖され、もはや復活不可能な事態に陥るリスクすらあるのです。 バックアップコード共有という危険な「裏ワザ」の罠とアカウント凍結リスク GoogleのAIが見抜く「不審なアクセス」とバックアップコードの本来の用途 二段階認証を回避する策として「バックアップコードを印刷して全員で共有しよう!」いい案だと思ったかもしれませんが、GoogleのAIはそれを見越しています。バックアップコードはあくまで「これまでログインしていた本人」が緊急時に使うためのもの。Googleはあなたが考えている以上にあなたの行動を知っています。「誰が、いつ、どこから、どの端末で」ログインしているかを常に監視しているのです。バックアップコードは、本来「これまでログインできたのに二段階認証で困ってしまった」場合の非常手段であり、 新規端末ではログインが制約されることもあります。たとえ正しいID、パスワード、バックアップコードを入力しても、Googleが「不 審なアクセス(乗っ取りの疑い)ではないか?」「バックアップコードの一覧が流出したのではないか?」と判断すれば、容赦なくブロックをかけます。そして結局、「 登録済みの電話番号に送られるSMS認証」を強制的に要求してくるのです。こうなる と、バックアップコードは何の役にも立ちません。 リスク:便利さの代償は「アカウントの死」と全データ消失の危機 単に「ログインできなかった」で済めばまだいいのですが、Googleのアカウント共有 は、より大きなトラブルを招きかねないことは分かっていますか?複数人が異なる場所から、バラバラの端末でログインを繰り返す挙動は、セキュリティシステムから見れば「サイバー攻撃」そのものです。最悪の場合、Googleから「規約違反の不正利用」とみなされ、アカウント自体が凍結・強制閉鎖されるリスクがあります。そうなれば、過去の会議の記録、文化祭の ために作ったポスターをはじめ、色んな行事の資料、会計スプレッドシート……すべて が二度と取り出せなくなるかもしれません。「みんなでgoogleアカウントを共有すればいい」便利さを求めた結果が「全データの消失」では、目も当てられません。ITリテラシーの格差があるPTAにおいて、こうした安易な運用は非常に危険です。詳しくは「これくらいは知ってるだろう」が地獄の入口となるDX化の罠も併せてご覧ください。 解決策:アカウントを共有せず「権限」を共有する安全なPTA運用方法 「共有ドライブ」活用で二段階認証ストレスを解消する権限管理の基本 では、どうすればいいのか?答えはシンプルです。「合鍵(パスワード)をみん なに配る」のではなく、「各自が自分の鍵で入れるように招待する」運用に切り替え るのです。「本尊」は動かさない:PTAのメインアカウントは、PTAの共用 PCなど「決まった場所・決まった端末」でログインするルールにします。これはメール の受信や原本保管の「母艦」として扱います。共用PCでは個人アカウント利用禁止に してもよいでしょう。「共有ドライブ」を活用する:PTAのメインアカウントで作成 した作業用のフォルダを「共有」設定にし、各役員の「個人のGoogleアカウント」を 編集者として招待します。この手法は、クラウド帳簿を用いた会計業務の引き継ぎでも同様に推奨される安全な管理方法です。これなら、各自が自分のスマホやPCから、自分のアカウントのまま作業できます。 2段階認証で誰かを煩わせることも、深夜にLINEを送る必要もありません。もし「共有フォルダを使っても、誰がどこに保存したか分からなくなる」とお悩みの場合は、フォルダ内のファイルを一覧表に整理してくれるオリジナルITツールの活用もおすすめです。なお、個人的には多くないと判断していますが、PTAの共用メールが各メンバーにも届くようにしたいならこちらの記事が参考になります。Gmailを複数人で共有する方法 役員交代は「指先ひとつ」で完了する権限共有の引き継ぎメリット この運用の最大のメリットは、年度またぎの時期における引き継ぎです。新しい 役員が入ってきたら、その人のメアドをドライブの共有メンバーに「追加」し、辞め る人を「削除」するだけ。IDもパスワードも、ましてやバックアップコードをみんなで共有する必要はありませ ん。セキュリティを守ることが、結果として「次世代への優しさ」に直結するので す。この場合、バックアップコードを印刷して共用PCの隣に常備する運用は必須です。バックアップコードが5年前にいなくなった元会長に届く、なんてことが普通に起こりうるからです。もう一点、引退する際にファイルのオーナー権限を本部に譲渡することも重要です が、これについては別の記事で手順を示します。また、Googleフォームやスプレッドシートを使った委員会名簿の全自動作成といった高度な活用に進む際にも、この「権限の正しい管理」が必須の土台となります。 https://youtu.be/HFmt9rFjRAY 続きを読む

PTA非加入者には別途料金で、、、っていうかそもそも連絡手段が無い

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PTA 非加入問題の本質:卒業式で記念品を渡せなかった役員の苦悩 卒業式:PTA 非加入の子に記念品を渡せなかった現実 あの子に記念品を渡せなかった。辛い思いをしたのは、ボランティアの PTA だった。卒業式の日のことを、今でも思い出す。体育館には、六年間を駆け抜けた子どもたちの晴れやかな顔が並んでいた。保護 者席には、カメラを構えた親たちの笑顔。そして私たち、PTA の役員は、舞台の袖で 記念品の入った紙袋を前に、息をひそめていた。紙袋には 1 つ 1 つ児童たちの名前 が書かれている。でも一人の子の紙袋は用意されていない。渡せない。渡してはいけない。でも、目の前にいる。あの時の感覚を、どう言葉にすればいいのか。胸が締め付けられるとか、心苦し いとか、そんな言葉では全然足りない。もっと重くて、やるせなくて、誰かに怒鳴り たいような、でも怒鳴れる相手がどこにもいないような。そういう感覚だった。 個人情報保護の壁:PTAは非加入者へ連絡できない 「連絡する手段がない」という、誰にも見えない壁 私も再三、非加入問題について記事を書いてきた。 PTA非加入者の子どもに記念品は配るべき?感情論ではなく、論理的に公平と持続性から考える PTA非加入世帯の児童生徒を区別/差別するの は違法なのでしょうか? PTA強制加入問題について、めちゃ詳しく考えてみた PTAへの加入は義務?任意? そして、PTA 非加入の問題は世間でにぎやかに議論 されている。「同じ児童・生徒なのだから非加入者への差別はやめろ」「子供自体は 非加入者ではない」「いや、サービスを享受するなら費用を払うべきだ」。SNS では 毎日、誰かが誰かの意見に噛みついている。 だが、実際にその現場にいる私たちは、別次元の悩みを抱えている。というのも、議論の出発点にすら立っていないからだ。「非加入者に実費をお知らせして、要否を問う」「行事案内を別途送る」理屈の上では正しい。でも、どうやって? PTA が持っているのは「加入届を出した人」の名簿だけだ。個人情報保護法の壁があるから、学校から全児童の名簿をもらうことはできない。つまり、「誰が加入していないか」を、PTA は公的に知る方法がないのだ。現実解としては、学校で配布される名簿と照らし合わせて検証するほかない。(しかし、ハードルが上がっていて、最近は、そもそも児童生徒に名簿を渡さない学校もあると聞く。)じゃあ、名簿がある場合は 問題ないかと言えばそうでもない。名簿と突き合わせれば非加入者を判別することはできる。そうだ、物理的にはできる。でも、それをやれば「名簿を目的外使用した」と批判されかねない。 誰がそのリスクを背負うのか。PTA はボランティアの、無給の、ただ「子どもたちの ために」と思って手を挙げた善意だけの人間だ。 全員配布案の矛盾と加入者への不公平感について 「全員に配れば?」という無邪気な提案の、残酷な現実 そうなると「非加入者だけに実費をお知らせしたい」場合であっても、全家庭に案内を出 しかない。それでいいじゃないか、と言う人がいる。考えてみてほしい。すでに加入している保護者たちにも「加入していない方へ、実費のご案内です」 という手紙が届く。その瞬間、何が起こるか。「え、加入しなくてもよかったの?」 「加入しない人、どれくらいいるんだろう?」 「お金を払ってたの、ばかばかしい」。善意で会費を払い続ける人たちの心に、 小さな火がつく。PTA が自分の手で、自分の足元に油をまくようなものだ。「寝た子を起こしたくない」というのは、保身でも隠蔽でもない。必死に組織を 支えようとしている人間の、ぎりぎりの判断なのだ。 親の選択と責任:子供に罪はないという甘い毒 「同じ子どもなのに」という言葉の、甘い毒 「子供に罪はない、加入非加入に関係なく平等に接するべきだ。」他の記事で指摘している通り、PTA の役員にもそういう意見がある。いや、むしろ、こういう平等主義者は PTA 会員にこそ多い(と言ったものの、そもそも非会員 と接する機会自体がないので、本当のところは分からない)。私にはバカげた意見なのだが、たとえ話をしてみよう。ディズニーランドの入り口で、親に連れて行って もらえないけど入りたそうにしている子がいたとする。「この子も同じ子どもなんだ から、ミッキーに会わせてあげるべきだ!」と言う人は、いないだろう。誰もが「そんなバカな」と笑うはずだ。なぜ PTA の記念品になると、全く違う話になるのか?なぜ「教育の場だから」「 子どもは平等に」という言葉が、魔法のように論理を曲げてしまうのか?加入・非加入を決めるのは、親の権利だ。それは誰も否定しない。でも権利に は、必ず責任が伴う。「加入しない」と選んだなら、その結果として何が変わるのか を、自分の子に、自分の言葉で説明するのは、親の仕事のはずだ。 泣きたいのは子供じゃなくてPTAです! 卒業式の話に戻る。記念品を受け取れなかったその子が、どんな顔をしていたか。私には見る勇気が なかった。ただ、会場をあとにする人の波に紛れながら、「ごめんな」と心の中で繰 り返していた。謝る相手も、謝る理由も、本当は違うはずなのに。なんで私たちがこんな想いをしなきゃいけないのか?笑えない。本当に笑えない。もう、限界だ。現場の役員たちは、悲鳴を上げている。ただ、声にならないだけなのだ。「応援したい人が、応援できる範囲で支える」。PTA の本来の姿は、そういうシ ンプルなものだったはずだ。その健全な姿に戻るために必要なのは、難しい法律の改 正でも、組織の解体でもない。自分の選択の結果を、自分で引き受けること。ただ、それだけだ。その当たり前の関係性を取り戻せる日が来るまで、今日もどこかで、名前も知ら れない PTA 役員が、泥をかぶり続けている。 続きを読む

「子どものために」はもう限界 義務感ではなく、自分も楽しむPTA

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私が「子どもたちのために」と言わない理由──PTAを「義務」から「楽しみ」に 変える発想転換 「子どもたちのために」が生む同調圧力と違和感の実態 「子どもたちのために」という"魔法の言葉"の違和感 PTAでよく使われるけど、私は使わない言葉(別件でこんな言葉も使わない)があります。それは「子どもたちのために」聞いたことが無い人は100%存在しません。 役員決めの場で、行事の準備で、ボランティアを募る際にこの言葉は何度も何度も繰り返されます。一見すると、これほどボランティア精神に溢れた、とても正しく、美しい言葉はないように思えま す。「子どもたちのために」この言葉には誰も反対できない"錦の御旗"のような響きがあります。 しかし、私はこの言葉が嫌いです。そして、自分からは使ったことがありませ ん。 なぜなら、この言葉はえてして、「子どもたちのためなんだから嫌でもやれ」につながりかねない危険な言葉だと思うからです。 「子どもたちのために」が生むPTA同調圧力の構造 「子どもたちのために、協力してください」「子どもたちのために、我慢してください」「子どもたちのために、もう少し頑張りましょう」 こうした言葉を投げかけられたとき、保護者は何と答えればいいのでしょうか。 「嫌です」「無理です」と言えば、まるで子どものことを考えていない親だと思われ てしまうような空気が生まれます。話が飛躍するように感じるかもしれませんが、かつて第二次世界大戦において、「お国のために」が旗印となり、負けると分かっていながら、無駄死にだと分かっていながら、多くの日本人に死を強いることが正義であるかのような風潮がありました。いわば、超迷惑な正義の押し売り。私には、それと同じような気持ち悪さが感じられるのです。 つまり、「子どもたちのために」という言葉は、しばしば「やりたくないけど断れない」状況を作り出す道具として機能してしまうのです。もともとは善意から出発した言葉だろうし、言ってる本人も意識していないけれども、使われ方次第で、時に強制を強いる危険な言葉だと感じるのです。 結果として、保護者は不本意ながら引き受け、疲弊し、やらされ感を抱えながら 活動する——こんな悪循環が生まれ、その結果として、多数のアンチPTAを輩出している訳です。このPTAの同調圧力について、視点は逆だけど私と同じ感性の人がいたのでリンクしておきます。 「自分が楽しい」を原動力とするPTA活動の本質と好循環 >私の原動力は「自分が楽しいから」 では、私はなぜ長年、PTA本部に関わり続けているのか。それは、自分が楽しいからやっている——ただそれだけです。「子どもたちのため」よりも、むしろ「自分が楽しいから」。これが私の本音で あり、原動力です。行事を企画するワクワク感、保護者同士で協力して何かを作り上 げる達成感、子どもたちが喜ぶ姿を見たときの充足感。それと、これは私だけかもし れませんが、不効率にまみれたPTA運営を如何に無理なく無駄なくこなせるように ITツールを作り上げる——こうしたすべてが、私自身の「楽しい」につながっているの です。こうした話をすると、こんな反応が返す阿呆が存在します。「子どもが楽しくなくても、自分のためにやるのか?」「それは自己満足じゃないのか?」しかし、そんなことはありえません。 PTAがいじめになっていないか もし、自分が楽しくて相手は嫌がっている——そんな状況があるとしたら、それはボランティアと言いません。はい、そうです。いじめです。PTA活動も同じです。自分だけが満足して、子どもたちが苦痛を感じているのな ら、それはただの押し付けであり、自己満足でしかありません。そんな活動に意味は ないし、続ける価値もありません。私が大切にしているのは、子どもが楽しんでいるから、自分が楽しい という関係性です。子どもたちが笑顔になる。目を輝かせる。「楽しかった!」と言ってくれるその反応があるからこそ、私も心から「やってよかった」と思えるのです。これが 私の原動力であり、活動を続けるモチベーションです。つまり、「子どものため」と「自分のため」は対立しないので す。むしろ、自分が心から楽しんでいるからこそ、その熱量が子どもたちにも伝わ り、結果的に子どもたちも楽しめる——そんな好循環が生まれるのです。 PTAを「義務感」から「やりがい」へ変える持続可能な発想転換 「義務感」ではなく「やりがい」で動くPTAの実現 「本当はやりたくないけど、子どもたちのために頑張らなければ」という義務感で動くPTA活動は、長続きし ません。保護者は疲弊し、子どもたちにもその疲れが伝わるでしょう。一方で、「自分が楽しいからやっている」という保護者が増えれば、PTA活動はも っと明るく、前向きなものになるはずです。無理をせず、得意なことを活かし、楽し みながら参加する——そんな姿勢こそが、持続可能なPTAを作る鍵ではないでしょう か。 「子どもたちのために」を超える自然なPTA活動の目指す姿 誤解しないでほしいのですが、私は「子どものことを考えなくていい」と言って いるわけではありません。ただ、「子どもたちのために」という言葉を"義務を強いる道具"として使うので はなく、自分自身が楽しみ、その結果として子どもたちも喜んでくれる ——そんな自然な形でのPTA活動を目指すべきであり、そうでなければ続かないと訴えているのです。「やらされている」ではなく、「やりたいからやっている」。「我慢している」ではなく、「楽しんでいる」。子どもが楽しんでいるから、自分が楽しい。この純粋な気持ちがあれば、PTAが嫌われるはずがなく、行列のできるPTAはその先にあるのです。 https://youtu.be/kh06zG63v6k 続きを読む

PTA会長が2人いればPTA運営はスムーズになる

PTA会長は2人でもいい?役員不足を解消 する「共同会長制」のメリットと成功の秘訣 とは?

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【実録】PTA会長を「2名体制」にしてみた結果。役職不足を解消する新しい秘策になるか? PTA会長って1人じゃなきゃダメですか? PTA会長が2人いればPTA運営はスムーズになる 「立候補者がいない」「沈黙が続く」……。役員決めは、多くの 保護者にとって最も気が重い時間かもしれません。特に「会長」 や「委員長」という役職は、責任の重さや拘束時間の長さから敬 遠されがちです。 実際、役員決め・委員長決めの場では、誰もが視線を合わせないようにうつ むき、重苦しい沈黙が流れる……そんな状況が珍しくありません。 「遠いから」「仕事があるから」「小さい子がいるから」「介護があるから」逆に「ヤル気満々と思われたくない」——理由 はさまざまですが、根底にあるのは「一人ですべてを背負う恐怖」ではないでしょう か。会長・委員長は各メンバーへの連絡、学校 との窓口、地域との連携、保護者への説明、トラブル対応など、想像以上に多岐にわ たる業務を担います。しかも前例や引き継ぎが不十分な場合、すべてを手探りで進め なければなりません。 さらに現代の保護者は、共働き世帯が増え、時間的・精神的な 余裕がますます少なくなっています。そんな中で「会長を引き受 けてください」と言われても、誰もが二の足を踏むのは当然のことなのかもしれません。結果とし て、くじ引きや押し付け合いになり、引き受けた人は不本意なが ら一年間を過ごすことになる——こんな悪循環が、全国のPTAで起き ているのではないでしょうか。 そこで私たちの学校では、「会長2名体制(共同会長制)」にするという新しい試みを行っています。その結果、思いのほかスムーズに運営が回り始めたのです。立候補者も現れ、役員決め・委員長決めの雰囲気も一変しました。もっとも、このツートップ体制はそれなりにメジャーなやり方ではあるようです。この記事では、その実体験をもとに、共同会長制のメリットと成功のポイントをお伝え します。 なぜ「会長2名体制」で成功したのか? 3つのメリット 1. 心理的ハードルが劇的に下がる 「自分一人ですべてを背負わなくていい」という安心感は絶大です。代わってもらえる相手が常に横にいることで、孤独な決断を迫られるストレスが解消されました。 PTA会長の最大の負担は、実は「業務量」だけではありませ ん。むしろ「判断の連続」と「孤独感」が精神的に大きな重圧となります。たとえ ば、学校側から急な相談があったとき、前例のない問題が起きたとき、保護者から苦 情が寄せられたとき——こうした場面で、一人で即座に判断を下さなければならないプ レッシャーは計り知れません。 しかし2名体制なら、「ちょっと相談していい?」と、その場で意見を交わすこと ができます。二人で考えることで視野が広がり、より良い判断ができるだけでなく、 「一緒に決めた」という安心感が得られます。 本部内で役職を決めるにあたり、書記や会計・副会長が決まり、残った内から誰 か一人が背負わなきゃ、、、という状況で、だったら「二人で分担するのはどぉ?」という所から共同会長制度が誕生しました。1人で背負うという心理 的ハードルが下がることで、立候補しやすくなるのです。 2. 「得意分野」で役割分担ができる 2人いれば、それぞれの強みを活かせます。私の場合はこのような役割分担になっています。 Mちゃん:人前で話すことや、学校・地域との折衝を担当。コ ミュニケーション力に長けており、保護者説明会や地域行事での挨拶、学校側との調 整を主に担当しました。 私:資料作成や、内部の事務連絡を徹底サポート。PCスキル があり、議事録作成、メール配信、アンケート集計などの裏方業務を一手に引き受け ました。 このように分担することで、1人あたりの負担は半分以下になります。 会長一人体制では、得意・不得意に関わらず、すべてを一人で こなさなければなりませんでした。人前で話すのが苦手な人も挨拶をし、PCが苦手な 人も資料を作らなければならない——これでは効率も悪く、本人も疲弊してしまいま す。 しかし2名体制なら、「外向きの仕事」と「内向きの仕事」を明確に分け、それぞ れの得意分野に集中できます。結果として、業務のクオリティも上がり、会 長自身の満足度も高まりました。さらに、「自分の得意なことで貢献でき る」という実感が、やりがいにもつながるのです。 実際、業務量には偏りがありますが、その分、「Mちゃん、ア レお願いね」と言いやすいし、そもそもPC作業は苦ではないから不満は無いのです。 この共同体制による柔軟性は、持続可能な運営を支える鍵となりえると思ってい ます。 3. 「バックアップ」がある安心感 仕事や急な家庭の事情で、どうしても外せない行事に出られないこともありま す。2名体制なら、どちらかがカバーできるため、「絶対に穴を開けられない」とい うプレッシャーから解放されました。 たとえば、ある日、Aさんの子どもが急に高熱を出し、学校行事に出席できなくな った、そんなこともあるでしょう。従来なら、会長不在で混乱が 生じたり、あるいは無理をして出席したりする必要があります。でも、2名体制では、Bさんが 代わりに出席し、事後にAさんへ報告することで、何の問題もなく乗り切ることがで きます。 この「バックアップがある」という安心感は、精神的な余裕を生み出します。子どもの学校行事や仕事の繁忙期、家族の介護など、生活には予測不可能な事態がつき ものです。そんなとき、「代わりがいてくれる」と思えるのは精神衛生上、非常にプ ラスに働くでしょう。 注意点 会則の変更 通常、PTAの会則で会長を1名と明記していることが多いので、 「1-2名」にするという事務手続きは必要です。大抵はPTA総会で 変更することになるでしょう。 多すぎても困る 共同会長にならって、当校PTAの某委員会で は委員長4人という状態が生まれてしまいました。しかし、これは明らかに多すぎです。「船頭多くして船山に上る」。4人もいれば、結局、何もしない人も出てくるし、無駄に意思疎通もしづらいで す。実際のところ、各自1/4の負担になるつもりが、1人がほぼ全部を引き受ける羽目になっていました(とはいえ、一般に本部役員よりは軽いと思いますが)。 まとめ:PTAはもっと持続可能になれる これまでの「1人のリーダーが引っ張るPTA」から、「みんなで支え合う PTA」へ。会長2名体制は、役員不足に悩む多くの PTAにとって非常に有効な選択肢です。 もし「誰もやりたがらない」と行き詰まっているのなら、枠組みそのものを変え てみるのはいかがでしょうか? PTA活動は、本来「子どもたちのため」に行うものです。しかし、保護 者が疲弊し、不満を抱えながら続けるのでは本末転倒です。持続可能で、 前向きに取り組める仕組みを作ることこそが、結果的に子どもたちの学校生活を豊か にすることにつながります。 共同会長制は、その第一歩になり得ます。もちろん、すべてのPTAに当 てはまる万能策ではありませんが、「そもそもルール自体を変えてもいいんだ」という意識改革のきっかけにはなるはずです。 「やってみたら意外に楽しかった」多くの役員がそう言って巣立っていきます。「誰かがやらなければならない」という義務感ではなく、役割分担により「自分 にもできることがある」という前向きな参加意識が生まれる——そんな PTAを、ぜひ一緒に作っていきましょう。 https://youtu.be/x1OmNPwXojU 続きを読む

PTAが楽しくなる

PTAがもっと楽しくなる マニア会長の独り言 小ネタ集

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記事にするほどのボリュームは無い、そんな小ネタを思いついたときに書き足します 1.PTAにも「父兄」という死語を使う人いるけど、超ヤバいよ 1970年代生まれ以前の人に多いですが、いまだに「父兄」という言葉を使う人がいます。 私が小学生の頃は学校の手紙でも「父兄参観」という言葉がありました。小学生ながら違和感を感じたのをよく覚えています。 「父と兄って書いてあるけど、来るのはほぼお母さんじゃないか、お父さんはポツポツだし、お兄ちゃんなんか来るわけないだろ」。 普段、自分が使う言葉の用法なんて何も考えてないから、平気でこういう言葉を使ってしまうのでしょうが 、よく考えてください。もちろん「父兄」はお父さんとお兄ちゃんと書きます。普通に考えれば お父さんとお母さんと書くべきです。にもかかわらず、なぜ、お父さんとお兄ちゃんなのかと言うと「お兄ちゃんはお母さんより偉い、なぜなら 男だから」そんな価値観がそこにあります。つまり父兄は明治・大正時代、戦前の言葉です。ギリギリ最大限、譲っても昭和の言葉です。すでに昭和はとっくに終わり、平成を過ぎ、令和になっております。こういう言葉遣いに噛みつく人もいますので「父兄」という言葉はもう二度と使わないようにしましょう。ついでに言いますと、やはり「父兄」はおかしいということで、昭和の末期から学校でも「父母」という言葉が使われるようになりました(昭和末期から平成初めは「父母参観」という言葉になった)。ちなみに、戦後、文部省主導で全国各地にできたPTAも「父母と先生の会」という名前が主流であり、「父兄」という言葉がいかに時代錯誤か分かるというものです。しかし、ひとり親世帯が珍しくなくなったので、「父母」という言葉はほどなく使われなくなり、平成以降、現在はどこも「保護者」という言葉を使っています。 2.PTA役員だけど私は「先生」という言葉を使いません 「父兄」はさすがに超少数派だと思いますが、「先生」は使用率ほぼ100%でしょう。ただ、私は言いません。じゃあ、あんたはなんて呼ぶんだよってことになるわけですが、、、私は「校長」とか「教員」と言います。というのも日本人の場合、「先生」という言葉には暗黙に上下関係を作ってしまうからです。私は ぶっちゃけ、高校生以降、自分より賢いと思える小中高の教員に会ったことはないもんで、先生とは言いません。ましてや、PTA は保護者と教員が対等の組織です。PTA会長だろうが、学年委員だろうが、委員をやってなかろうが、学校長だろうが、新米教員だろうが、子供の担任だろうが、みんな上下なく、横並びの対等な関係です。長年、PTA が学校の言いなりになってきた背景として、この暗黙の上下関係が根底にあるはずです。「父兄」と違って、この話は賛同を得られるとも思ってないけども、価値観を共有できる人がいれば嬉しい。余談ですが、現代中国語の「先生(シュエション)」は(男性の)◯◯さん、という意味であり、英語の Mr. のように使われます。田中先生=田中さん(男性)我先生=私の夫各位先生=男性の皆様という意味です。尊敬の意味はほぼありません(例外的に歴史的な偉人を指す用法があります)。なお、先に生まれた、と書きますが年上の人という限定も特にありません(でも子供には使わない)。 3.「PTA本部役員、やってよかった」と言ってほしいので頑張ってる 現役役員の皆さま、日々のお仕事や家事の合間を縫ってのPTA活動、本当にお疲れ様です!😊 年度末が近づいてきました。長年PTA本部に携わっていると、毎年、この時期に心に深く残る光景があります。それは、任期満了か卒業かで役員を退任される方々の「最後のご挨拶」のシーンです。 たいてい「くじ引きで当たっちゃって…」「仕事が忙しいのにどうしよう…」「断り切れなくて…」そんな不安100%から始まっています。 ところが、退任式ではどうでしょう。「最初は仕方がなく引き受けたけれど、やってみたら本当に楽しくて4年もやってしまいました!」そんな言葉が次々と飛び出します。中には、活動を通して得た仲間との絆、やり遂げた達成感から、思わず涙を流される方もいらっしゃいます(もしかしたら苦行からの解放感?あるいは僕とのお別れが寂しいから?)。あの清々しい涙を見るたびに、「PTAっていいな」と改めて背筋が伸びる思いがします。 一体何が、こんなにも人を変えるのでしょうか。それは、実際に活動してみないと分からない「本物の体験」があるからです。 「PTAは大変そう」「面倒くさそう」「時間が取られる」「人間関係が難しそう」…… そんなネガティブなイメージが先行して、どうしても"食わず嫌い"されがちなPTA本部役員。昔ながらのやり方が続き、周りからの噂話や、過去の負のイメージだけが独り歩きしてしまっているのが現状です。 でも、実際に飛び込んでみた人だけが見える景色があります。 学校の裏側を知って、子どもたちの環境がより身近に感じられること。 先生方の日々の努力や、学校運営の実情を知ることで、わが子の学校生活への理解が深まります。 普段の生活では出会えなかった、素敵な仲間ができること。 年齢も職業も違う保護者同士が、子どもたちのために一緒に汗を流す中で、かけがえのない友情が芽生えます。 自分自身の成長を実感できること。 企画力、コミュニケーション力、調整力など、さまざまなスキルが自然と身につき、自信につながります。 イメージだけで敬遠してしまうのは、とってももったいないと思うのです。まるで、見た目だけで判断して敬遠していた料理が、「食べてみたら結構いいじゃん」ってこれですよ。今、役員として活動している皆さま。時には大変なこともあるかと思います。会議の準備、イベントの運営、保護者間の調整など、やることは山積み。仕事や家事との両立に悩む日もあるでしょう。 でも、退任式で皆さんが見せるあの笑顔や涙は、活動の中に「本物の楽しさ」がある何よりの証拠です。大変さを超えた先に、言葉では言い表せない充実感と達成感が待っています。というと「やりがい搾取」なんて言われるんでしょうが、それこそ食わず嫌いだと思うわけです。 今の皆さんの頑張りは、必ず「やってよかった!」という一生モノの経験に繋がります。お子さんが卒業した後も、ふとした瞬間に思い出す温かい記憶になるはずです。このままお別れって寂しいな、私はいつもそう思って最後の挨拶を聞いています(まあ、公立小学校の場合だと、みな近所なので、お別れってことも無いのですけど。でも高校はそうじゃないのでPTA本部OB会を作っちゃおかな、と計画中)。一人で抱え込まず、役員の仲間と一緒に楽しみながら、この素敵な活動を盛り上げていきましょう!困った時は遠慮なく周りに頼って、完璧を目指さず、できる範囲で無理なく続けることが大切です。年度末まであと少し。と同時に新年度の準備がドサッとやってきて来ますが、知恵も使って乗り切りましょう!このサイトがちょっとでも楽しいPTAのヒントになれば幸いです。 4.PTAの不思議ルール「役員人事は秘密裏に」ってバカだろ PTAは次年度の役員選出の季節ですね。役員の皆さん、本当にお疲れ様です!さて、あなたのPTAにもきっとある、少し不思議な慣習。 そのひとつがこれ。内定した方に「まだ他の人には内緒にしておいてね」と口止め。(同様に退任情報までもが「ナイショ」にされています。)実は10年ほど前、私が本部に加入する時も同じことを言われました。思わず「どうして隠す必要があるんですか?」と聞いてみたのですが、返ってきた答えは……「昔からの決まりなので」。うーん、これってやっぱり不思議だと思いませんか?秘密にするような重要情報なのか?秘密にしてなんのメリットがあるの?PTA関連の書籍をひも解いてみると、どうやらこの「秘密主義」は昭和時代の名残のようです。 当時は「あの人が役員をやるなら私はやりたくない」といった人間関係の調整が、今よりずっと複雑だったのでしょう。「◯◯さんが本部役員になるらしい」みたいな情報が出回ってしまって、せっかく内定した役員を辞退するような事態が生じたこともあるのでしょう。でも、今は令和です。 働き方も多様化し、人間関係もドライになりました。何より、児童数は半分です。「あの人がやるならちょっと……」なんて言っている余裕はありませんし、言う人もいないでしょう(いるとしたらその人に問題があるはず)。そもそも、秘密にされると情報共有も相談もしづらいですよね。昭和時代には意味があったかもしれませんが、オープンにして困ることなんて、今の時代、何ひとつないはずです。 PTAをダメにする「思考停止」のクセ それなのに、「これまでそうだったから」という理由だけで、意味もわからず古いルールを継続してしまう。これこそが、PTAを「なんだか閉鎖的で怖い場所」にしてしまっている要因の一つ【思考停止】の正体です。私が何度も指摘している通り、忌み嫌われるPTAの元凶なんです。「今までこうやってきたので」としか答えられない人は、どれだけ律儀に役員をこなしていても、賢そうに振る舞っていても、自分の頭で考えていないおバカさんです。PTAを「みんなで助け合える楽しい場所」に変える鍵は、案外こういう小さなルールの見直しにあるのかもしれません。「なぜこのルールがあるの?」「今の私たちに本当に必要?」そう問い直す勇気を持つこと。「昔からの決まりだから」で済ませるのをやめる。これがPTA改革の第一歩です。PTA本部の風通しもぐっと良くなります。せっかくの役員活動、古い慣習に縛られず、自分たちの世代に合ったやり方でアップデートしていきませんか?「アタマを使え!」 思考停止を卒業して、もっと自由でワクワクするPTAを自分たちの手で作っていきましょう! 次の話題 テキストを入力 テキストを入力 テキストを入力 続きを読む

PTA不倫の実態とは?なぜ役員同士で恋に落ちるのか?

雑学

PTA不倫の実態!?ドラマより面白い(?)放課後の人間模様と健全化への道 PTAを楽しもう、がメインテーマの本ブログ。今回は違う楽しみ方?を見ていきましょう。傍観者としてはリスクなしで楽しめるかも。PTAといえば「面倒くさい」「役員決めが憂鬱」なんて声も聞こえてきますが、 実はその裏側で、深夜番組顔負けの人間ドラマが展開されていることもあるらしい。 PTA不倫のパターンには、役員(委員)同士、相手が教員、2つのパターンがあり、前者の場合、必然的にW不倫になるわけで、発覚すれば大修羅場確定です。それでも、人はブレーキを忘れてしまうものらしい。幸か不幸か、私にはその兆候すらないけども、今回は、組織の健全化を目指す立場か ら、その実態と対策を見ていきましょう。 PTA不倫の実態:悲劇のケーススタディ 運動会実行委員・美穂さんの場合:単純接触効果のワナ 「まさか私が……」 3年前まで普通の専業主婦だった美穂さん。子どもの小学校で運動会の実行委員 になったことが、すべての始まりでした。同じ委員の勝雄さんとは、最初は「テント設営係」として月2回の打ち合わせで 顔を合わせる程度。ところが、準備を重ねるうちに「うちの旦那も同じこと言うんで すよー」「子育て、大変ですよね」と話が弾むように。 心理学でいう「単純接触効果」のワナ何度も顔を合わせるうちに、自然と好意を抱いてしまう現象です。PTAの定例会議は、まさにこの効 果が働きやすい環境なんです。 そして運動会当日。無事に終わった打ち上げで「お疲れ様でした!」と乾杯し たのが運命の分かれ道。その後、LINEで「今日はありがとうございました」から始ま り、いつしか個人チャットに……。 「相談があって」という魔法の言葉で、平日の昼間にカフェ で会うように。近所だから「ちょっとスーパーに寄ったついで」で会えてしまう怖 さ。結局、半年後に美穂さんの夫がLINEを発見。離婚調停となり、子どもは転校を 余儀なくされました。 バザー委員長・琉美さんの悲劇:地域密着型PTAの恐ろしさ 「地域で生きていけなくなりました」 琉美さんは、やり手の文化祭実行委員長。同じく役員の正彦さんと意気投合 し、「今年はバザーをもっと盛り上げよう!」と週3回も「打ち合わせ」を重ねるよ うに。夫に怪しまれないよう「文化祭が近いから夜の打ち合わせなの」と言い続けて いましたが……ある日、別の保護者が偶然、2人がホテル街に入るところを目撃。噂は光の速さ で学区内に広がりました。 地域密着型PTAの恐ろしさがここにあります。地域密着型ではない高校PTAなどとは異なり、小中学校のPTAでは生活圏が完全に一致しているため、噂が広まると逃げ場がありません。 井戸端会議で一気に拡散 子ども同士が同じクラス 習い事も同じ地域 スーパーで顔を合わせる日々 琉美さんは結局、離婚は免れたものの相手の奥様に慰謝料を支払い、引っ越し を決断。子どもは友達と離れ離れになり、「ママのせいで転校した」と今も恨まれて いるそうです。正彦さんは離婚に発展し、琉美さんの主人・自分の奥様に慰謝料を支 払い、お金も家族も失うことになりました。 PTA不倫の兆候チェック:パートナーの異変を見逃さない要注意サイン パートナーの様子がおかしいと思ったら以下のポイントを確認しましょう。 🚨 見た目の変化に現れるサイン 急にPTA参加日だけオシャレに 香水や新しい下着が増える 髪型を変える、ジムに通い始める 📱 スマホの使用に現れる異変 トイレや風呂場まで持ち込む 画面を下向きに置く癖 通知音をオフにしている LINE通知のプレビュー表示をオフ 画面ロックをかけるようになった PTA不倫の代償:金銭的・精神的・社会的ダメージの深刻な実態 💰 金銭的ダメージ:慰謝料から引っ越し費用・財産分与まで 慰謝料相場:50万〜300万円(離婚の有無で変動) 弁護士費用:30万〜100万円 引っ越し代:50万〜100万円 財産分与:結婚期間や財産次第で数百万〜数千万円 😢 子どもへの深刻な影響 学校でのいじめの標的に 友達と離れ離れ 親への信頼喪失 心のケアに長期間必要 🏘️ 地域社会での評判と人間関係の崩壊 一度広まった噂は消えない 習い事、買い物も気まずい 引っ越しを余儀なくされることも PTA不倫対処法:怪しいと思った時の証拠収集と専門家相談の正しい手順 冷静な証拠収集:合法的な方法と絶対に避けるべき行動 ⭕️ OK:クレジットカードの明細、レシート保管 ⭕️ OK:共有パソコンの履歴確認 ❌ NG:スマホの不正アクセス(違法です!) ❌ NG:GPS無断設置 ⭕️ 検討:探偵への依頼(費用は20万〜100万円程度) 専門家への相談:弁護士・カウンセラーを活用した適切な対応 弁護士:法的手続きのプロ カウンセラー:心のケア 離婚カウンセラー:今後の人生設計 PTA健全化メッセージ:子どもたちの笑顔を守るための正しいPTA活動 「PTAを楽しもう」が私のモットーですが、楽しみ方を間違えると、極めて楽し くない結末を迎えることになるかもしれません。PTAはあくまで「子ど もたちのための組織」です(ただし、「子どものために」という言葉を都合のいい免罪符にしてしまわないよう注意が必要ですが)。 学校でロマンスを探すのではなく、そのエネルギーを以下に注ぎましょう! ✨ 運動会のテント張り ✨ バザーの準備 ✨ 地域の安全パトロール ✨ 子どもたちの笑顔づくり もし万が一、すでに複雑な状況に陥ってしまっているなら、私ではなく、必ず 専門家(弁護士、カウンセラー)に相談を。子どもを最優先に考えた決断 をしてくださいね。 【注意事項】この記事は組織の健全性を保つための啓発 を目的としたものです。ネットの体験談(?)をもとに構成しています。PTAは本 来、子どもたちの健やかな成長を支える素晴らしい活動の場です。皆さん、健全な心 で頑張りましょう! https://youtu.be/kw6dS8cc2OM 続きを読む

PTAで平等にするべきか議論している

PTAで非加入者を区別する 卒業記念品をあげる、あげないの議論が終わらない、本当の理由

提言

卒業記念品を巡るジレンマ なぜこの議論は終わらないのか? この記事の対象者 「非加入者への記念品配布」を巡る役員会や総会での対立を解消したい方 前例踏襲の記念品贈呈に疑問を感じている方 この記事でわかる事 この議論が平行線をたどる構造的理由 より高い視点から、公平性と平等を両立する具体的解決策 卒業シーズンになると、多くのPTAで必ず議論になるテーマがあります。「PTAに 加入していない家庭の子どもにも、卒業記念品を配布すべきか」——この問いは、全国 各地のPTAで繰り返される永遠の論争です。総会や役員会での長時間議論、保護者間 の対立、SNS上の意見応酬はもはや珍しい光景ではありません。この厄介な問題については、すでに法律・経済学という異なる視点から 2つの論考を掲げました。法律上の課題PTA非加入世帯の児童生徒を区別/差別するの は違法なのでしょうか?経済学(公共財)的考察による解釈PTA非加入の子どもに記念品は配るべき ?感情論ではなく、論理的に公平と持続性から考える今回はさらに別の角度から考えてみます。ここでは「なぜ、この論点はずっ と平行線なのか」を明快に解き明かすとともに、「そもそも卒業記念品とは何のためにあるのか」という根本的な問 いに立ち返り、新しい解決策を提案します。 PTA卒業記念品を巡る二極対立:平等派と区別派の主張と背景 一方では「卒業する子どもたちに差をつけるべきではない」という主張が、他方 では「会費を払っている加入者が不公平を感じる」「このままではPTA自体が成り立 たなくなる」という主張が平行線をたどります。 平等派(非加入者の子どもにも配布すべき派)の主張 「卒業という人生の節目に、子どもたちの間に差をつけるべきではない」 この主張の背景には以下の考え方があります: 子どもの心理的影響への配慮:卒業式という人生の大切な 節目で、「PTAに加入してないから、あなたには記念品がありません」と告げることは、子どもの心に深い傷を 残す可能性があります。親の判断で子どもが不利益を被るべきではありません。 現状の予算的余裕:会員数が多く、非加入者への配布でも 予算的に問題ないと判断されるケース。「数人分の記念品くらい問題ないだろう」という感覚で判断 されがちです。 教育的配慮:学校は全ての子どもを平等に扱う場所である べきで、卒業式で目に見える形で差をつけることは教育理念に反するという考え方で す。 区別派(加入者と非加入者は区別すべき派)の主張 「会費を払っている人が損をすることになる」「PTAに加入するのは馬鹿らしいとい う考えが広がればPTA自体が存続できなくなる」 この主張の背景には以下の懸念があります: フリーライダー問題への警鐘:会費を払わずに同じサービ スを受けるのは不公平。この状況が続けば「加入しなくても良い」という認識が広が ります。 PTA組織の持続可能性への危機感:不公平感による加入率低 下→予算不足→活動縮小という悪循環への懸念。将来入学してくる子どもたちへの責任 も含まれます。 任意団体としての原則:加入の自由と引き換えに、加入者 には何らかのメリットがあるべき。選択の結果が全く同じでは、選択自体の意味が失 われます。 対立の本質分析:そもそも議論が成り立つはずがない 両者の主張は表面的には「子どもの平等」と「会費負担の公平性」の対立に見え ますが、より深く見ると、それぞれが考えている①時間軸が違う、②対象が違うことに 気づきます。 平等派の視点:「今、目の前で卒業する子どもたち」を重 視。「次の、卒業式という特別な日に一人も傷つかないこと」が最優先です。 区別派の視点:「PTAという組織の将来」を見据え、「 PTAが存続して将来の子どもたちにもサービスを提供できること」を重視します。 前者は「現在の卒業生」について主張しており、後者は「将来のPTA組織と未来の子どもたち」について論じているのです。これが両者の議論が平行線をたどる最大の理由です。前者は「現在の卒業生」、後者は「将来のPTA組織」。実は両者は異なる次元の話をしているので、議論が噛み合わないのです。 フリーライダー問題とPTA持続可能性:短期的平等が招く長期的不平等のメカニ ズム 「今年だけなら」が積み重なる危険性 「非加入者の子どもにも卒業記念品を配布する」という短期的平等を重視する判 断は、以下のようなプロセスで結果的に長期的不平等を生み出します: 認識の拡散:「PTAに加入しなくても卒業記念品はもらえる 」「面倒な役員を引き受ける必要がない」という認識が口コミやSNSで広がります。 合理的選択の増加:「会費を払わなくても同じものが得ら れるなら加入しない」という経済的合理性に基づく選択が増えます。 加入率の低下:新入生保護者を中心に加入率が徐々に減少 していきます。 予算の縮小:会費収入減少によりPTA活動の質・量が低下し ます。 悪循環の発生:活動の質低下が「会費を払う価値がない」 という認識をさらに広げ、加入率がさらに低下します。 この変化は年単位の緩やかなものであるため、「今年は問題ない」という認識が数年続いた後、いずれ「予算が足りない」「役員のなり手がいない」という形で表面化しま す。しかし、その時には判断を下した本人は既にPTAを去っていることでしょう。私は、平等派の主張は問題の先送りであり、かつ、問題が表面化した時には自分はPTAを去っているという非常に無責任な意見だと考えています。 加入者の不満増大と組織崩壊への道 加入者の心理的不公平感は以下のような悪影響をもたらします: 既存加入者の脱退:「自分の子の卒業記念品のために会費 を払っているのに、非加入者にも配るなら意味がない」と感じる保護者の増加 役員モチベーション低下:「なぜ自分たちだけが苦労して 記念品を選んでいるのか」という疑問が活動意欲を削ぐ 加入者内部の分断:「全員に配るべき」派と「区別すべき 」派の対立が生じる 説明責任の困難:「なぜ会費を払う必要があるのか」への 明確な説明が困難になる 特に注目すべきは、この問題が単なる予算問題ではなく「公平性」という価値観 に関わる心理的問題である点です。数千円の記念品でも「原則的におかしい」と感じ られると、大きな反発を生み出します。 最終的なPTA崩壊と全児童への影響 フリーライダー問題に目をつぶり、加入者不満が拡大し続けると、PTA組織そのものが崩壊する リスクがあります。皮肉なことに、「目の前の卒業生への平等」を追求した結果、将 来の子どもたちが受けられるはずだったサービスや支援を失わせるというパラドック スが生じます。これが「短期的平等が長期的不平等を生む」メカニズムです。 卒業記念品の存在意義を問い直し、「体験型」卒業記念へのシフトを提言 ここから、新たな提言を進めていきましょう。まず、これまでの話を整理します。 卒業記念品が公平性問題を顕在化させる4つの特性 卒業記念品が公平性問題を最も鮮明にする理由は、以下の特性にあります: 有形性:「誰がもらったか、もらっていないか」が目に見 えて明確になり、差異が可視化されやすい。卒業式という公の場で配られることで、 より顕著になります。 個人的便益:受け取った個人が直接的便益を得るもので、 「誰が費用を負担すべきか」が明確に問題になります。 排除可能性:技術的に特定の人々にのみ配布し、他を排除 することが可能。この特性があるからこそ「加入者の子どもだけに配るか」という選 択肢と議論が生じます。 感情的インパクト:卒業という人生の節目における記念品 は、通常の物品配布以上に感情的な意味を持ちます。 卒業記念品の存在意義を再考 PTAの本来の目的は「保護者と教師が協力して子どもたちの健全な成長と教育環境 の向上を図ること」です。結論では大きく対立するのに、この点は平等派も区別派も異論がありません。では、この目的に照らして、個別の卒業記念品は本当に不可欠で しょうか?実際、多くの卒業記念品(文具、写真立て、印鑑など)は歴史的慣習として続い ており、その教育的意義や必要性が十分に検討されていないケースが多いのではない でしょうか。要するに「何かをあげる」こと自体が目的になってしまっている、ということです。今や、それぞれ価値観がバラバラで、子供たちが全員が共通で欲しい・もらって喜ぶものなんて存在 しないと思うのです。小学校の卒業記念品を10年後も大事に持っている、そんな例は数少ないのではな いかと思うのです(これは自分の子どもを見ていて思うことなので、一般化してよいかは疑問の余地はありますが)。もし、卒業記念品の多くがいずれゴミとして捨てられ、使われずに終わるなら、なぜ私たちはこの慣習を続 け、そのために対立しているのでしょうか? 弁証法からの提言:「体験型」の卒業記念 スタート地点は同じなのに、意見が対立する。この場面では弁証法が有効です。弁証法なんていう言葉に驚く必要はありません。要するに、より高い次元から双方が納得する結論を目指す思考だと思ってください。弁証法から考えた、卒業記念品を巡る対立を根本から解決し、かつ子どもたちにとってより価値のあ るものを提供する方法——それは「モノ」から「体験」へのシフトです。 排除の問題が生じない:全校生徒(ないし全卒業生)が参加する体験型イベン トは、誰が加入者で誰が非加入者かという区別が不要になります。学校全体で共有さ れる体験となります。 記憶に残る:物品は失くしたり壊れたりしますが、体験の 記憶は一生残ります。10年後、20年後に思い出すのは、もらった文房具ではなく、み んなで過ごした特別な時間です。 教育的価値が高い:子供同士、場合によっては保護者・教 員を巻き込んだ共同作業や特別な活動を通じて、協調性、創造性、思い出の共有な ど、物品では得られない価値を提供できます。 学校への貢献:完成した作品や植樹などは学校に残り、後輩たちにも価値を提供し続けます。 対立の解消:「誰に配るか・配らないか」という平等派と区別派の議論そのものが不要になります。 体験型卒業記念の具体的アイデア 実例やAIに相談して出てきた具体例を挙げておきましょう。 創作系 卒業生全員で壁面アートを制作し、校内に永久展示 モザイクアート:一人一枚のタイルに絵を描き、組み合わせて大きな作品に タイムカプセル製作:20年後に開封する共同プロジェクト 自然・環境系 卒業記念植樹:校庭や近隣公園に桜などのシンボルツリーを植える 学校菜園・花壇の整備:在校生が引き継いで育てる ビオトープ作り:生態系学習の場を残す 施設・設備系 図書室の蔵書充実:卒業生の名前入りプレートとともに寄贈 ベンチや遊具の設置:「○○年度卒業生製作」のプレート付き 校内案内板や掲示板の製作 イベント・活動系 特別授業の招聘:プロのアーティスト、スポーツ選手、研究者などを招いた特 別授業 卒業記念コンサートや発表会:全員で作り上げる特別な舞台 地域貢献活動:清掃活動、福祉施設訪問など 記録・記憶系 卒業アルバムのデジタル化と共有(個人配布ではなく共有システム) 卒業記念動画の制作:全員が参加する思い出のムービー 学校の歴史記録プロジェクト:インタビュー集や写真集の作成 持続可能な平等の実現:段階的移行と建設的対話による解決策 段階的な移行プラン:慣習変更への配慮 長年続いてきた慣習を急に変えることには抵抗があるかもしれません。そこで段階的な 移行を提案します: 今年度:従来の記念品配布を継続しつつ、「来年度からは 新しい方式を検討している」ことを保護者に予告 次年度:記念品と体験型の両方を実施(予算の半分ずつな ど) その次の年度:完全に体験型へ移行 また、保護者や児童・生徒の意見を聞くアンケートを実施し、どのような体験が望まれているかを把握することも重要です。 建設的対話の鍵:短期的視点と長期的視点の両立 対立を超える共通理解「平等派」と「区別派」の対立は、実は両者とも「子どもたちのため」という同じ ゴールを目指しています。違うのは時間軸と着眼点だけです。 建設的な対話のために必要な認識: 短期的視点の重要性を認める:目の前の卒業生の気持ちは確かに大切です。誰 も子どもを傷つけたいわけではありません。 長期的視点の重要性を認める:将来の子どもたちのためにPTAが存続すること も同様に大切です。 二項対立を超える:「配るか・配らないか」という選択肢しかないと思い込まず、より高い視座から第三の道を模索することは可能です。これが先に述べた弁証法的思考です。 共通目標への立ち返りと持続可能な平等 対話が平行線をたどるとき、PTAの根本的目的「子どもたちの健全な成長と教育環 境の向上」に立ち返ることが有効です: 「卒業記念品を誰に配るか」ではなく「卒業という節目に子どもたちに何を残 したいのか」という本質的問いへ転換 「子どもたちのために何が最善か」という共通の問いかけから対話を始める 「モノ」に縛られず、より創造的な解決策を模索する 卒業記念品を巡る論争は、繰り返し述べている通り、表面的には「配るか・配らないか」という問題に見え ますが、本質的には「一時的な平等」と「持続可能な平等」のどちらを選ぶかという 問いです。 しかし、「モノから体験へ」という転換によって、この二項対立そのものを超え ることができます。全ての子どもたちが参加できる体験型の卒業記念は、 今の卒業生全員に平等に価値を提供し、 加入・非加入の区別という対立を生まず、 PTAの持続可能性を脅かさず、 より深い教育的価値を提供します。 重要なのは「対立から協働へ、批判から共創へ」と思考をシフトさせることで す。短期的視点と長期的視点の両立、共通目標への立ち返り、そして固定観念にとら われない柔軟な発想——これらを持ちながら対話を続けることで、より多くの人が納得 できる解決策が見出されます。 子どもたちの未来のために、持続可能で、本当に価値のあるPTA活動の新たな形を 共に創り上げていきましょう。10年後、20年後、卒業生たちが懐かしく思い出すの は、もらった文房具ではなく、みんなで作り上げた特別な体験であるはずなのです。 https://youtu.be/fuX-pwZsdrA 続きを読む

PTAのベルマーク問題をスマートに解決します

メルカリに並ぶ「仕分け済みベルマーク」は歪んだPTAの姿 改革しましょう

提言

フリマでベルマークを買う?この理解しがたい異常事態は歪んだPTAの産物だった この記事の対象者 ベルマーク作業をどうにかしたいPTA役員・保護者 合理的な改革案を探している方 この記事でわかる事 フリマアプリでベルマークが割高売買される裏事情 「児童の学び」へ転換する、持続可能な活動の再設計案 フリマアプリで見つけた奇妙な商品の正体は?? まったく偶然なのだが、メルカリでベルマークが販売されているのを見 つけた。「メーカー別小分け済み」「PTA提出用に即対応」といった文言とともに、 きれいに仕分けられたベルマークが出品されているではないか!調べると、ヤフオクにもラクマにも沢山あ る。 私の場合、お菓子やジュールのラベルにベルマークを見つけるとこまめに切り取ってためておくのが習慣になってしまっている。だがしかし、ベルマークは世間の多くの人にとっては、パッケージに印刷されたどうでもいい模様に過ぎないから、捨てられるのが普通だ。私の場合は小学生時代に、母親が「ベルマークがついとるからこっちを買おう」と言ってるのをよく耳にした。実を言えば、私はその習慣がなんとなく残っていたりする。会議でみんなに配られたお茶にベルマ―クがあったので、ラベルを逐一回収してまわったこともある(「スゴイ!分別してるの!?」と言われたけど)。2種類の商品、どっちにしようかと悩んでベルマークがあるほうにしよう、なんて行動をとる人はごく一部のPTAに関わる人を除けば、さほど多くはないだろう。さて、売られているベルマークに話を戻すのだが、基本、ベルマークは個人が集めた所で使い道はない。いくら比較的重度のベルマーク病の私でもお金を払ってまで買うなど想像もつかない。とはいえ、恐らくPTAに関わる人が購入しているのだろうと推測することは難しくない。 しかも驚くべきは、その価格設定である。ベルマークは本来「1点=1円」の換 算である。そして普通の人にとっては何の価値もない”ゴミ”なのだから、「1000点を300円で」というなら納得もいく(PTAの経費で買うのはアリと考えられなくもないが、、、)。 でも、ここで浮かんだ疑問は二つ。 「なぜベルマークを買う人がいるのか?」「 なぜこんな割高な価格設定が成り立つのか?」 PTA本部役員を10年以上続けてきた私にも、ちんぷんかんぷんだった。集めて 学校にもっていくところまでは小学生時代から自分でも長らくやってきたが、その先、ベルマ―クがどのように商品(景品)に替わるのかは未知の世界だ った。そして改めて調べ、考えたのが今回の記事である。 ベルマーク運動の本来の姿—助け合いの理念と仕組み ベルマーク運動はベルマーク教育助成財団がリードして1960年に始まり、65年以上の歴史を持つ活動である。その 目的は二つある。一つは「自分たちの学校づくり」、もう一つは「支援が必要な学校 への援助」だ。 「国内外のお友達に"愛の鐘"を鳴り響かせよう」という助け合いの理念が、 「ベル」の形に込められている。 仕組みはシンプルだ。協賛企業の商品に付いているマークを集め、財団に送 ると1点1円換算で「ベルマーク預金」となる。この預金で、学校(PTA含む)は教育に必要な教材 や備品—屋内遊具、扇風機、パソコン、書籍などを協力会社からポイントと交換できる。 自校の備品だけではない。購入金額の10%が自動的にベルマーク教育助成財団に寄付され、へき地や特別支援学校、災害で被災した学校への支援に使われるらしい。東日 本大震災や熊本地震の際にも大きな役割を果たし、これまでの支援総額は累計50億円 を超えるという。 本来は、日常の買い物の延長として気軽に参加できる支援活動という設計になっている。では、なぜこれほど崇高な理念を持つベルマーク運動が、フリマでの売買という歪んだ形で現れる ようになったのか。 フリマでベルマークを買う人々—切実な事情 時間を買う—想像以上に重い仕分け作業 ベルマークは企業ごとにデザインや点数が異なる。きれいに切り取り、会社 ごとに分けて、点数を集計する作業は想像以上に時間を要する。素材も違うし、大きさも違う。小さく丸まってしまったやつがあるし、余白の大きさも集めた人によって各自バラバラだから、想像するだけでもこれが大変な面倒だということが分かる。 多くのPTAで年間複数回(例えば年2〜3回、1回あたり3時間など)の仕分け・ 集計作業が行われ、保護者が平日に仕事を休んで参加するケースも珍しくないらし い。 女性役員に聞いた所、ウチの小学校でも同じことが行われているそうだ。なんと、知らなかった。。。 ノルマ未達の責任—役員が背負う心理的圧力 調べるとさらに驚きの情報が出てきた。ただ、この辺の話は掲示板やSNSなどから出てきたものであり、直接の当事者から聞いたわけではな く、真偽のほどは定かでないから、是非リアルな証言を頂きたい。 学校によっては年間目標点数が設定され、目標未達の場合、PTAの委員が不足分を自腹で補填する慣例があるという信じがたい証言もある。 「集められない家庭に『もっと買って』と言えず、結局自分たちで穴埋めした」という声もあった。善意の社会貢献という目的のための一つの「手段」だったはずのベル―ク集め。しかし、ベルマークを集めることが「目的」になってしまい、足りないと役員が責任を負わされる圧力が存在するらしい。その圧力こ そが、割高でもフリマで購入する動機となっているのだろう。今や、昭和と違って、共働き世帯の比率が高まっている現代において、「時間=貴重なリソース」という認識が高まっている。このベルマークを整理するという「時間泥棒」的な作業は、保護者にとって大きな負担となっている。そこでベルマークの「点数」ではなく、整理に伴う労働「時間」を買うという選択をする人がいるというわけだ。割高なベル マークの価値は「点数」ではなく、費やされる「時間」にあったのである。 家庭時間を守る—コストを払ってでも回避したい苦行 「夕食作りや宿題サポートより、ベルマーク仕分けなんかを優先させたくない」と いう親心から、割高なフリマでの購入を「週末の家族時間を守る投資」と捉える考えが出てきていることが分かった。 数千円の出費で、1日がかりの苦行から解放されるなら—そう考える購入者の気持 ちは、決して理解できないものではない。 しかし、ちょっと待て。ベルマークってそんな運動なんだろうか? そもそもの所で、現金なのかベルマークなのかはともかく、PTAが学校の備品 を取得すること自体に問題があることは他の記事でも述べている。もちろん、「ベルマーク集め」は廃止します!という選択肢もあるし、大きなトレンドがベルマーク廃止へ向かっていることも承知している。しかし、「やめればいい!」そんなのはいつでもできる事だし、考える必要もないから大して知恵のないPTA会長でもできることだ(声が大きければOKなので、早い話がバカでもいいのだ)。ベルマークを廃止した会長を賞賛する記事がバズったという話を聞いたが、私に言わせれば、会長も賞賛する方もみんなおバカ同士である。どうして「ベルマーク仕分けをPTAでやる」VS「やめちゃう」の二択問題としか考えられないのだろう。その浅い思考力はあさましいとしか思えない。ここでは、「それでもベルマークを集めて備品を取得するという道を選ぶなら、こんなやり方が良 いんじゃないのか」という私自身にとっても、これから取り組む指針として考えてみたものである。 売買はなぜ問題なのか—ルールと理念の間で まず、ベルマーク教育助成財団の公式ルールでは、過度な競争心や購買心の助長防止、運動の公平性を保つため、「ベルマークの売買・交換は認められません」ということになっている。 ベルマーク運動は協賛企業の商品購入を通じた間接支援を想定しており、現金取引は運動の根幹を揺るがす行為と見なされる。フリマアプリ運営会社も、この公益的な趣旨に反する出品と判断し、ベルマークの出品を削除対象としているらしい。 そういう新聞記事があったのでここにもそう書いたが、実際には検索すると 冒頭に示した写真のようにゴロゴロ転がっている。冒頭で書いた通り、メルカリでもヤフオクでも楽天フリマでも状況は変わらな い。 まあ、こういうプラットフォーマーは自分が責任を取る気は無いし、何かが売れれば手数料になるわけで、売れるなら何でもいいっていうのが本音のモラルゼロ企業だから、「不適切だから削除します」なんていうのはただのポーズだろう。買う人がいるなら出品を止める気はさらさらない(動くのは警察沙汰になりかねない時だけ)。 それはさておき、ここで論点を整理したい。フリマでのベルマーク売買は少なくとも違法性はないが、ベルマーク教育助成財団のルール違反である。問題は、ベルマークを集めることを「目的」とはき違え、このような歪んだ需要を生み出しているPTA側である。そんな事を やっているから世にアンチPTAが量産されてしまうのだ。 真の問題—ベルマーク運動が"回らない"本当の理由 今回、私も初めて知ることになったのだが、各家庭から集められたベル マークは、会社別に仕分け、点数計算、整理袋への封入、そして財団への送付といっ た多岐にわたる手作業が必要になる。当然手作業にならざるを得ず、これらの「労務 」が保護者やPTAにとって大きな負担となっている。 財団もこの「仕分けが面倒」という声を重要課題として認識しており、デジ タル化に向けた実験も行われている。 しかし、マークの種類や素材の多様さ、状態の 問題など、正確な読み取りの難しさから、全面的なデジタル化には多くの課題がある という。まあ、それはそうだろう。使用済みかどうかの判断ができないから、スマホ で読み取るって訳にもいかない。 この面倒くさい問題は切実だ。一部の協賛企業が「PTA保護者の負担」を理由に運動から脱退するケースも発 生しており、ベルマークの活動基盤の縮小にもつながっているという。全く本末転倒の状況に陥っていると言わざるを得ない。 結論として言えるのは、フリマ売買は"モラルの問題"というより「運用が現 代の生活に合っていない」結果として発生する制度疲労のサインだということだ。 昭和の時代なら、ベルマーク整理を理由にヒマな奥様達が雑談に花を咲かせ ている面があったのだろう。それなら、「みんなで楽しくおしゃべりしながらベルマークを整理するだけで、備品もゲットできる素晴らしい制度」ということだったんだと思うが、今やそんな社会状況ではない。私は女性役員に素朴な意見をぶつけた。 「なんで子供達に整理してもらわないの?保護者はラクだし、子供はベルマークの価値が分かっていいことづくめよ」 私の提言に女性役員たちは戸惑っていた 。戸惑っている理由は、簡単。今までこんな ことはやっていなし、考えたこともない、前任者からも聞いてないからだ。 自分たちが集めて整理した ベルマークが 備品に変わる 。 こ の一連の流れを子供たちが直接体験できるなら、これに越したことはないだろう。 実際、私は小学生時代 ベルマークを集めるのは好きだったが それが その後どうなるの かなんて考えたこともなかった。 調べてみると子供たちにメルマークの整理をしてもらって成果を出している PTA もあるという 当然そうすべきである 集めるのは保護者、 整理するのは子供、何に交換するかは 保護者/子供/教員の話し合い 、これでいいんじゃないだろうか。それをあえて、会社を休んでまで学校に集まり、集計作業をする理由はただ一つだけだ。そう、分かるだろう。いつものアレだ。「今までそうしてきたから」「やめようとか、他のやり方でとか、考えたことも無いし」 PTA改革の核心—仕分け作業は児童に任せた方が筋が通る ベルマーク財団も、子どもたちが主体的に活動する学校事例を紹介してお り、児童の参加を推奨している。ここからが、本当の意味での改革の提言である。 「無駄な作業」を「学び」に変換する教育的意義 児童がベルマークの仕分け作業に参加することは、ボランティア活動や社会貢献活動の一環として位置づけられる。自分の行動が学校の備品購入、場合によってはへき地・被 災地の学校支援につながることを実感できるのだ。実際に、子どもが回収箱の運営、 仕分け、啓発活動に積極的に関わる事例も報告されている。子供達が整理をする中で より効率的な方法を自分たちで考えることにもなる。 複数人で役割分担しながら作業を進めることで、コミュニケーション能力や 対人スキルが向上し、他者と協力する大切さを学べる。自分たちが集め、仕分けしたベ ルマークが実際に学校の役に立ったり、他校の支援につながったりする経験は、児童 の自己肯定感や達成感を高めるのではないだろうか。 ベルマーク活動を通じて、子どもたちは学校や地域のために貢献すること で、「自分も社会の一員である」という意識を育む。これこそが、本来のベルマーク 運動が目指していた姿のはずだ。 実装イメージ—「労務」を「学習体験」へ転換する工夫 調べれば色んな工夫した取り組みをしている学校・PTAがあるとわかった。回収箱を協賛会社別のポケットにして、回収段階から会社別に仕分けられる ように工夫することで、整理するという後工程の負担を軽減できる。ウォールポケット型や牛乳パッ ク製など、各学校で多様な工夫が見られる。 ベルマーク委員や環境委員はリーダシップをとって、児童が主体的に収集・ 仕分け・集計活動を行う。近所の店舗や回覧板で協力を呼びかけたり、地域のお祭りでベル マークコーナーを設けたりするなど、地域ぐるみで活動に取り組むことで、学校と地 域のつながりを深める例もあるそうだ。 ベルマーク仕分けをゲーム化したり、親子イベントとして開催したりするこ とで、参加のハードルを下げ、楽しみながら取り組むこともできる。 もう一つの現実的解決策—ウェブベルマークという選択肢 共同アフィリエイトの仕組みで労務を削減 WEBベルマークは2013年に始まった新しいベルマーク運動の形であり、ネ ットショッピングを利用して学校支援のポイントを貯める仕組みである。 利用者はwebベルマークのサイトを経由して、協賛するオンラインショッ プ(2026年1月現在、多くはないがヤフーショッピングなどがある)で買い物をする。これにより、利用者 の追加負担なく、購入金額の一部が協賛企業からウェブベルマーク協会に支払われ、 それがベルマーク点数として指定した学校に自動的に加算される。 実態としては、広告費(成果報酬)を原資に学校支援へ回す共同アフィリエイ トの仕組みである。 何が解決し、何が失われるのか 物理的なベルマークの切り取り、仕分け、集計といった手作業が一切不要と なるため、PTAの労務負担を大幅に軽減できる。忙しい保護者でも、普段のネットシ ョッピングを通じて手軽に学校支援に参加できる。学校を指定してポイントを貯めら れる。 ただし、ウェブベルマークは万能ではない。デジタル化は便利である一方 で、学校と地域、保護者と子どものつながりという、これまでのベルマーク運動が持っていた側面が希薄になる可能性もある。 だからこそ、リアルなベルマークの回収・整理は児童主体に、追加分をウェブで上乗せす るというハイブリッド設計が最適解と考える。 「誰のための運動か?」を再定義する—ベルマーク改革の未来 このベルマーク 問題は PTA の前例踏襲という悪しき習慣の 典型的な表れだ と言える。今までずっとこうしているからというだけの理由でやりたくないことを押し 付けられる。私が子供達にベルマークの整理をさせればいい と提案したら、「そんなことした ら 環境委員の仕事がなくなる」と言われた。これだ! だったら無くしてしまえばいいのに、彼女にとっては「今まで通りを続けること」こそが正義なのだ。 もっといい方法はないのかと考えればできるはずなのに 、そもそも考える気 もないし、 言われたことだけを義務感でこなす。それが自分の役割だと信じて疑わない。再三、繰り返し述べていることだが この思考停止した前例踏襲の慣習こそが世間にアンチPTAを生み出しているのだ。 フリマでベルマークが売買される現状は、ベルマーク運動の「制度疲労」と 「PTAの過剰な労務負担」が背景にあることを明らかにしている。 この問題の解決は、単に「売買の是非」を問うだけでなく、「誰のための運動なのか?」という本質に立ち返り、ベルマーク運動の再設計を考える機会である。 改めて整理すると、持続可能なベルマーク運動の未来を築くためには、以下のハイブリッドなアプローチが有効だ。 仕分け・集計作業は児童の学びとして再設計する。教育的意義を明確にし、児童が回収・整理に主体的に参加できる仕組みを整える。一方で、追加のおまけはウェブベルマーク(共 同アフィリエイト)で効率化する。これはもっぱら保護者の役割だ。保護者の負担を軽減しつつ、より広範な支援を可能にする。私は高校のPTAにも関わっていて、さすがに高校生にベルマークの整理はお願いしづらいので、ウェブベルマークだけでの参加を検討中だ。 ベルマーク運動は「謎の伝統を守るために親が疲弊する苦行」であってはならない。「すべての子どもに等しく、豊かな環境の中で教育を受けさせたい」という 本来の目的に立ち返り、現代社会に合った形で進化していく必要がある。 メルカリに「ベルマーク」を出品する人がいなくなった時、PTAのベルマーク問題は解決したことになるのだろう。 続きを読む

PTA非加入者の子どもに記念品は配るべき?感情論ではなく、論理的に公平と持続性から考える

雑学

「PTA非加入でも記念品はもらえるの?」を経済学で考える 公平さと持続性 の両立に向けて この記事の対象者 非加入家庭の子どもへの記念品配布について、公平な基準を作りたいPTA役員 「子どもへの差別」と「加入者の不公平感」の板挟みで悩んでいる方 この記事でわかる事 経済学視点から、サービス提供の論理的な切り分け方 平等を担保しつつ、よりよい解決をめざす具体的・実践的な運用ルール 1. 問題の背景と金額基準の限界 「PTAに入らないと、うちの子だけ記念品がもらえないんでしょうか?」 「会費を払っていないのに、同じサービスを受けるのはおかしくないですか?」PTA役員として活動する中で、このような声を何度も耳にしてきました。「 PTA加入は任意である」という認識が広まり、多くの学校で加入・非加入を選べるよ うになりました。これは保護者の自由を尊重する上で重要な進展です。 しかし同時に、新たな課題も生まれています。非加入家庭の子どもへの対応 をどうするか——この問いに、多くの学校が明確な答えを持てずにいます。 今回は、この難しい問題について、感情論ではなく論理的な枠組みを用いて 整理し、公平で持続可能な解決策を提案したいと思います。 「安いから配布してOK」は通用しない よくある現場の混乱 「100円程度のジュースなら、全員に配ってもいいんじゃない?」「で も、500円の文具セットは区別すべきよね?」「いや、1000円未満なら許容範囲 では?」 こうした議論が、PTA会議で延々と続くことがあります。善意から出発した提 案も、金額で線引きしようとした瞬間、収拾がつかなくなるのです。 なぜ金額基準は機能しないのか 問題は3つあります。 ①主観的で恣意的になる「安い」「高い」の感覚は人 それぞれ。年収や家族構成によっても変わります。ある人には「たかが100円」で も、別の人には「されど100円」なのです。 ②前例主義に陥る「去年は300円までOKだったから、今 年も」という前例踏襲が始まります。物価上昇や活動内容の変化があっても、変更し づらい雰囲気になってしまいます。 ③感情的対立を生む「なぜ私たちが払った会費で、非 加入の子にまで配るの?」という加入者の不満と、「たかだか数百円で子どもを差別 するのか」という非加入者の憤りが衝突します。 金額ベースの判断は、感情に流されやすく、持続可能ではありません。 2. 経済学的アプローチによる公平性の枠組み 「公共財」という視点 感情や金額ではなく、活動やサービスの「性質」で判断する——それが、より 公平で説得力のある方法です。 私が最高学府で学んだ経済学には「公共財」という概念があります。公共財とは、以下の2つの特徴 を持つ財やサービスです。 1. 非競合性(Non-rivalry) 「誰かが使っても、他の 人が使える分が減らない」という性質です。イメージ:1つのパンは誰かが食べ るとなくなるので競合性があります。他方、街灯の光は誰か1人を照らしても、他の 人が使える光が減ることはありません。特徴:追加的なコストなしに、多くの人 が同時に消費できます。 2. 非排除性(Non-excludability) 「料金を払わない 人を、利用から排除することができない、または実行が難しい」という性質です。 イメージ:映画館はチケットがない人を追い出せますが(排除性あり)、「一般 道路」は、「税金を払っていないから、あなただけは通れません」と区別することが 非常に困難です。特徴:誰でも利用できてしまうため、対価を回収するのが難し くなります。 PTAの活動を分類する この視点でPTA活動を見ると、2種類に分けられます。 【公共財的な活動】非競合性が高い 備品/図書の購入加入・非加入の子を区別して利 用させたり、させなかったりすることはできません。 登下校の見守り活動見守りボランティアが交差 点に立つとき、加入・非加入の子を区別することはできません。すべての子どもの安 全を守ります。 校庭の美化・環境整備卒業式の飾り付け、花壇 の整備、校庭の草むしりなど。その恩恵は、学校に通うすべての子どもが平等に受け ます。 地域との連携活動お祭りの支援、防災訓練の企 画など。地域全体の取り組みであり、特定の家庭だけを排除することは不自然です。 これらは「誰かが利用しても他の人の利用が減らない」た め、非加入の子にも提供しても加入者の子が不利益を被ることがない、もしくは不利 益が小さいのです。だから区別なく提供するのが理にかなっています。もしくは区別 しようとすること自体に無理があります。 【私的財的な活動】競合性がある 卒業記念品(文房具、アルバム等) 学習補助教材(ドリル、地図帳等) イベント参加記念品(参加賞、お土産等) これらは在庫が有限であり、一つ配れば一つ減るという競合性があります。 製作・購入にはコストがかかり、その原資はPTA会費です。無償で非加入者にも 配布すれば、加入者が非加入者の分を肩代わりすることになります。 公平な対応の原則 基本方針:性質に応じた区別上記の分類に基づき、次 のような対応が合理的です。 ■ 非競合な活動(見守り、美化など)→ 区別せず、全 員に提供これらは「公共財的」であり、排除すること自体が非効率です。また、 子どもの安全や教育環境は、加入・非加入に関わらず保障されるべき基本的な権利に 近いものです。 ■ 競合的な物品(配布品など)→ 加入・非加入で対応 を分けるただし、完全に排除するのではなく、選択肢を残すことが重要です。 物品配布の具体的ルール 【加入家庭】会費の範囲内で、無償提供 【非加入家庭】実費を徴収し、希望者にのみ提供 単に実費だけを徴収するのではなく、実費+手数料でも構わないでしょう。 なぜなら、発注作業、在庫管理、配布作業などの事務負担は加入者が担う訳です し、当該非加入者のために追加の手間がかかるからです。手数料を上乗せするこ とで、これらのコストを適切に分担し、「加入する方が得」という健全なインセンテ ィブにもなり得ます。もっとも、ここは異論があることを私とてよくわかっています。個々のケーズに応じて議論の余地があるでしょう。 3. 実践的な運用ルールと子どもへの配慮 「子どもに差別では?」という声への対応 よく聞く反論「親の選択で、子どもが不利益を被るの はおかしい」「同じ学校の仲間なのに、差をつけるのは差別だ」 この意見は、深い愛情と人権意識の表れのように聞こえないこともありませ ん。まるで、これに反対する方が冷淡な人であるかのような錯覚すら覚えます。しか し、ここで混同してはいけないのが「機会の平等」と「結果の平等」 の違いです。 「機会の平等」は保障されているPTAでは、すべての 保護者に加入の機会が開かれています。経済的理由で会費が払えない家庭には、 減免制度を設けているPTAも多くあります。つまり、「加入したくてもできない 」という状況はほとんどありません。非加入は、多くの場合、入りたくないから「加 入しない選択」をした結果です。 「結果の平等」を強制すると何が起こるかもし、加 入・非加入に関わらずすべて同じにしてしまったらどうでしょうか。 会費を払い、役員を引き受け、活動に参加した人が割を食う(これは加入者を逆差別することにならないでしょうか) 「払わなくても同じなら、払わない方が得」という認識が広がる 加入率が下がり、PTA運営そのものが困難になる 最終的に、すべての子どもが受けられるサービスが縮小する これは「公平」を目指した結果、かえって全員が不幸になる典型的なパター ンです。 責任と結果のバランス私たちは子どもたちに、こう教 えています。「自分の行動には責任が伴う」「努力した人が報われる社会を 目指そう」大人の世界でも、それは同じはずです。選択の自由を認めるなら、選 択の結果にも向き合う必要があります。もちろん、子どもに直接的な不利益を与 えることは極力避けるべきです。だからこそ、次のセクションで述べる「配慮ある運 用」が重要になります。 現実的な運用ルール 理論は理解できても、「実際にどう運用するの?」が一番の難題です。ここ では、具体的で実行可能なルールを提案します。 ルール①:日常的な支援は区別しない 原則見守り、美化、安全パトロールなど、日常的な活 動では一切区別しません。 理由 子どもに疎外感を与えない そもそも活動の性質上、区別が不可能または非効率 学校コミュニティ全体の利益につながる 実践例朝の挨拶運動、交通安全指導、校庭の草むし り、図書室の整備など ルール②:物品配布は区別するが、選択肢を残す 原則記念品や教材などの物品は、加入・非加入で対応 を分けます。ただし、非加入家庭にも実費購入の機会を提供します。 手順 事前アンケートの実施「非加入家庭で、〇〇の 購入を希望される場合は、実費△△円で承ります」 希望者のみ対応強制ではなく、あくまで選択制 支払い・受け渡しの明確化事務負担を考慮し、 一括前払い・指定日受け渡しなど、効率的な方法を設定 実践例卒業記念品:加入者は無償、非加入者は 1,500円で購入可運動会参加賞:加入者は無償、非加入者は300円で購入可 ルール③:事前周知を徹底する 原則「知らなかった」「聞いてない」を防ぐため、 ルールは年度初めに明確に周知します。 周知方法 入学説明会での説明 書面での配布(加入案内と同時) 学校HP・PTA会報への掲載 個別相談窓口の設置 記載内容 PTAは任意加入である 加入した場合のメリット(活動参加、物品無償配布等) 非加入の場合の対応(公共財的活動は参加可、物品は実費購入可 ) 非加入により生じうるデメリットは保護者が子に責任をもって周知させ る 重要ポイント「選択の自由」と「選択の結果」をセッ トで、丁寧に説明することです。 ルール④:子どもへの配慮を忘れない 原則子ども同士の関係に悪影響を与えないよう、最大 限の配慮をします。 配布方法の工夫 一斉配布を避ける教室で「はい、〇〇さんはも らえません」という状況を作らない 個別対応を基本に加入家庭には持ち帰り袋で、 非加入家庭には購入希望者に別途渡すなど 目立たない工夫可能であれば、外見上は同じ状 態で受け渡す(購入品も同じ袋に入れる等) 心理的ケア 担任教師との連携 スクールカウンセラーとの情報共有 保護者からの相談窓口の設置 子どもは、親の選択の犠牲になるべきではありません。しかし同時に、 親の選択の結果から完全に切り離すこともできません。このバラ ンスを、大人として真剣に考える必要があります。 よくある疑問・反論にお答えする Q1. 「それでも、子どもがかわいそうでは?」A. お 気持ちは理解できます。しかし、「かわいそう」という感情だけで判断すると、長期 的にはもっと多くの子どもが不利益を被ります。加入者の負担が増え続ければ、 PTA活動自体が縮小・消滅します。その結果、すべての子どもが、これまで受けられ ていた支援を失うことになります。持続可能な仕組みを維持することこそ、真に 子どもたちのためになると考えます。 Q2. 「実費徴収は事務負担が増えるのでは?」A. 確 かに一定の負担は生じます。しかし、以下の工夫で軽減できます。 年度初めに一括希望調査(都度対応しない) オンライン決済の活用(現金管理の手間削減) 最低発注数の設定(少数希望なら対応しない選択も) 重要なのは、「負担を避けるために原則を曲げる」のではなく、「 原則を守りながら負担を減らす工夫をする」ことです。 Q3. 「地域によって事情が違うのでは?」A. おっし ゃる通りです。この記事で提案しているのは基本的な考え方であり、各学校の実情に 応じてカスタマイズが必要です。 都市部と地方で地域との関わり方が違う 学校規模によって事務負担の感じ方が違う 保護者の価値観が地域によって異なる 大切なのは、「なぜそうするのか」という論理的根拠を持つことです。その 上で、柔軟に運用していけばよいと思います。 4. 本質的な解決:PTA活動の改革 ここまで、「競合性・非競合性」という視点から、公平で持続可能な対応を 提案してきました。しかし、正直に言います。これは"次善の策"に過ぎませ ん。 本質的な問題は何か なぜ、非加入を選ぶ保護者が増えているのでしょうか。 役員の負担が重すぎる 活動内容が時代に合っていない 会議が形式的で、時間の無駄 人間関係のトラブルが怖い 「やらされている感」が強い つまり、問題の根源は「関わりたくない」と思わせるPTA活動そのも のにあります。 真の解決策とは ■活動の見直し本当に必要な活動だけに絞る。「 去年やったから今年も」を疑う。 ■負担の軽減一人当たりの役員負担を減らす。外 部委託や簡素化を進める。 ■透明性の向上会計や意思決定をオープンにし、 「何のために会費を使っているか」を明確にする。 ■参加の選択肢を増やす役員になれない人も貢献 できる方法を用意する(単発ボランティア、寄付、スキル提供等)。 ■楽しさ・やりがいの創出「やらされるPTA」か ら「やりたいPTA」へ。子どもたちの笑顔が見える活動を重視する。 行列ができるPTAになれば、「加入しない理由」が減り、自然と加入率は上が ります。 おわりに 「PTA加入は任意」という原則は、保護者の選択の自由を尊重する重要な進歩 です。しかし、自由には責任が伴います。 公平さを守り、本人の自由は尊重する、子どもたちには極力負担をかけな い。この3つのバランスを保ちながら、PTAを次の世代に繋げていく。それ が、今を生きる私たち大人に求められる責任だと思います。 完璧な解決策はありません。でも、論理的に考え、誠実に対話し、柔軟 に改善していく——その姿勢があれば、必ず道は開けるはずです。この記事が、同 じ悩みを抱える全国のPTA関係者の皆さんの一助となれば幸いです。 https://youtu.be/M15spLkXP7o 続きを読む

PTA非加入世帯の児童生徒を区別/差別するの は違法なのでしょうか?

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PTA非加入世帯の児童生徒への対応:法的義務と区別/差別の是非を徹底解説 この記事の対象者 非加入世帯への対応に悩むPTA役員 加入・非加入による「区別」の是非を法的・論理的に整理したい方 この記事でわかる事 「全児童平等」という主張の法的妥当性と、裁判例 問題を解決するための提言 PTA加入・非加入による児童・生徒の区別は問題なのか 問題の背景と現実 PTAの加入が任意だという考えが広まり、保護者の中にはPTA会員にならない人が 出てきます。年々、その数は増えているようです。この状況下で、PTA非加入世帯の児童生徒がPTA活動による利益を享受することに対し、PTA加入世帯の保護者から不満の声が上がることがあります。 そのような意向を受けて、PTAが非加入世帯の児童生徒を加入世帯の児童生徒と区別し(「差別」という強い言葉を使う人がいますが上下に分けている訳ではないないので「屈別」がいいと考えます)、異なる取扱いをし、トラブルとなる事例が報告されています。具体的には以下のような対応が あります: 卒業式の記念品を非加入世帯の児童生徒に提供しない PTA会員が見守る登校班に非加入世帯の児童生徒を参加させない 加入世帯側の心理的背景 このような区別の背景には、非加入世帯の保護者は何の負担もしていない(PTA会 費を払わず、役職にも就いていない)にもかかわらず、その子どもが他の加入世帯の 保護者の負担によって成り立っているPTA活動の利益を享受すること、いわゆる「フ リーライダー」であることが許せないという加入世帯側の素朴な感情があります。 学説による法的検討 某学説:憲法第26条からの検討 ある学者は、PTAが加入世帯の児童生徒と非加入世帯の児童生徒を区別し、加入世帯の 児童生徒だけが利益を享受できるようにすることを憲法第26条との関係で否定的に捉 える可能性を示唆しています。 この人はPTA活動を「個々の保護者が自己の養育する児童生徒のみならず、保護者一 般としての立場から、当該学校に在籍する児童生徒全般に対して、いわゆる『大人』 からの配慮や支援を行うことを目的とした、公共的ないし社会的な活動」と位置づけ ています。 この見方に基づけば、「憲法26条に規定された、子らに教育を受けさせる保護者 としての義務の具体的内容として、保護者が任意に団体を構成して相互の協力により 児童生徒の成長に貢献するための活動を行うもの」がPTA活動であり、PTAが非会員世 帯の児童生徒を排除することはできないとの考え方が導かれるとしています。 この説への批判的検討 しかし、PTAが非加入世帯の児童生徒を排除することができないことの根拠を憲法 第26条第2項に求めるのは、無理があります。なぜなら、憲法第26条第 2項は自らが養育する子女を対象にした保護者の義務を定めているのであって、自ら が養育する子女以外の子女を対象にした保護者の義務を定めているわけではないから です。要するに、「どうして会費も払わない、よそのお宅の子供の面倒まで見なきゃ いけないのよ!」という訳です。どうですか?至極真っ当な意見でしょう。 また、PTAが会員のためだけに活動するなら、教室を借りることはできない、PTA室などを使っている以上、全児童・生徒に等しく応対すべきであるという意見を見たことがありますが、これは全くの誤りです。法的根拠などなく、ただただ感情論だけのクルクルパーです。 PTAが完全に私的な目的を有する団体であるとしても、学校施設の利用に関する法令により、PTAが学校内において活動を行うことは法的に全く問題がありません。誰でも知っていると思いますが、特定の野球チームや町内会が学校の校庭を使うようなことは珍しくありません。この場合に、学校のグラウンドを使うんだから、チームに入っていない子供にも同じように野球を教えろ、とでもいうのでしょうか。どこをどう解釈したら、「全児童・生徒に等しく応対しない組織には施設を使わせてはいけない」という話になるのか、そのバカっぷりには驚きを通り越して呆れる他ありません。 地方自治法第238条の4 第7項(行政財産の目的外使用の許可) 要旨: 地方公共団体は、条例の定めるところにより、行政財産(学校の敷地・校舎等を含む)の本来の用途を妨げない限度で、目的外使用を許可できる。許可の可否・条件(時間帯、区画、禁止行為、原状回復、損害賠償、使用料など)は、設置団体の条例・規則で具体化されます。学校施設の住民開放は、この「行政財産の目的外使用許可」を根拠に運用されるのが通例です(教育上の支障がないことが前提)。 学校教育法 第137条(学校施設の利用に関する規定) 要旨: 学校の設置者は、学校教育に支障のない範囲で、学校の施設を地域住民等に利用させることができる。具体的な利用対象・時間帯・手続・費用などは、設置者(多くは市町村や都道府県)の条例・要綱・実施要領で定められます。 裁判例による実務的判断 コサージュ配布事件の概要 PTAが非加入世帯の児童生徒と加入世帯の児童生徒を区別し、異なる取扱いをする ことの違法性が実質的な争点となった有名な事件として、コサージュ配布事件があり ます。 本件において、原告は生徒の保護者であり、当初保護者会に入会していました が、活動内容に関する意見の相違から同会を退会しました。その後、修了式に際して 保護者会が会員の子女にのみコサージュ及び一輪花を交付し、会員ではなかった原告 の子女には交付しなかったため(原告は実費支払いを求めたがPTAが拒否)、原告が精神的苦痛を理由に損害賠償請求訴訟を提起 しました。 大阪地裁堺支部の判断 大阪地裁堺支部は、まず違法性に関する判断枠組みとして、被侵害利益が不明確 であることを前提に、「人格権ないし人格的利益については、例えば行為態様が悪 質、悪辣であるなど、当該行為を抑止すべく作為義務ないし不作為義務を損害賠償を もって強制することが被侵害利益の不明確性にもかかわらず正当化されるとき」に不法行為法上の違法な侵害と評価されると指摘しました。 そのうえで、以下の理由により原告の請求を棄却しました: 制約を正当化する法令上の根拠がない(非加入者児童にも同じ扱いを求める、実費購入に応じるべき) 不作為の行為態様が悪質、悪辣であるなどといった事情もみられない 法感情上も制約を正当化する根拠を見出しがたい 他人の子女の修了式を祝うことが自発的にされるならともかく、損害賠償をもっ て強制されるべき事柄とは考えがたい 最後の文は難しく聞こえますが、要するに「他人の子供のお祝いをしなかったから、 PTAは損害賠償しろ、なんておかしい」という考えです。きわめて当然の話をしているとわかるはずです。 この判決では、結論として「PTAは悪くない」と判断し たのです。もっとも、この判決はPTAは任意団体であり、その加入非加入は自由である旨を明示したものとして特 に有名です。 判決への批判的見解 反対の教育学者は「保護者会からのコサージュ等交付は学校機関的な活動内容で あると考えられることからそこに差異が生じることは原則的には許容しがたく、可能 な限りの平等な取り扱いをする義務が学校やPTAにはあると思われる」と述べ、本判 決に批判的な立場をとっています。 しかし、法的観点からみた場合、そのような法的義務をどのような根拠から導き 出せるのかという点について、十分な反論は提示されていません。結局、平等に扱ってあげないと可哀そうだ、という感情論が先行してお り、法的主張としてはまったく根拠不十分であると評価されるべきでしょう。 公益社団法人としての義務論 別の法的構成として、PTAの全国組織である日本PTA連絡協議会(日P)が公益社団 法人であることに着目して、関係法令の解釈から義務を導き出す見方があります。 公益社団法人としての認定を受けるためには「不特定かつ多数の者の利益の増進 に寄与する」ことを主たる目的とする必要があり、受益の機会の公開性が要求されま す。 日Pが公益社団法人としての認定を受けているということは、各単位PTAも「不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与する」ことを主たる目的とする必要があるのだから、児童生徒に等しく受益する義務がある、という主張です。ひと言でいうと、日Pが公益社団法人なんだから、各単位PTAも公益、つまり全児童のために行動すべき、という主張です。 すでに違和感を持つ人も少なからずいるでしょうが、法律的に反論しておくと、以下の理由により、この解釈は適切ではないと考えられます: 日Pが公益社団法人として認定されているのは確かだが、単位PTA自体は公益認定 を受けているわけではない 同様のPTA団体である全国PTA連絡協議会(全P)は一般社団法人であり、公益社団法人ではない。日Pか全Pかで法的差異が生じるのは適切ではない 結論:現行法における取扱い 法的義務の存在について 以上の検討から、現在のところ、非加入世帯の児童生徒と加入世帯の児童生徒を 区別してはならないという法的義務の存在を肯定することはできないものと解されま す。 非加入世帯の児童生徒と加入世帯の児童生徒を区別するのは法律違反だという意見を目にする機会が少なからずありますが、これは感情論と法的論理を混同していま す。あるいは自分の意見を正当化するために都合よく法律(っぽい屁理屈)を持ち出しているにすぎま せん。 さきほどから何度かでていますが、「エリートぶってるお馬鹿」と断じておきます。 ということで、仮に非加入世帯の児童生徒を区別し、加入世帯の児童生徒に対する対応と異なる対応をPTAがとったとしても、そのこと自体によって当該対応が直ち に違法と評価されることは基本的にはありません。 違法となる場合の条件 ただし、PTAによる対応が法に抵触するような形で行われれば、当該行為は違法と なります。区別すること自体は違法ではないが、その方法や程度によっては法的問題 が生じる可能性はゼロではありません。現実的には考えにくいですが、明らかに悪質 な嫌がらせとか子どもの人格を傷つけるような過度なものであったりする場合には、 PTAの行為が違法と判断される余地があります 実費徴収制度の評価 PTA非加入世帯の児童生徒もPTAからの利益を享受できるようにするため、PTAが非加入世帯から実費を徴収している事例があります。私もこの考えを主張しています。ただ、このやり方は、実務的には、非加入者にはそもそも案内する手段がないとか、お金のやり取りが面倒とかの問題が依然残っています。しかしそれでも、 公平性の担保: 会員の「会費を払っているのに不公平だ」という感情 (フリーライダーへの不満)を解消できる。 排除してない: 実費を払えば非会員の子どもも利益を享受できるた め、子どもが傷つくことを防げる。 法的妥当性: 実費徴収は違法ではなく、むしろ分け隔てなく扱うた めの合理的な仕組みです。 ということで、実費徴収の制度は加入世帯の児童生徒と非加入世帯の児童生徒に等しく機会を与えているのであり、積極的に評価されるべきものです。 https://youtu.be/D71zt2q0-ws 続きを読む

PTAに寄付を学校が強制?「真摯な同意」の裏にある、校長の”おねだり”の実態とは?

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校長がPTAに寄付を要求することに問題はないのか?「真摯な同意」という名の「強制」の是非を問い正せ この記事の対象者 学校から備品購入の打診を受けたPTA役員 PTA会費が学校運営の補填に使われている実態に疑問を持つ保護者 この記事でわかる事 学校からの寄付要請の構造的問題 公立学校における義務教育のあるべき姿 暴露された実態と、正常化に向けた改善のプロセス 「PTAからの寄付が無いと、学校運営がままならない」そんな自治体、そしてそれを放置している国に喝! 校長からPTAにおねだりするなんて?! 教育委員会の対応は? 初めに断っておきますと本稿は私の体験を元に作成した、ちょい長いお話です。 プロローグ:校長がPTAへ寄付を「おねだり」 「PTAで体育館にプロジェクターを買ってもらえませんか?」 小学校の校長からのこの一言が、私を今回の長い考察へと導くことになった。違和 感を覚えたのは、それが単なる「お願い」ではなく、暗黙の「要求」に聞こえたからだ。学 校のトップがPTAに学校備品の購入を要求する――これって本当に正常なことなのだろう か。 区の教育委員会の回答:「真摯な同意」という、まやかしの言葉 PTAから学校への寄付は違法なんですか?で書いた通り、私はこのあたりの考察に関してちょいうるさい。そこで校長のリクエストに関して管理責任者の見解を問うべく、最初に区の教育委員会に電話をしてみた。「私はPTAの役員ですが、校長から備品の購入を依頼されました。PTAの経費で購入すべきものではないと思うのですが、校長がこのようなリクエストをするのは問題ではないでしょうか?」 教育委員会の電話口からは、このような返事が返ってきた。「PTA側からの真摯な同意があれば、学校が寄付を受けても問題ありません」 この区の教育委員会の対応は、おそらく全国の多くの自治体の姿を映し出し ている。実際、文部科学省の調査や各地の報道を見れば、全国各地で同様の問題が繰り返されていることがわかる。私が所属する東京の一区だけの特殊な事例ではない――これは日本全体に広がる構造的問題なのだ。先ほど彼はこう言った。 「真摯な同意があればOK」 この言葉には、いくつもの疑問符がついた。 学校長という権威者からの依頼を、保護者が本当に断れるのか?私のように異論を唱えるのは極めて例外で、ごくごく少数派だろう(っていうか1人かもしれない) 「真摯な同意」とは、具体的にどのような手続きを指すのか?恐らくこっちにお任せなんだろうな 同意の「真摯さ」は、誰がどのように判断するのか?どうせ考えてる訳ないぞ 「なんだこれ、きっと思った以上にザルなんだ!」と思い、私は食い下がった。「校長から頼まれれば、普通のPTA役員は断れないし、事実上の強制ですよ?」面倒くさいヤツだと思われたんだろう。数人たらいまわしにされた後、委員長と名乗ったから一番エラそうな感じのおっさんから も、同じ回答が返ってきた。「 真摯な同意があれば何の問題もないんです」あーだこーだと反論したが、まるで壊れたレコード(今やレコードを知らない人もいるんだろうけど)のように、同じ言葉が繰り返されるだ けだった。 都教委の回答:50年以上前の通達が語る真実 ダメだ、こいつでは話が通じない。私は納得できず、さらに上部組織である東京都の教育委 員会に問い合わせた(後に記すが、当時は東京都教育委員会は◯◯区教育委員会の上部組織だと思った)。そこで初めて知らされたのが、昭和42年(1967年)に発出された通達「義務教育における私費負担の解消について」の存在だった。この歴史的ともいえる、50年以上前に公表された文書は、最初に電話した区の教育委員会の説明とは全く異なる世界観 を提示していた。 戦後教育の「隠れた負担」と昭和42年の決意 義務教育の「裏側」学校運営を支え続けたPTA 戦後日本の教育復興は、しばしば奇跡として語られる。しかし、その奇跡の 裏側には、語られることの少ない真実があった。 PTAが、本来は公的に負担されるべき教育費を肩代わりしてきた のだ。 当時の状況を想像してほしい。戦後の混乱期、国や自治体には学校運営に必 要な予算が十分になかった。教室の修繕費、教材費、備品購入費――これらの多くが、 実際には保護者のPTA会費や追加の寄付、バザーの収益金などによって賄われていたのが実態だったのだ。私自身が小学生の頃を思い出す と、どこの学校でも、体育館ステージの立派な緞帳にはPTA寄贈と書いてあり、ぼん やりとした違和感を感じていたのを思い出す。 現代の私たちが享受している教育インフラの多くは、かつての保護者たちの 「私費」によって築かれたものなのだ。それは美談として語られることもあるが、同時に 義務教育の本来あるべき姿からの逸脱でもあった。 変わらなかったPTAの役割 戦前の日本には、学校後援会というものが存在した。表向きは教育の振興を目的として いたが、実態的には物的(金銭的)にも人的にも学校を援助することが主な役割だった。戦後の PTAは「Parent - Teacher Association」――保護者と教師が子どもの教育について協力し合い、相互理解を深める場としてGHQの意向を受けた文部省(当時)の号令の下で発足した。しかしその内情は、旧態然とした学校後援会となんら変わることは無かった。 PTAは学校のリクエストに応じてお金と無償の労働力を提供する、校長連中にとっては極めて都合のいい組織であり続けた。 このあたりの 事情については公益社団法人日本PTA全国協議会が圧倒的に詳しいのでPTAが大好きな方は一読されたい。 バザーの収益、会費の一部、そして追加の寄付。これらが当然のように学校運営費に組み込まれていく構造が、長年固定化された。つまり、学校がPTAのお金をアテにするのが普通で、PTAの誰も、学校側の誰もそれを疑問に思わなくなっていったのである。 歴史的転換点 しかし、昭和42年、東京都教育委員会は勇気ある決断を下した。長年続いてきた公立学校の「私費負担」の慣習に、正面から異を唱えたのだ。 「従来、父兄を主たる会員とするPTA、後援会、その他の団体から、学校後援のための寄付が行われてきた。こうした慣習は、おうおうにして、強制にわたる懸念もあり、一方このたびの措置(筆者注:児童生徒数に応じて学校に助成金が出ることになったことを指す)により学校運営費が確保されることになるので、今後はこの種の寄付は 受領しない」 と明記されている。ここには三つの重要な認識が示されている。 「寄付」といっても実質的には強制になりやすいという構造的な問題の指摘 公費による学校運営費の確保という原則の確立 寄付を受け取らないという明確な方針 特に注目すべきは、1番目。私自身が感じた違和感、すなわち寄付と言いながら事実上の強制力があり得ることを的確に表現していた。そして3番目では寄付を受け取らない旨を言明している。ここでは「真摯な同意があれば受領しても問題ない」などという例外規定を 一切設けていないことに注目すべきだ。都教委は、同意の「真摭さ」を判断する ことの困難さ、そして教員と保護者の力関係の中では同意に限界があり、事実上の強制力があるから、例外規定があると、それがただの言い訳に使われる可能性が高い、そのように理解していたのだ。50年以上も前、昭和 42年の時点ですでに。その深い洞察たるや、賞賛に値する。それに比べて先の「真摯な同意があればOK」と軽々しく答えた区教委の馬鹿どもはお仕置きに値する。この違いはなんだ?都職員と区職員の知能ランクの違いを見たようであった。 「正常な姿」とは何か この通達は、公教育における私費負担を「教育の正常な姿ではない」と断じてい る。では、「正常な姿」とは何か。 それは極めてシンプルだ。義務教育に必要な費用は、すべて公費で 賄われるべきだということ。要するに、公立学校の運営に当たり、必要な経費は学校の設置者たる地方自治体が負担するということだ。というのも、保護者からの寄付を際限なく受け入れるなら、いわゆるお金持ちエリアの学校の児童生徒は冷暖房完備のキレイな校舎で、給食はいつもフルコース、有名な運動選手をコーチに迎え、、、と言った事になりかねない(それは営利目的で教育サービスを売る私企業たる私立学校に任せればよい)。他方で、そうではないエリアの児童生徒は十分な設備が提供されず、教育環境の整備すらままならない、けど仕方ないということになってしまう。保護者の経済状況によって、子どもが受けられる教育に差が生じてはならない。これが日本国憲法第26条が保障する「教育を受ける権利」の本質である。 「ねじれ」の構造と「真摯な同意」の虚構 東京都教育委員会と区教育委員会、二重構造の謎 ここで素朴な疑問が浮かぶ。なぜ東京都教育委員会と区教育委員会とで、こう も見解が異なるのか。「東京でもPTAは寄付してるぞ」というブログ記事を見かけたことがある。 多くの人が誤解しているだろうし、私自身、都の教育委員会の電話口で話を聞いて知ったの だが、区教育委員会は都教育委員会の下部組織ではない。地方自 治法に基づき、都と区はそれぞれが独立した執行機関であり、いわばヨコの関係なのだ。だから、区教育委員会は都教育委員会の意見を参考にすることはあれど、必ずしもその意向に沿う必要はない、という関係にある。よそはよそ、ウチはウチ、それはそれで構わないという訳である。 この制度設計が、運用の「ねじれ」を生んでいる。 都立学校におけるPTAからの寄付の実態 話を聞く限り、東京都教育委員会が直接管理する都立学校(ほぼ高校や特別支援 学校で、小中学校はごく一部)では、昭和42年通達に基づいた運用が比較的徹底されているように思われた。 校長からPTAへの寄付依頼は原則として禁止 PTAからの申し出があっても、公費で対応すべきものは受け取らない 例外的に受け取る場合も、厳格な手続きと透明性が求められる つまり、都教委の建前と実態は一致しているのだ。 区立学校におけるPTAからの寄付の現実 一方、23区や市町村が管理する小中学校では、状況が大きく異なる。もちろん、私とて、すべての区に意見を求めた訳ではないのでおそらく濃淡があることを前提に読んで頂きたい。 校長がPTAに直接「おねだり」する事例が散見される 「真摭な同意」があればOK。という曖昧な基準で寄付が正当化される 保護者が断りにくい空気が醸成されている なぜこのような差が生じるのか。それは各自治体の財政状況 と教育予算配分の優先順位に大きく依存しているのだろうと推測する。 PTAの同意は本当に自由意思なのか 区の教育委員会が繰り返す「真摭な同意があれば問題ない」という論理を、 もう一度検証してみよう。社会心理学の知見を引き合いに出すまでも無く、権威者からの要求に人は従いやすい。これは「 権威への服従」として知られる現象だ。要するに社会的に立場のある人の発言には相応の重みがある、というごく当たり前の話。校長という立場の人物が、保護者組織である PTAに依頼をする――この構図そのものが、既に対等な関係性を損なっている 。本来は、PTA組織において、保護者も校長も他の教員も同列であり、上下関係はない。しかし、多くの保護者は暗黙のうちに看過しがたい上下関係を受け入れているはずだ。(ちなみに私は全くその感覚を持っていないが、それに関しては「PTA役員だけど私は「先生」という言葉を使いません」に書いた。) さらに、PTA役員という立場も考慮しなければならない。役員たちは以下のような考えをもっていることが多い。 学校との良好な関係を維持しなければならない 他の保護者から「学校のために頑張ってる」と思われたい これまでずっとこうしてきた、という伝統(?)は維持しなければならない このような状況下で、校長から金品の依頼を受ければ、私が疑問を呈したように、何ら反論すること無く、2つ返事で同意してしまうのも無理はないのだ。その「同意」を、果たして「真摯な同意」と呼べるだろうか。 PTAの同意の検証可能性 さらに根本的な問題がある。「真摭な同意」があったかどうかを、どうすればわかるのか。「真摭な同意」があったといえるにはどうなればいいのか?、ということである。 PTA総会での挙手による承認があればいいのか(反対しにくい雰囲気が あるんじゃないか?多数決でいいのか?) 役員会での決定があればいいのか(役員たちに選択の自由はあった か?) 保護者にアンケート調査を実施して過半数なら良いのか(匿名性は確保 されていたか?、過半数でいいのか?) 多くの場合、これらの手続きは形式的に行われるだけで、真の自由 意思が確認されることはない。となると、実質的には校長とPTA会長の間で決まってしまう場面も少なくないだろう。 なぜPTAの公費負担が変わらないのか 昭和42年通達の中では、都が生徒数に応じて各学校にお金を出すから、学校はPTAに資金援助をお願 いするのを止めなさいという趣旨の記述が見られる。しかし、それから60年ほどが経過した 今も、なぜこの問題は解決していないのか。いくつかの要因が考えられる。 1. 予算の恒常的不足 多くの自治体で、教育予算は十分とは言えない。学校現場のニーズと予算配 分の間には、常にギャップが存在する。つまり、都の側は「これで足りるだろ」と考えているが、校長をはじめとして学校の運営側は「全然足りない」と考えていて、そのギャップを埋める「便利な手段」とし て、財政面でも人手の面でもPTAへの依存が続いている。 2. 慣習の力 「昔からそうしてきた」という慣習の力は強い。新任の校長も、前任者のや り方を踏襲しがちだ。昭和の時代からPTAに寄付を依頼することが「当たり前」だと思ってきた校長もいるわけで彼らの考え方を変えることは、容易ではない。冒頭でプロジェクターを要求してきた校長も、PTAに買ってもらうことが当たり前の文化の中でこれまで教員生活を続けてきたのだ。逆に、PTAの人達も「今まで毎年払ってるのに今、理想論をかざして支払いを止めたら学校が困るだろう」「文句をいう保護者も出てくるかもしれない」「今まで通りやってれば非難される筋合いはない」と考えがちだ。再三、飽きるほど指摘している前例踏襲、やぶ蛇、寝た子を起こすな、という訳である。 3. 問題の可視化の困難さ より一層、この問題が認知されにくい事情がある。PTAから学校への寄付は、表面的には「学校とPTAの良好な協力関係」として見えないこともないということだ。本部役員の中にも、備品を購入して寄付すれば学校が喜んでくれるし、子供たちも恩恵を受けるのだから問題ない、むしろ、積極的にPTAの経費で購入すべきだと考える人も少なくない。実は被害者(と呼んでいいかは悩ましいけど)である保護者は上記の通りだから、被害者たる認識すらも持っていなかったりするわけで、声を上げにくく、問題が埋もれたままになりやすいという構造がある。 4. 「子どものため」という大義名分 PTAでしばしば出てくる「子どもたちのために必要なものだから」という理屈は、反論を封じる強力な武器となる。「子どものため」と言われたら誰も反対することはできな い。反論すれば、子供の健やかな成長を願っていないのか?と思われかねない――この心理が利用/悪用されている。詳しくは、私が「子どもたちのために」と言わない理由に書いておいた。 「PTAからの寄付」実態調査が浮き彫りにした深刻な現実 近年問題となった事例でいくつか記事を引用しよう。50年以上前に東京都教育委員会が訴え たことが他の自治体ではなんらの問題とされること無く当然のこととして、長年にわたり続けられてきたことが分かるだろう。 高松市の1億円問題:公費不足が生む保護者負担 学校運営のためにPTAなどからの寄付がどれくらい使われているのか。高松市立小 中学校71校のうち、68校で年間に総額計1億円以上が支出されて いることが、市議の各校への調査で判明した。学校運営経費は公費負担が原則だが、 教材や備品購入、新型コロナウイルス対策に寄付が充てられていた。 植田真紀市議による調査では、2018~20年度の3年間で、小学校49校中46校、中学 校22校全てでPTA会費からの支出があった。小学校ではおよそ半数で毎年100万円以上 の支出があり、最も多い学校は441万円。中学校では最多校が613万円を支出してい た。 支出内容は多岐にわたり、教科書や理科実験用具、図書といった学習関連品だけ でなく、机・椅子・ロッカーなどの備品、チョーク・傘立て・清掃用具、体育館ワッ クス、さらにコロナ対策のマスク・フェースシールド・アクリル板・体温計なども含 まれていた。 各学校からは「公費だけでは足りず保護者負担に頼らざるを得ない」「 PTA費を充てなければ学校運営経費を賄えない」との回答が相次いだ。 深刻なのは、PTAの会計が実質的に「第二の財布」化している 実態だ。「公費は購入の手順が手間」や「PTAからの寄付という認識はなかった」という回答もあり、市教委は10年前の同様の調査後、公費を増額したにもかか わらず、今回の支出総額は当時を大幅に上回っていた。専門家は「任意団体のPTAの お金を、学校が最初からアテにしているならば不健全」と指摘している 専門家のクセに「不健全」ですませているが、これは不健全どころの話ではなく、地方財政法第27条の 4 第 1 項に照らして、明らかな違法状態である。 名古屋市の実態:「第二の財布」化するPTA 名古屋市名東区の市立本郷小学校では、教育委員会が設置を認めなかった理科室 のエアコン4台を、PTA会費43万円で購入する事態が発生。教頭は「本来公費で設置す るべきものと思うが、市教委に柔軟な対応をしてもらえず、PTAに頼る形になってし まった」と説明した。 「本来公費で設置するべきものと思うが」、ってあんたが思うも何もそれは事実であり、思わない人はいないだろう。結局、校長連中も「自分自身の私物を買うのはマズいけど、そうでなければ問題ない」という考えで長らくやってきたのだ。 名古屋市立371小中学校へのアンケートでは、PTAが消毒液57万円、教室内ロッ カーと大型扇風機30万円以上、給食調理器具などに支出する実態が明らかに。3年間 で100件以上、金額にして1000万円以上の寄付が確認された。 おそらく、戦後時代から今まで変わることなく続いてきたのだろうから、その総額たるや想像をぜっする金額である。 中に は「会計を学校側が握っており、事実上学校の経費になっている」「教頭先生から会 費が余ったので備品を買っていいか相談された」という回答もあったという。愛西市の小学校 では、教室のストーブの灯油代までPTAが負担していた事例も判明した。 心理上・事実上の上下関係があったとはいえ、歴代のPTA会長や役員は今、何を思うのだろうか。「今までずっとこうしてるから」「教育環境を改善するためだから」「子供たちの為だから」「他の学校もそうだから」そんな言葉でモヤモヤを隠してきたのか、それとも麻痺しすぎて何も思わなかったのか。おそらくは前例踏襲の錦の御旗の前に何も感じなかったのだろう。毎度くどいのだが、前例踏襲に疑問を提起する、それは健全なPTAに生まれ変わる最初の一歩である。 専門家の警告と教育委員会の対応 教育行政学が専門の千葉工業大学・福嶋尚子准教授は、「お金を支払えるPTAのある学校だけが学ぶ環境が整い、そうでないところが置いてきぼりになる」と 教育格差の懸念を指摘。 名古屋市の坪田知広教育長は取材に対し、「本来は公費で見るべき話。ルールに 基づいて相談報告がほしかった」と認めたが、正式な手続きを踏んだ寄付は年間数件 のみ。市教委は2023年2月に全学校に正しい手続きを通知したが、3月13日時点で新た な報告はゼロ。高松市の大西秀人市長は「大幅な財源不足が見込まれ、ただちに学校 運営費を大幅に増額することは困難」と答弁。 ということは、すぐに改めることは できないし、市長としてすぐに改める気はない、ということなのでしょう。 また、植田市議は「義務教育は無償であり、本 来公費で賄うべきものまで保護者に背負わせてはいないか」と市教委の責任を問う。 「背負わせてはいないか」って明らかに背負わせていることは議論・検証の余地もないことがわからないのだろうか。 私の考えではこの呑気な市議も同罪である。 PTAの寄付 変化への道のり:私たちに何ができるか 保護者としてできること 疑問を持つことから始める この寄付は本当に必要なのか? 公費で対応できないのか? 断ったらどうなるのか? 記録を残す 学校からの依頼内容を文書で求める PTA会議の議事録を詳細に残す 意思決定プロセスの透明性を確保する 連帯する 同じ悩みを持つ保護者とつながる PTAの在り方を見直す動きに参加する 情報を共有し、孤立を避ける 名古屋市と高松市の取り組み――変化の兆し 高松市では予算を約7000万円増やし、木太南小学校では「寄付を一切受けない」 と決定。先生たちの意識にも変化が現れたという。「『PTA会費の方からお金をあて ましょうか』というようなことがちょっと前にはありましたけれども、そういうこと が無くなって。見通しをもって計画的に物を購入していくという意識が高まりました 」 名古屋市では河村市長が「学校の予算を増やす」と明言し、1校あたり70万から 80万円の予算増額を表明。税金を充てられる基準について市のホームページで公表す る考えを示している。坪田教育長も「事実確認を急がないといけない」「構造的なこ とをきちんと把握しないといけない」と対応を約束。 メディアに実態をさらされ、隠しきれなくなったから仕方なく、、、という背景はあるだろうが変化は可能なのだ。しかし、そ れには保護者、学校、そして自治体(教育委員会)の意識改革が必要である。 学校・教育委員会に求めたいこと 問題が大きくなって隠せなくなってしまって表沙汰になったという事情があるにせよ、名古屋市 や高松市の事例が示すように、自治体(教育委員会)の決断次第で状況は変えられる。 予算配分の見直し 教育現場に必要な予算を適切に配分する PTAへの依存体質から脱却する 透明性の確保 何が公費で賄われ、何が私費なのかを明確にする 「お金の見える化」を進める 寄付依頼がある場合、その理由と代替案を示す ガイドラインの策定「真摯な同意があればOK」と言い続けるのであれば、当然その内容は明確にしてくれないと困る。 「真摯な同意」の具体的な手続きを明文化する 校長に対して「おねだり」をさせない、または単なる希望であって強制力はないことを明確にPTAに伝える 公費・私費の負担区分を明確に示す(横須賀市のような取組みも見 られる) 昭和42年通達の再評価 なぜこの通達が発出されたのか、その意義を再確認する 現代の文脈で、通達の精神を実現する方法を検討する エピローグ:「正常な姿」を取り戻すために 校長からの「おねだり」から始まった私の疑問は、日本の教育制度が抱える深い 構造的問題へとつながっていった。要は、公立学校の教育財源の不足ということだ。区の教育委員会(他のほとんどの教育委員会も同様だろう)が繰り返した、「真摯な同意 があれば寄付は問題ない」という言葉は、一見すると民主的で合理的に聞こえる。しかしそれは、本来なら存在してはならない私費負担を正当化するための、都合の良 いレトリックになっていると評価されるべきだろう。「当事者が納得してるんだからいいじゃないか、今まで通りで問題ない。余計な仕事を増やさないでくれ。」教育委員会には少なからずこういうバカ連中いるはずだ(っていうかほぼ全員だと思っているけど)。 高松市の1億円、名古屋市のエアコン、愛西市の灯油代――全国規模で見れば、これらが氷山の一角に過ぎないであろう事は想像に難くない。もっと深刻で表に出てきていない問題もあるはずだが、それをあぶりだして糾弾するのがここでの目的ではない。重要なのは「これからどうするか」、それに尽きる。これは単に「予算不足だった」で済ませてよい問題ではない。「子どもたちの教育環境のために」という大義名分の下 で、公教育の根幹が侵されてきたことを示す象徴的な事例だ。憲法が保障 する「義務教育の無償性」が、現場では長年、空文化してきたという現実を直視しな ければならない。 昭和42年、東京都教育委員会は「公教育の正常な姿」を描いた。それは、すべて の子どもが経済的な障壁なく、公平に教育を受けられる社会である。60年近く経った 今も、その理想は完全には実現していない。しかし、諦める理由はない。 名古屋や高松で明らかになった事例をみて、「次はウチか?」とびくびくしてい る学校関係者は全国に少なくないはずだ。事情はともかく、正常化に向けて始まった変化は、一歩 一歩ではあっても確実に前進している。一人ひとりの保護者が「おかしい」と感じた ことを声にし、教育委員会が実態を直視し、自治体が予算を再配分する――この連鎖 が、教育の正常化を進める原動力となる。放置すれば教育格差はさらに深刻化する。 今こそ、半世紀以上前の通達が掲げた理想を広く周知させるべき時だ。 一人ひとりの保護者が疑問を持ち、声を上げ、つながることで、少しずつ変化は 起きる。「これっておかしいのでは?」という感覚を大切にし、「いままでこうやってる から仕方ない」で済ませない勇気を持ってほしい。それが、次の世代のために、私たちが できる最初の一歩なのだ。行列ができるPTAはその先にある。 https://youtu.be/-ZQeiAqr3rc https://youtu.be/-ZQeiAqr3rc 続きを読む

PTAから学校への寄付は違法?法的制限と許容される範囲、判断基準を詳しく解説

雑学

PTAによる学校への寄付の法的制限と許容される範囲について この記事の対象者 PTAから学校への備品寄付の是非に悩んでいる役員・保護者 学校予算とPTA会費の線引きを法的に理解したい方 この記事でわかる事 学校教育法や地方財政法が定める寄付の制限ルール 「強制的な寄付」とみなされる判断基準と、適法とされる範囲 PTAの寄付における法的問題の背景 PTAが学校で使用される備品等を寄付することがある一方で、このようなPTAによる寄付を批判的に捉える見方も存在します。批判的な見方によれば、本来であれば学 校の設置者である地方自治体が経済的な負担をして備品等を揃えるべきところ、学校 がPTAに肩代わりさせており、適切ではないとされています。 このような見方を踏まえ、果たしてまたいかなるPTAの寄付が許されるのかを法的 観点から検討する必要があります。PTAの寄付に関連する規定として、通常、学校教育法の規定と地方財政法及びその施行令の規定が挙げられるため、これらの規定を検 討対象とし、関係する裁判例も参照しながら、その運用面も視野に入れて検討するこ とが重要です。 学校教育法による制限の内容と解釈 設置者管理主義と設置者負担主義の原則 学校教育法第5条は、学校の管理及び経費の負担につき、「学校の設置者は、その 設置する学校を管理し、法令に特別の定のある場合を除いては、その学校の経費を負 担する。」と定めています。 この条文は、設置者管理主義及び設置者負担主義を定めた条文であり、当然の原 則を確認的するために規定した条文であると理解されています。本条からは国民の教 育を受ける権利を実現するための経費は学校の設置者が負担すべきであることが読み 取れます。 寄付の全面禁止ではない しかし、本条によって寄付それ自体が全面的に禁止されているわけではありませ ん。そのため、本条による規律があるとしても、PTAが寄付を行う余地はあると言え ます。 地方財政法及び施行令による具体的制限 住民への負担転嫁の禁止 地方財政法第27条の4第1項は、「市町村は、法令の規定に基づき当該市町村の負 担に属するものとされている経費で政令で定めるものについて、住民に対し、直接で あると間接であるとを問わず、その負担を転嫁してはならない。」と定めています。 地方財政法施行令第52条が住民に負担を転嫁してはならない経費として、以下を 挙げています: 市町村の職員の給与に要する経費(1号) 市町村立の小学校、中学校及び義務教育学校の建物の維持及び修繕に要する経費 (2号) 学校の事務員の給与をPTA会費で払っているという例を聞いたことがありますが、 これは明らかに本条項に違反しています。 PTAが負担してはならない経費の具体例 これらの規定によれば、以下の経費をPTAが負担することは禁止されていま す: 小中学校の建物の維持に関する経費(火災保険料・電灯料・水道料・管理用消耗 品等) 修繕に要する経費(通常の破損の修理に要する費用・壁の塗り替え等に要する費 用等) 小中学校の建物の建設に要する経費(解釈上) たとえPTAが真に自発的に負担したいと主張しても、当該負担は法的に禁止されて います。 割当的寄附金等の禁止規定 地方財政法第4条の5は、割当的寄附金等の禁止として、「国は地方公共団体又は その住民に対し、地方公共団体は他の地方公共団体又は住民に対し、直接であると間 接であるとを問わず、寄附金(これに相当する物品等を含む。)を割り当てて強制的 に徴収(これに相当する行為を含む。)するようなことをしてはならない。」と定め ています。 非常に堅苦しい表現ですが、寄付金を『割り当てて強制的に徴収する』とは、地 方公共団体等がその住民に対し、寄付に応じない場合には不利益をもたらすべきこと を暗示するようなのはダメという内容です。 学校とPTAの関係でいえば、「PTAでテントを買ってください。さもないと熱中症 リスクがあるので運動会は中止です」などは事実上の強制と判断されるかもしれませ ん。 裁判例から見る「強制的な寄付」の判断基準 地方財政法第4条の5違反を認めた事例 かつては地方自治体からの強制的な寄付要求が問題となることがありました。大 阪地堺支判昭和62年2月25日では、地方公共団体が事業者に対して指導要綱に基づき 開発協力金の負担を求めた行為について、以下の理由で地方財政法第4条の5違反を認 定しました: 開発協力金が寄附であることの説明を一切しなかった 建築確認申請が受理されるためには開発協力金の納付が必要である旨の行政指導 を明示的に行った 事業者の減免措置の適用要求等に対して強固な態度で開発協力金の納付を説得し 続けた 建築確認申請書の受理を保留し、建築確認の審査を引き延ばすという不当な手段 を背景にした 地方財政法第4条の5違反を認めなかった事例 一方で、以下の裁判例では同条違反を認めませんでした: 昭和61年大阪地判の判断基準 「寄附金を割り当てて強制的に徴収する行為とは、国または地方公共団体がその 権力関係または公権力を利用して、強制的に寄附の意思表示を為さしめて、これを収 納する行為をいう」と定義し、職員が開発協力金の趣旨内容を説明した以外に、権力 関係や公権力を利用した強制の事実がないとして違反を否定しました。 平成4年大阪地堺支判の判断要素 市の担当者が以下の対応をしたことを評価して違反を否定しました: 負担金の目的を説明した 法的拘束力はない旨の説明をした 納付しなかった場合の不利益等について何も述べなかった PTAの寄付における適法性の判断基準 総合的判断による違法性の認定 地方財政法第4条の5で禁止されている強制的な割当的寄付と認定されるか否か は、以下の諸般の事情が総合的に考慮されて判断されてきました: 寄付の要望に法的拘束力がない旨の説明をしたか否か 要望に従わなかった場合の不利益に言及したか否か 実際に過去に要望に従わなかった者に対して不利益となる措置を講じたことがあ るか否か 学校からの打診に対するPTAの寄付の適法性 PTAから学校への寄付は、一律に地方財政法第4条の5に違反するとも、また違反し ないとも言えません。ただし、少なくとも、学校側が単に「◯◯を買ってほしい」と打 診するだけで、それ以上の行動を伴わない場合には、学校側の打診に応える形で PTAが寄付を行ったとしても、そのことが地方財政法第4条の5との関係で違法と判断 されることはないでしょう。ですがしかし、校長からの依頼を強制と受け止めるPTA役員は少なくないので問題のある行為です。 忖度による寄付の法的評価 学校からの寄付の打診に際し、PTAの側が忖度をし、寄付を行うということは考え られ、そこに事実上の強制力を認定できるとして、学校からの打診に応える形で PTAが寄付を行うことは違法であるとする見方もありえます。 しかし、仮に立法者がそのような場合まで違法と捉え、これを禁止しようとする のであれば、旧地方財政再建促進特別措置法第24条第2項のように強制であろうと任 意であろうと寄付を禁止する旨の規定を置くでしょう。現在、PTAから学校への任意 の寄付まで禁止する規律はないことを踏まえると、単に学校からの打診があったとい う程度では、やはり強制力は認定されず、また違法と評価されることもないと解され ます。とはいえ、教育委員会は校長に対して、打診すること自体をやめるよう指導すべきでしょう。 要は真摯な同意があれば問題ない、とする考えですが、これについて は私の体験談をもとに渾身の超大作を書いたのでご覧下さい。 https://pta.small-ai-japan.com/pta-donation-forced-consent/ 続きを読む

PTA強制加入問題について、めちゃ詳しく考えてみた PTAへの加入は義務?任意?

提言

PTAへの加入は義務なの?任意なの? この記事の対象者 PTAへの加入義務について法的議論に関心がある保護者 PTAの強制加入や活動に疑問を感じている方 この記事でわかる事 PTA加入に関する国や裁判所の法的見解 現在のPTA運用のパターンと課題 実際に起きている問題 現実には、次のような声がよく聞かれます。 「PTAは入るのが当たり前だと思っていた」 「入らないと言いづらい雰囲気がある」 「断ったら子どもに影響が出そうで怖い」 このように、本人の気持ちとは関係なく、PTAに入らされていると感じる保護者が 多いことが問題になっています。加入しないと不利益になる、そんな話も聞きます。では、法律的に見て、PTAへの加入は本当に義務な のでしょうか? 国の考え:PTAは「自由に入る・やめる」ことができる任意団体 実は、国(文部科学省)はかなり昔から一貫して「PTA加入は任意」だと説明して います。 昔からの公式見解1947年・1954年に作られたPTAのモデル規約では「会員になることができる」と書かれていますそこには「自由に入会する団体であり、強制してはいけない」とも明記されています。 さらに、2023年の国会でも、内閣総理大臣だった異次元のポンコツ総理として有名な岸田と文部科学大臣がそろって、「PTAの入退会は自由です」と、はっきり答えています。最近では、各自治体の教育委員会が公式に「PTAは任意加入です」と発表する例も増えています。 裁判でも「PTAは任意」と判断されている 法律の世界でも、この考え方は確認されています。有名なのが、2016年の熊本地裁の判決です。この裁判では、判決文の前提として、PTAは「入退会自由の任意団体」であるとはっきり書かれています。つまり、裁判所もPTAを「強制加入の団体ではない」と見ているのです。この判決をうけて、「だから、PTAは任意加入で確定!議論の余地はない!」という人がいますがこれは正しくありません。これを理解するには判例(正確には、最高裁判所の判断を「判例」、その他裁判所の判断を「裁判例」といいますが、ここでは一般向けに両者あわせて「判例」と言っておきます)のことを少し補足する必要があります。判例というのは、「その事件においては裁判官がそのように判断した」というだけのことです。確かにそれが後に続く類似の事案において大いに参考にされるのは事実ですが、類似事案で矛盾する判決が出ることは珍しくはないように、絶対的なものではありません。だから、以下のようにまだまだいろんな考えを出し、議論する余地はあるのです。 憲法から見ても「加入しない自由」がある 憲法学者も通常は、次のように説明しています。 日本国憲法21条は「結社の自由」を保障している これは「入りたい団体に入る自由」だけでなく「入りたくない団体に入らない自由」も含む PTAは、どうしても入らなければならないほどの公共性はないため、仮に「PTAに強制加入させる法律」を作っても、憲法違反になるだろう このように、PTA加入は任意であるという考え方は、今ではほぼ共通の理 解(通説)になっています。 それでも「加入は義務だ」と考える人もいる ただし、学者の中には、「PTA加入は保護者の義務だ」と考える人もいます。ここでは、その代表的な2つの考え方と、その問題点を見てみましょう。 「加入は当然」という考えの問題点ある教育法学者は、PTAは、親の教育の権利を実現するための団体なので、親は当然加入すべきだと述べています。しかし、この考え方には問題があります。 PTAがなければ、親は教育に関われないのか? PTAは日本で100年も続いていない新しい制度であり、「昔から親の権利の一部だった」とは言えない また、みんなで協力するのがPTAの精神だから、任意はおかしいという主張もあります。しばらく前までのPTAはこの考えが暗黙の前提にありました。子どもたちの為にみんなで協力する目的の団体なのだから、みんな加入するのが当然だよね、という雰囲気が醸成されていたわけです。これは「理想」ですね。しかし「理想」と「法律上の義務」は別です。法律に明確な決まりがない以上、「雰囲気」や「理念」だけで義務を作ることはできません。 「加入は当然」という考えの問題点別の憲法学者は、PTAを次の2つに分けて考えました。 親同士の勉強や交流を目的とするPTA → 任意でOK 学校教育に関わるPTA → 加入は当然 まあ、言いたいことは保護者同士の交流が目的なら任意だけど、子供のためが目 的なら強制加入。というわけですが、現実的には両方の側面があるわけでこんな分け 方をしたところで有益な解決は得られません。加えて、PTAがあることを分かってい てこの学校に入学したんだからPTAに加入する意思があるとみなすのも当然でしょ、という考えもあるのですが、「当然」の根拠ははっきりしていません。あとは「昔からそうだった(慣習)」という考えもありますが、 PTAを解散した学校もある 行政も「任意」と言っている 強制への批判が非常に強い 今の社会で、「PTA加入が慣習として当然だ」とは言いにくい状況です。 結論:現在は「任意加入」が基本 以上をふまえると、 PTA加入を義務づける明確な法律はない 慣習としても、全国的に認められているとは言えない ここまで長々書いてみたものの、現在の日本では「PTA加入は任意」ということになっています。 加入届はあるけれど、、、 加入届を取る例が増えています。体感では7割ほどでしょうか。まだ3割の学校で強制加入のような状態は続いています。実をいうと、私の関わる学校でも毎年議論するけど、実は現時点では自動的に加入する仕組みです。加入届を取得する場合においても濃淡があります。 ⓪PTA加入届を取得していない 非加入はありえない 会費を強制徴収 現在においてこれはさすがにないと思われます。 ➀PTA加入届を取得していない 勝手に自動加入→不満な人だけ非加入 オプトアウト 近年、猛烈に批判され、多くの教育委員会も声高に加入届を取得するように発表したりして急速に勢力を弱めています。自動で加入するけど、一部の不満分子は個別で除外する運用です。オプトアウト方式と呼んだりする人もいます。 ➁PTA加入届を取得しているが、非加入者及びその子には大きな不利益があり、事実上は全員加入 私の知る例だと、学年Tシャツから配布するんだけれども、非加入者には別途購入してもらう。が、それがやたら高額になっていて、だったら加入したほうが安上がり、というシステムになっていたりします。 ③PTA加入届を取得しているが、非加入者及びその子には一応不利益がある 有名な卒業式コサージュ事件をはじめ、記念品は別途購入というパターン。個人的にはこれが至極当然という考えです。詳しくは別稿を参照して下さい。ただし、実務的には大変面倒です。この子にはあげる、あの子にはあげない、と指示するPTAも大変だし、教員にも手間がかかります。なお、コサージュ事件の場合は、原告は別途購入すると主張したのにPTA側が拒否したという事案です。 ④PTA加入届を取得しているが、非加入者及びその子には全く不利益がない 最近増えている、平等が大好きなエセ人権派?の意見です。私は反対ですが、詳しくは別稿に譲ります。 https://pta.small-ai-japan.com/pta-non-member-legal-guide/   本当に必要なのは「入ります」という明確な意思表示 最初から「入る前提」で話が進むと、「入らない自由」は実際には守られません。そのため、PTAは「入ります」とはっきり言った人だけが会員になる何も言わなければ「未加入」の状態(オプトイン)と考える方が、憲法の考え方に合っているとも言えます。 ただし、法律上はまだ課題もある 一方で、法律の専門家の中には、会費支払いや活動参加の実態から「黙示の同意」を認めることもできるという意見もあります。裁判例でも多く見られます。加入届という用紙は提出してないけど、行事に顔を出していたんだから加入するつもりがあったということだよね、というやつです。この考え方も、今の法律の解釈としては間違いではありません。しかし、それはオプトアウトでいいということなので、事実上の強制加入という実態を止めるのが難しくなるという問題があります。 おわりに ごちゃごちゃと小難しい話も含めて書いてきてアレなのですが、実はこれは不毛な議論です。再三、言い続けていますが、イヤだという人に対して、ポイント制とか脅しとかで無理矢理やらせようとするから問題になるのです。「ボランティアは、できる人ができる事をできる時に」という大前提を見失い、どうにかしてやらせる方法はないかと考えてばかり。これでは問題の先送りにしかなりません。当ブログが言い続けているように、行列のできるPTAに生まれ変わる事こそが唯一解なのです。 https://youtu.be/McqoBrB_Tcs 続きを読む